【二】
「雲中子、その研究は許可できない。無理だ」
何度、繰り返し聞いたか分からない言葉に、雲中子は眉を顰めた。眉間に皺を刻み、対面している燃燈を睨め付ける。
「燃燈、理由は?」
「許可できないからだ」
「その理由を聞いているんだけれど?」
「許される研究では無いからだ。これ以上、話す事はない。今後、この研究について話す事は断る」
「それは、倫理的な問題で無理という意味? 検討自体を断ると言う事かい?」
苛立ちを抑えるように、努めて冷静な声で雲中子が続ける。
「燃燈、これは今後、必ず必要になる研究だ。君には理解できないのかも知れないけどね、この方面の理論の促進を阻害するような倫理規定は、ただの害悪であり旧世代的な枠組みだとしか考えられないよ」
その言葉に、腕を組んだ燃燈は、それから顔を背けた。
「――兎に角、許可はできん。十二仙筆頭として、決して認められない」
断言した燃燈は、それから小さく呟いた。
「確かに私には、難解な理論は分からないかも知れない。だが、その研究を今、雲中子がしてはならない事を、誰よりも正確に理解している一人だと自負している」
燃燈に対して食い下がろうとしていた雲中子は、響いてきたその声に動きを止めた。意味を咀嚼しようと、二度と緩慢に瞬きをする。
「燃燈、それは一体どういう意味だい?」
「――別に。ダメなものはダメだという意味合い以上のことは無い」
そう言ってから、燃燈が改めて雲中子を見た。
「それよりも、雲中子。今夜、終南山に行っても良いか?」
「話を変えないでもらえるかな。それにこの研究の件で、時間が無いんだ」
目を細めて雲中子は、燃燈を見た。不機嫌そうな雲中子に対して、燃燈は表情を変えるでもなく、動揺した様子も無い。
「明日から、暫く多忙になるんだ。こちらも、元始天尊様の補佐で何かと忙しくてな。雲中子、それに研究は許可できないと言ったはずだ。どうしても必要だと言うならば、違う角度から同じ結果をもたらすような技術を研究する事だな」
燃燈の声に、返す言葉を見つけられず、雲中子は唇を噛む。
「二十三時には行く」
それには構わず、燃燈が続けた。
「なんだ? 何か言いたそうだな。まさかとは思うが、今回の決定が気に食わないからと言ってプライベートにまで――」
「燃燈。君も、『まさか』と口にした通り、私だってそこまで子供ではない。研究許可を得られなかったからと言って、個人的に君を恨んだりはしないよ」
「私もそう考えているが……だったら何故、そのように不機嫌そうな顔をしているんだ?」
首を傾げた燃燈を見て、雲中子が嘆息した。
「……明日から多忙になると聞いて、洞府にくるのが二十三時……一時間しかないじゃないか。来る意味があるのかと思ってね」
「別段、一秒後から忙しいわけではないし、今夜は泊めてもらうつもりだが?」
「もちろん一般的な意味合いの明日だと理解しているし、屁理屈を言いたいわけでも無いよ。ただ……その……」
少しの時間しか、一緒にいられない事が、単純に寂しいだけだ。だが、雲中子はそれを上手く言葉にできなかった。研究理論も理解してはくれないが、こちらの感情すらも理解してくれない燃燈の事が、それでも好きなものだから、時折雲中子は自分の頭の正常さを疑う。他者に『変人』と言われた時、返答に困るほどだ。
「……何でもない。洞府に戻るよ。また、夜に」
「ああ」
こうして玉虚宮から終南山へと戻った。洞府に入ってすぐに、深々と溜息をついてから、雲中子は珈琲を淹れた。その後研究室の壁のスイッチを押して、電気を点ける。白色光が、部屋を染めた。
カップを傾けながら、雲中子はレンジによく似た六面体を見た。開閉部分まで類似しているが、これは宝貝である。
――中に入れたものの時間を少しだけ戻す宝貝の、試作品だ。
本来であれば、もっと大規模な時間、空間を、戻すことが可能な宝貝が望ましい。それこそ過去に帰り、覗き見る事が可能なほどの高威力だったならば。
そう、構想する事は可能だったが、実現手段は思いつかない。その範囲で雲中子に可能だったのは、特定の小さな箱の中身の時間だけを戻し、中の物体の状態だけを過去に戻すという研究だった。成功したならば、その宝貝の技術を展開していけば良い。
……先程、燃燈に却下された研究ではあるが。
「別に、死んだ猫をこの宝貝の中に入れて、生き返らせるような研究ではないと言うのにね……本当に、倫理以外の理由があるのか……考えがたいけど」
ポツリと呟いてから、雲中子は研究室を出た。
燃燈が訪れるのは夜更けだと聞いたばかりだと言うのに、酒の肴の準備を始めてしまう。燃燈に喜んでほしいと思う程度には、彼のことが好きである。しかしながら、時間をかけて、手の込んだつまみを用意したなどとは、知られたいとも思わない。対等でいたかった。なのにどんどん好きになり、己の側が不利になっていく感覚がする。