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 この二人に共通点?
 これにはレクスも高砂も微妙な顔をしていた。

「いいえ。直接お話させて頂くのはお互いに三歳以来だと俺は記憶しているので」
「――そうかもしれません」
「その後は何度か医療院でお見かけしたように思いますが」
「医療院ですか……気づきませんでした。申し訳ございません」
「いや、こちらこそ声をお掛けしなかったわけだからな――ところで、立ち上がるたびにふらついていらっしゃるし、医療院にも過去には定期的にいらしていたように思うわけで、ぶしつけで悪いが、持病があるのか?」

 時東の笑みは崩れなかったが、完全に緑羽が硬直して冷や汗を流したのが周囲にはわかった。

 レクスと高砂もそれには思わずモニターを見ていた。
 全く聞いたことがなかったのだ。
 周囲にも二人の様子から知らなかったのだろうとわかった。

「え、ええ……少し、検査に通っていたことは……ですが、特に今は通院もしておりませんし、軽い貧血があってふらつくことがあるだけですので……」

 緑羽が必死に笑顔を保とうとするようにそう口にしたが、周囲には無理があるようにしか見えなかった。

 何かを隠しているのがバレバレだ。
 時東はまだ微笑している。

 しかし周囲はようやく、これはロイヤルな天才向けの微笑であり、医師観点だと発見し、時東を見直した。不純な考えで時東を見ていたことを、心の中で詫びた。

「それでは、病についての告知等は特に何も受けておられないのですか?」
「……」

 引きつった笑みで沈黙した緑羽を時東が微笑したまま見守っている。
 すると長い時間を置いたあと、緑羽が少し冷静な瞳になった。
 笑顔を消したのだ。

「――十三歳の時に告知を受けております」
「なんて?」
「……」
「特異型PSY-Other過剰症では?」
「……ええ」
「主治医は?」
「……ロードクロサイト卿です」
「俺の祖父です。であるならば、現在の緑羽様のように低体温状態で重度のふらつきを伴う貧血の場合は、医療院への連絡処置をするべきことをもご存知ですよね?」

 時東は微笑したままだった。

 緑羽は、周囲が初めて見るほど冷静な顔をしている。
 だが周囲は、その驚きの内容に声を失っていた。

 それ自体は決して珍しい病気ではないが、その症状が出るのはアルト猊下と同じような単体の過剰症の場合である。

 そこで一同は、緑羽がゼスト家血統の保持者であり、さらにゼスペリアの青の瞳であるだけでなく高砂にOtherを供給(?)していたことも思い出した。

「――時東先生、その件に関しては、既に手続き済みの段階ですので、これ以上の詮索は。特別ご迷惑をおかけすることはございません」
「っ」

 その冷静な緑羽の声に、時東が笑みを消して息を飲んだ。さらにはこれまた珍しいことに目を見開いていた。

「……二者のどちらの手続きを?」
「前者です。あと一度で、他全ての一切滞りないようにして参っておりますので、問題はございません。お気遣いに感謝致しますが、このことは他言無用に」
「……――そういえば鴉羽卿も具合が悪い中おられると聞いたが、万象院本尊とは優れた医療施設であるらしいな」
「まぁお寺や教会というものは、病院の大元でもありますし」

 緑羽が微苦笑した。
 しかし時東は完全に冷静な医師の目になっている。

「だが、言わせてもらうが、処置としてPSYコントロール装置と低IQ化装置は最悪だ。特に後者。十三歳という開始使用時期では、補助なしの一般生活を推奨できるレベルではない。かつ三種類全てで国内最高数値を保持している貴方のような人間の場合、記憶障害や識字障害も併発し言語理解にも支障が出るはずだ」
「時東先生、ご好意には感謝致しますが、それ以上は」
「ダメだ。命に関わる。後一回、痛みによるショック死で心停止したら安楽死処置依頼を手続きしている人間が目の前にいて、今まさに非常に重篤な状態であるとしか考えられない状況で放置する医者がどこにいるというんだ?」

 その言葉に、聞いていた室内の全員が凍りついた。

「とりあえず貧血への輸血を早急に行う。生体血液型は? パックを出せ」
「……部屋に戻って行いますので」
「だったら俺が保持している方を使わせてもらう。信用できない。その二種類の腕輪を所持している場合、通常ならばずっと身につけたままだが、貴方は適宜勝手に取り外して行動している。そのいっきにIQが戻った場合のその後、最悪に体に悪い」
「……」
「貴方を呼び出したのはこちらだ。高砂だ。そして高砂とレクス伯爵もご存知ないのだろうし、英刻院閣下もまた鴉羽卿がご病気だとしか知らず貴方については一切ご存知ないのだろうが、悪いが今後、鴉羽卿は生涯安静にすべきだと俺の口から伝えておく」
「……――時東先生。どのみち、あと三週間したら、俺は心停止に関わらず処置を受ける予定ですので、どうか何も言わずに、このまま」
「なぜ?」
「――もう、痛覚遮断コントロールもOtherによる自己治癒回復も無意識・意識的両方が追いつかない状態で、鎮痛剤のいずれも効果が出ないんだ。痛みで気が狂いそうで、俺はこれ以上は。三週間後に、レクスが十八歳になる。そうすれば万象院本尊の緑羽を譲渡できる。それ以外の匂宮およびハーヴェスト、ゼスト家の処理は他が規定年齢に達しているから全て終了しているんだ」
「っ、同意は誰が?」
「本人希望により、先代緑羽および貴方の祖父のザフィス神父にお願いした」
「それは、レクス伯爵やハーヴェスト侯爵はご存知なのか? アルト猊下は?」
「……後者二名は知っている。だがレクスには言わないことで話は決めてあるし、俺は決して良い兄ではないから、普通に病死として伝えるだけで、レクスも別段気に止めないだろう。特に問題はない」
「高砂には?」
「ああ――許嫁関係を解消できで大喜びするだろうからサプライズかもしれないな」
「っ」
「悪い、不謹慎な冗談だったな。ただ高砂も多忙だから余計な話で煩わせる必要もないだろう。十三歳時点で、既に最初の心停止をしているから、十四年前から本当はもう解消は決まっていたんだが、俺のわがままでな。高砂には悪いことをしたと思っているが、それもまたあと三週間で終わりだ。もし、遺言を頼めるならば、謝っておいて欲しい」
「……」
「案外、こうして敵集団の対処をしている方がまだ痛みが紛れて、一日の内に舌を噛み切りたくなる時間が減るんだ。ペインコントロールが既に効かない以上、それが一番マシな痛みへの処置ですらあると気付いたから英刻院閣下には感謝している。最後にレクスや高砂の顔を見て過ごす時間までもらえたからな。そうでもなければ……きっと会うことなく死ぬだろうなと思っていたから、とても満足している。本当は、貴方に装置類を渡したあの日で全て終わるだろうと思っていたんだ。残念ながら、まだ心臓が動いていて辛いが」
「……――そうか。なにかこちらでできることは?」
「貴方が国内の医療面を担当してくれるとわかっただけでも気が楽になったし、これ以上は特に。そこが一番の不安だったんだ。それ以外は大体手配できていたけど」
「……」
「既に敵の対処もほぼ終わっていて、残党処理に等しい。後は英刻院閣下にこちらの情報をお渡しすればほぼ終了だ。まだ完璧かどうかわからないから確認しているだけだから、この場で俺に何かあっても問題ないし、連れてきた二名が全て把握している。葬儀の手配は密葬で墓地は匂宮、全て真朱様にお願い済みだ。俺に関しては急な病死として通達が各所にされるだけだ。余計な混乱も起きない」
「……」
「ただ、このような話を聴いては、時東先生も過ごしづらいだろうから、僧侶二名をおいて、大人しく帰る。だから、このことはとにかく内密に」
「――一度診察させてもらえないか?」
「時東先生。貴方ならば確かにより良い対処が可能かも知れない。けど、もう俺自身が、本気で痛みに耐えられないんだ。そしてこれは、本来痛みが理由ではないけれど、法的に安楽死願いが認められている状態であり、宗教院からの許可も得ているんだ。ご好意には本当に感謝するが、頼むからもう。楽になりたいんだ」
「ありきたりな言葉で悪いが、死は楽になることとは違う」
「では言い直すが、死ぬことは非常に恐ろしいが、それでも良いから、この痛みから解放されたい。痛みを感じたくない。痛みは死ぬことよりも辛い。そして死ぬことは楽になることではないが、痛覚を脳に届ける神経や感知する脳細胞が破壊されるため痛みを感じず楽になる。俺は一刻も早くそうなりたい」
「――いつ安楽死処置の希望手続きを?」
「二度目の心停止の半年後だ。二十一の時だから、六年前だ。安易な決断ではなく、悩み抜いて出した回答だと思ってもらって良い。この二度目の時に、レベル6に到達した。よって合法的に今すぐにでも可能だ。ただし、レクスへの譲渡があるからということで、周囲との協議により今、俺はまだ処置を受けていない。それだけだ」
「……」
「この六年間、二十四時間三百六十五日、一度も痛みがない日は存在しなかった。よく耐えたと自分でも思う。一番程度が軽くなってもレベル4ギリギリだった。まぁ……きっと運が悪かったのだろう。が、こうして悩みを吐き出すことができて気が楽になった。聞いてくだった感謝する、時東先生」

 そう言って、小さく緑羽が微笑んだ。

 聞いていた周囲は信じられない思いもあれば何も言えなくなって、泣き出しそうになったものもいた。