【四】





 翌日の昼。
 眠れぬ夜を過ごした雲中子は、この日も遊びに来た太乙と道徳を見た。二人とも笑顔だ。しかし完全に呆けている雲中子を見て、二人は視線を交わす。

「雲中子、もしかして新しい研究でも思い付いたのか?」

 道徳が尋ねると、太乙が苦笑した。

「だとしても、睡眠はきちんと取らないと」
「太乙には言われたくないね」

 雲中子は引きつった顔で、ぎこちなく笑った。寝ていないという点は否定しない。
 燃燈の心の声が衝撃的過ぎて、一睡も出来なかった。

「今度はどんな研究なの?」

 太乙が促したが、研究案など無いため、雲中子は軽く頭を振った。黒い髪が揺れている。

「……ちょっと考え事をしていてねぇ」
「考え事? 何かあったのか?」

 道徳が目を丸くする。その言葉に、恋愛に関する事なのだから、絶賛恋愛中の二人に聞いてみれば良い方策も思い付くかもしれないと、眠い頭で雲中子は考えた。

「あのさぁ、君達はどちらが告白したんだっけ?」
「私その話三十回はしてると思うんだけど」
「俺も二十回はしたと思うから、雲中子は五十回以上聞いているはずだぞ?」

 太乙と道徳が吹き出した。しかしあんまりよく聞いていなかったのだから、仕方が無い。実験をしながら聞き流していた事が露見しても、怒る二人でも無い。

「俺が告白した」
「元々自然と距離は縮まってたんだけどね。相思相愛だったっていうか」
「俺全然気付かなかったから、付き合ってから聞いて驚いた」
「恋って人を臆病にさせるよね。私も気付かなかったもん」

 二人が優しい顔で笑い合っている。端から見ていると完全に両片思いは明白だったが、当人達は違うのだろう。そう考えて、ふと雲中子は思い出した。

「そういえば二人とも、燃燈は反対だと話していたけど、あれは――……」

 燃燈の気持ちを二人は知っていたのだろうか? つまり燃燈の件は既に知っているのか? と、雲中子は尋ねたくなったが、言葉に迷った。

「話した? 俺、燃燈について何か言ったか?」

 道徳が首を捻っている。そういえばまだ研究の内容について話していなかったと思い出し、思わず雲中子は視線を逸らした。太乙がそれを見て苦笑している。

「私が話したのを勘違いしたんじゃない? ね? そうでしょう?」
「う、うん。そうみたいだねぇ」

 太乙のフォローに、雲中子は感謝しながら頷いた。すると道徳が複雑そうな顔で笑った。こういう表情も珍しい。

「色々あるけどな、例えば俺だったら太乙を――恋人を二百年近く放って会いに行かないなんて事は絶対にしない。仮に避けられていたとしても絶対に話し合う」

 道徳が眩しい。隣で太乙が頷いている。

「私もそこは同じかな。絶対に会いに行くよ」

 それを聞き、雲中子は鳩尾が痛んだ気がした。そもそもの話である。

「……付き合ってると思っていなかったんだよ」
「は?」
「え?」

 道徳と太乙が、そろって声を上げた。雲中子は両手で麦茶が揺れるグラスに触れる。

「燃燈が私の事を恋愛対象として好きだと知ったのが、昨日なんだよねぇ……」

 二人が硬直した。それからチラリと視線を交わした後、双方驚愕した顔で雲中子を見る。その後また顔を見合わせてから、二人は声を上げた。

「えええええええええ!?」
「嘘でしょ、待って待って、そこからなの!?」
「嘘だろ、付き合ってないのか!?」
「た、確かに雲中子からは一度も燃燈の話を聞いた事は無かったし、けど雲中子って自分の恋バナをするタイプには見えないし、だからかなとか色々考えてたけど――え? 付き合ってないの!?」

 雲中子は泣きたい気分になりながら、ごく小さく頷いた。

「で、でも、燃燈結構露骨だよな。好きな相手には情熱的というか……だって基本、九割は公主の話をしてるとはいえ、他の貴重な一割の内半分は仕事、残りの半分は雲中子だろ?」
「う、うん。私から見ても、燃燈が雲中子を好きだというのは、崑崙山の仙道なら誰でも知ってるんじゃ無いかってくらい分かりやすいと思うけど?」

 それを聞いて、雲中子は頭を抱えた。こんな事態は想定していなかったが、一つ言いたい。

「私から見れば、君達二人の両片思いは死ぬほど分かりやすかったよ?」

 雲中子の言葉に、一瞬、太乙と道徳が照れた。だが二人はすぐに気を取り直した顔をした。

「じゃあどうするんだよ? まだ付き合ってないって事は、その……でも好意は知ってるんだから、改めて告白されたという事で良いのか?」
「大筋としてその理解で構わない」

 雲中子が頷くと、道徳が唸った。

「燃燈は悪い奴じゃない。良い奴だ。でもな、そ、そうか……恋人に会いに行かなかったわけではなく、恋人だと思われていないと理解して諦めようと……いや、そんな風には見えなかったな、ええと……」

 それから道徳は手をポンと叩いた。

「複雑に考える事は無いな。それで、雲中子は、燃燈の事が好きなのか? 好きじゃないのか? 問題はそこだな」

 明快である。しかし雲中子は絶望的な気持ちになった。

「自分の気持ちが分からないんだよねぇ……」

 思い出されるのは熱い愛情をぶつけられた事だけだ。燃燈について考えようとすると、心の声を思い出して、頭が真っ白に染まり、頬が熱くなるだけになってしまう。その他の思考が停止する。

「でも雲中子は、そういう場合は、気持ちが固まっていないとして、普通なら断るよね? そうじゃない?」
「だな。俺も太乙と同じ感想。迷ってるって事は……?」
「気になってはいるとか?」

 気にならない方が無理だというのが、率直な雲中子の思いだった。だが雲中子から見ると青天の霹靂すぎて、あんまりにも唐突な告白に感じたから、それも思考の停止に拍車をかける。

「黙るって事はそうなのか?」
「顔も朱いしね」
「もしかして俺達が反対したのを気にしているとか?」
「好きな相手を反対されたら辛いよね、ごめん」

 雲中子は首を振る。

「全く気にしてないから、余計な気遣いはいらないよ。とりあえず、今日も燃燈は来るみたいだから……少し話をして考えてみる事にでもしようかねぇ」

 小声で雲中子は述べた。相談を決意したものの、相談する内容が特に無いと気付いたので、話を打ち切る事に決めた結果だ。

「上手くいくと良いな。俺、もう反対はしない」
「私も。応援してるよ」
「待って。私は燃燈を好きそうに見えるのかい?」

 雲中子が問いかけると、二人がそろって頷いた。確かに燃燈の事を考えると心拍数が酷くなるから、意識しているのは間違いが無いが、最後に恋愛をしたのがいつなのかすら記憶していないため、雲中子は何も言えなかった。