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モニターを見ていなかったものも視線を向けるレベルの大きな音が一瞬出たのだ。
この音を知っていたラクス猊下とユクス猊下、政宗が青ざめた。
「……いやぁ、俺はお前が痛みについて大袈裟に言っていて安楽死もそこまで本気じゃないのかもしれないと疑っていた部分もあったが完全に消えた。研究室内の実験でしか耳にできないMAX5である痛覚測定不能音を、生で聴く日が来るとは思わなかった。これはショック死寸前にしかならない。なった次の瞬間には本来心停止している」
「だろ? 痛覚遮断コントロールと自己治癒で、心臓の動きをギリギリ保って、痛みもギリギリ押さえ込んでるが、もう無理だ。限界なんだ。痛くて痛くて涙さえ出ないレベルだ」
「お前、その笑顔で冗談っぽく言うのをやめろ。冷や汗が出ただろうが。これ、いつからだ?」
「だから三年前くらいから、ずっとこれで、ザフィス神父も来るたびに測定していっていつもこの音だが、なぜなのか心停止してくれない。俺は最初にショック死するだろうと聞いて泣いて喜んだのにまだ生きている。ちょっと逆にショック死しないレベルの音でもそれがなるんじゃないかと疑い出している」
「いいや。お前はうっかり意識を喪失してうっかりOtherを失えば即ショック死だし、もしかすると、高砂にOtherを、というのは、Otherを抜かれて心停止を三時間していたのかもしれん」
「それはない。心停止したらビービーなる装置をつけていて、俺はいつでもどこでも心停止したら、安楽死処置を希望するという吹き出しつきのモニターが表示されるようにしているが、一回も出ていない。出ると俺側に履歴が残る」
「でも今後はダメだ、やめろ、落ち着くまで無しだ」
「安心しろ、言われるまでもなく高砂が用もなくこちらへやってくることすらないから」
「……どうだろうな。それは俺にはわからんが、まぁ、とにかくダメだからな」
「ああ。けど高砂が笑顔で優しくぎゅっと抱きしめてキスしてくれたら俺そこで死んでもう一生悔いないな」
「お前なおかしなノロケ願望を吐き出すな。集中力がぶっ途切れただろうが」
「あはは、悪いな」
「普通のOther関係なしなら何の問題もない」
「そんなもの俺は人生で一度も経験がないから死ぬまでないだろうな。高砂も基本俺のOtherにしか興味がないだろう」
「おい……マジで?」
「ああ。そもそも俺は腐っても宗教院でも万象院でも聖職者だぞ? そういう気には一切ならないように統制訓練もあるし、高砂がいなかったら何もかも未経験であの世だったと思うな。正直、自分がEDか疑った事があるレベルで興味がない」
「……なんとも言えん――さて、治療および俺の実験を開始する。まずはその死人以下の貧血と栄養失調の対策をする。生体輸血と俺復古のロイヤル栄養剤等だ。自分の輸血パックはあるか?」
「ああ、ええとこの鍵で亜空間倉庫に全部使っていたものは入ってる。今までの鎮痛剤とかもある」
「よし、よろしい。右と左、好きな方を選んで布を外して腕を出せ」
「右で頼む。両方使えるが、左のほうがなにかとジャラジャラしているから万が一早急に点滴を外す場合、右のほうが有難いんだ」
そう言ってゼクスが腕の布を外し始める前で、時東が銀の台と点滴台を一つずつまず出現させた。
点滴台も時東が個人的に使っているもので、これを使用してもらえるのは非常に幸運な患者のみとされているが、特に台の方にそれを知る者は驚いた。
あれは時東専用のPSY医療薬品の生成台でもあるからで、見ることすら奇跡に近いのだ。ゼクスから受け取った鍵で倉庫内容物を各種確認した様子の時東は自分の用意物を一瞥しながら言った。
「原色の赤と緑、生体液、PSY血核球の自己保管物はないのか?」
「うん、無い。貧血が慢性的でひどくなりすぎて輸血しておけなくなってな……なんだか悪いな……」
「いや、いい。逆に俺オリジナルでやりやすい」
時東は珍しくそんな事を言うと、点滴台の上部左右に二つずつ、合計四パックをまず設置した。
生体輸血用血液の希血Oマイナスの真っ赤な血の点滴パック、増血剤のパック、造血剤のパック、生理用電解水のパックだった。
全て貧血対策だ。
それらのチューブを四足の器具に接続してから、巨大な注射針で時東はゼクスの右腕の関節の上にゴムを巻いてから巨大で太い針を刺し、テープで固定し、四足の器具に接続した。
続いて点滴台のその下に、本人がロイヤルと言ったが、時東自身が復古した超高級で滅多に手に入らないロイヤル栄養剤とロイヤル脱水防止電解水が二つ、上三つと位置がずれている箇所の二股の金具に接続された。
その逆側の少ししたに、灰紫色で炭酸のような泡が浮いている点滴、灰青色でやはり同じように泡が出ている色違いの液体を見て、知っているラクス猊下などホスピスを見たことがある人々は絶句した。
紫のほうは、これもまた時東が復古した、安楽死待ちの患者のみが使用許可をされる非常に威力が強く特別な鎮痛剤だった。
これは効果が強すぎて、後ろから刺されても痛みに気づかないレベルになるもので、脳の痛覚受容体付近で、痛覚刺激を隠蔽する品である。
青いほうは、体内の内蔵等を治癒再生させる薬で、どちらも特定指定で使用が限定されているPSY復古医療のPSY融合医薬品だ。
時東は実験と言っているし開発者本人でもあるし、使っても良いのだろうが、それを使うというのは、本当に死を待っているのだと、知識ある者は理解できた。
さらにその少し下の間部分の一つに、黄緑色でゆっくりと大きめの気泡がしたから上がってくる点滴が設置された。
これは全身の神経をPKを流して保護する代物で、これもまた時東の復古品だ。こうして合計五つを、二・三でそれぞれ器具に繋ぎ、時東は立て続けに、右腕の今度は関節下二箇所に針を刺し、それぞれをを二股、三股の器具に接続して、点滴を始めた。
これで合計九個だ。
それを見て、ゼクスがうろたえたような顔をした。
「あ、あの……時東先生、ちょっと多くないか……?」
「どれが? どれか一つでも不要物があると思うか?」
「い、いやあの、どれが何かわからない。見たことがあるのは輸血パックと普通の電解水だけだからな……」
「だろうな。ザフィスでも手に入らない俺の独自開発品か復古品の山だ。まず低IQ装置を段々止まるように設定しろ。五分後には完全停止。カロリーは今後これで行けると考えられるから、腕輪はしまっておけ」
「えっ、本当か?」
「ああ。ちなみにこの青と紫は見たことあるか?」
「――見たことはある。青は災害時に使う内蔵再生薬だ。紫はわからない」
「再生されてる感覚とかってわかるのか?」
「わかったら怖いだろう」
「それもそうだな。Otherによる自己回復の程度が減ったりだとかは?」
「もう無意識に任せているから悪いけどわからない。痛覚遮断も無意識だから自分では測定や変化の確認は困難だ――けど、ちょっとだけ体がポカポカしてきたのは分かる。後、その関係なのかはわからないけど、相変わらず痛いけど少しぼんやりした気がしてそれだけでもかなり俺的には楽だ」
「死人レベルの血液量が少しましになって、体温も少しあがってきたからというのがまずひとつだ。もう少しするととりあえず体温は三十四度よりも上まで行くはずだ。あまり急激にあげると良くないから、輸血および造血速度は抑えてある。うん、カロリーも今の腕輪の電気の抜け方を確認する限りこれで問題ない。ザフィスじゃなく俺に最初からかかっておけば良かったと思い知れ」
「う、うん……で、でも、こんなに点滴をつけていたら見ている人々に説明できるだろうか……俺は、こちらに視線が集まっているような気がしてならないんだ……」
「治験というのだから派手であればあるほど良いとプラス思考に乗り切れ」
「な、なるほど……」
「痛みがぼんやりした効果がどれから来ているかは、もう少ししてから判断する。さて、ちょっとお待ちを」
時東はそう言うと、生体液パックを二つ新しく出現させた。
そして装置にゼクスの血を一滴垂らし、その後出てきたものを一つ目のパックに入れた。
すると色鮮やかな白から濃い水色になるパックがひとつ出来上がった。
保護用血液の赤や緑にそっくりなそれをまじまじとゼクスが見ている。
ラクス猊下と政宗は、時東の生成を間近で見て少しテンションがあがった。
普段は自発的には絶対やらないからだ。
その間に別の装置に入れていたゼクスの血液から、三本のアンプルが作成されたらしく、装置から出てきた。それを透明な特殊薬液入りの生体液パックに時東が入れた。するとまず大きく金色に輝く粉が出現した。
これは希血Oマイナス型に反応しているのだ。そしてそれを保有している混雑型PSY血核球が、薬液と反応して金色にさらに小さく輝きはじめ、さらに時折赤く光った。
ここまではゼクスも見たことがあった。
しかし時折がもう一本追加すると、細かな銀の粉が中には入り、上が薄く、下に積もるように内部に漂い始めた。それは時折紫色の光を放つ。
これはイリス・アメジストと呼ばれるもので、美晴宮等限定の因子だと言われているのだが、なぜこれが投入されたのかは聞いていた中では、ゼクスとラクス猊下と政宗しか理解できなかった。
どうやら100パーセントにOtherを保つために必要らしいと理解していたのだ。だがそれだけである。
これは本来、あるのに効果が特にないとされているので、使徒なのにいないという扱いのイリスから名前が取られているメルクリウス型PSY血球がこの薬液に反応すると光るという代物だ。
それからゼクスが保有していた原色の赤と緑のパックと、美晴宮および英刻院の血を混ぜたロイヤルパックの五つを手に時東が振り返り、点滴台をもう一つ出現させた。一番上が四本、二段目に五本、三段目に三本の金具が花のように広がる。
ロイヤルパックのみ下につけ、上に一つ空きがある状態で、時東が点滴の用意を始めた。