【二】
「雲中子に避けられてる?」
太乙が新しい洞府において、宝貝の打ち合わせの後、それとなく燃燈に対して、雲中子の話を振ると、難しい顔をした燃燈が頷いた。
「ああ。心当たりは腐るほどあり、どれが理由かは分からないが、会ってもくれない」
「そりゃあ、私だって、恋人に死んだふりをされて、何も知らされずに長い時間を過ごしてさ、そうしていきなり現れて、やり直そうとか言われても怒るよ?」
「やりなおしたいという機会さえ貰えないんだ。そもそも、洞府に入れてもらえない。そして雲中子は洞府から出てこない」
「別に、普通に入ったら?」
「それが出来ないんだ。仙術で厳重に施錠されている。無理に破る事は不可能ではないが、私がそうすれば、洞府は半壊する」
燃燈が遠い目をしている。太乙は腕を組んだ。
「一緒に行ってみるかい?」
「頼んでも良いか?」
それは蓬莱島に仙道が落ち着いて暫くの時が経過してからの事で、現在雷震子は別の場所に暮らしているという状況下においての事だった。
こうして太乙と燃燈はその足で、連れだって、新しい終南山へと向かった。
――燃燈が仕事以外の頼みごとをするというのも、非常に珍しい。
それは太乙にも分かっていた。
「……」
「……」
新構築された玉柱洞の玄関前で、太乙と燃燈は顔を見合わせる。それから太乙がインターフォンを押した。
「雲中子、いるー?」
そしてそう声をかけた。
だが……反応は返ってこない。これ自体は別段珍しくないため、太乙は迷わず玄関の扉に手をかけた。すると太乙単独では発生しない事象が起きた。仙気がバチバチと音を立てたのである。
「これは、燃燈の仙気に反応する仕組みみたいだね。私一人なら入れるかもしれないし、ちょっと話を聞いておくから、今日は帰りなよ」
そう伝えながら、太乙は――燃燈の手に、ある宝貝を握らせた。
燃燈が、視線で『これは?』と尋ねるが、太乙は人差し指を口に当ててから、使用方法を書いた紙を続いて押し付ける。それを一瞥した後、燃燈が動きを止め、そして思案するように瞼を閉じてから、小さく頷いた。
「……ああ。悪いが、頼む」
燃燈は頷き、溜息を零してから踵を返した。
その姿が見えなくなってから、再び太乙は玄関の扉に手をかけた。すると、あっさりと開いた。勝手に中へと入り、そのまま進む。すると、研究室に雲中子がいた。
「雲中子」
「太乙? 何?」
「何って……何してるの?」
「? バイオキシンの改良だけど?」
「玄関で何回もインターフォンを鳴らしたんだけど」
「いつも勝手に入ってくるじゃないか。今日に限って、どうしてまた?」
雲中子はいつも通りであり、逆に訳が分からないという顔をしている。
「ああ、その……燃燈と一緒に来たんだけどさぁ」
そこまでは正直に、太乙は伝える事にした。雲中子の反応を見るのが目的だ。それを聞いた雲中子は、驚いたように息を呑んだ。
「燃燈と? 何か用?」
「うん、まぁねぇ。そうしたら、仙気の関係で入れなかったんだけど、なんで燃燈を洞府に入れないの?」
「……いや、別に。逆に、雷震子や君は素通り出来るように洞府の入口で設定しているだけだよ。別段、燃燈がどうのというわけじゃない」
雲中子は用意していた言い訳を述べた。実際、そうした仕組みになっている。だが、燃燈以外の者であれば、インターフォンを押した段階で、雲中子に連絡が届くようになっている。
――もし、一言でも私的な会話をしてしまったら、燃燈に縋りつきたくなる自信があったから。だから、会う事を止めようと、雲中子は考えていた。
浅ましく愚かな己と、世界の平和のために真っ直ぐに進む燃燈では、もう交わる事も無いだろうという考えもある。
「はっきり言うけどさ」
「なんだい?」
「燃燈はやりなおしたいみたいだよ?」
「へぇ」
「やりなおすというか、別れてないわけでしょう? 雲中子だって、燃燈の事を恋人だと思ってるでしょう?」
「……」
「何で会って話をしないの? 余計なお世話かもしれないけど、親友の幸せくらい祈らせてほしいんだけど! 良かったじゃん、燃燈が無事に戻ってきて」
太乙は、優しい。
それが、雲中子の胸を苦しくさせた。
「――太乙は、道徳とは、どうなの?」
「私? 昨日も神界に遊びに行ってきたよ。行き来しやすい制度が出来て良かったよね。新教主も中々頑張ってる部分がゼロではないと一応評価したいって感じかな」
嬉しそうな顔をした太乙を見て、雲中子は小さく頷いた。ただそれが事実であると知ってはいても、過去、太乙が辛い時に、羨むばかりだった矮小な己を許す気分にはなれない。太乙や燃燈は幸せになるべきだと感じる。だが、自分にはその権利がないように雲中子は感じていた。
「雲中子、はっきりと聞きたいんだけど、燃燈の事をどう思ってるの?」
「別に」
「別にじゃ分からないよ。好きか嫌いかの明確な二択で。灰色は無しで」
「……」
「雲中子? 素直に」
「……燃燈に何か問題があるわけじゃない。あくまで私の問題だから。あとは洞府のセキュリティ上の問題だよ」
「雲中子の側の問題って何?」
「……いつか、太乙は言った事があるよねぇ。『消えたいと思った事があるか』と。今、まさにそういう心境なんだよ」
「へ? どうして?」
「その理由を君に話す事は、ただの利己的な行為だと判断するから言いたくない」
「利己的でも構わないよ。私達、友達だよね? 話してみて」
「……」
「雲中子?」
太乙に詰め寄られて、雲中子は言葉に窮した。確かに一人で抱えているのは、辛い。だが、自分の性格の悪さを口に出して、向き合う事も辛い。
「……実は、――」
雲中子は悩みあぐねいた末、話す事を選んだ。
素直に、いかに己が醜いかという悔恨を。