X:終焉はHappy end<1>
劈くような蝉時雨。
キッチンでアイスコーヒーを作りながら、グラスの中の氷を雲中子は見ていた。
「!」
すると背後からそっと両腕が回る。
雲中子を抱きしめた燃燈の腕には、すぐに力がこもった。目を伏せた燃燈が、雲中子の耳元に唇を寄せる。
二人が番い関係――というよりは、恋人同士となって、二週間が経過している。既に発情期の熱もフェロモンも収まっているのではあるが、燃燈は雲中子から常に甘い香りを嗅ぎ取っているし、雲中子もまた燃燈に触れられていると胸がドクンと騒ぐ。
「待っていてと言ったのにねぇ」
「離れたくなくてな」
それから二人は顔を見合わせる。燃燈が少し屈んで、今度は雲中子の唇に触れた。啄むような口付けをしてから、二人はアイスコーヒーを持って、リビングに戻る。
これまでは向かいあって座る事が多かった二人だが、最近は並んで腰を下ろす事が多い。
距離が、どんどん縮まっていく。
「雲中子」
燃燈が、雲中子の手からグラスを奪い、テーブルの上に置いた。そしてそのままソファの上に押し倒す。されるがままになりながら、雲中子は、燃燈の顔を見上げる。そうして再び、キスをした。次第にその口付けが深くなる頃には、燃燈の指先が雲中子の服を開けていた。
「ここでするのかい?」
「嫌か?」
「……」
雲中子は何も言わずに顔を背ける。燃燈が欲しいのは、雲中子も同じだったからだ。
白い道服が、象の肌色のソファの上で乱れていく。
露わになった雲中子の白い肌。燃燈は、よく引き締まった、綺麗な筋肉のついた腕を、ギシリと音を立ててソファの上に置く。その首に、雲中子は両腕を回す。
雲中子の首の筋に沿って燃燈が舌を這わせると、ピクンと雲中子の肩が跳ねた。
――お互いの息遣いが荒くなるまで、そう時間は要しなかった。
燃燈の陰茎がに暴かれた時、雲中子はギュッと目を閉じる。挿入の衝撃には、いまだに慣れない。αを受け入れやすい体のΩであるとはいえ、過去にこのように濃密な経験を持っていなかった雲中子にとっては、一度一度が鮮烈な印象を齎す。
一方の燃燈も、絡みついてくるような雲中子の内部に、いつだって余裕がかき消えそうになる。いいや、かき消えていると言える。雲中子のうなじを甘く噛みながら、グッとより奥深くまで陰茎を進めた。
「あア!」
雲中子が白い喉を震わせる。燃燈の形と存在感を体の内側から覚え込ませられていく感覚に、快楽と歓喜から涙ぐむ。燃燈が愛おしい。好きだと、そう告げたい。けれど口からは嬌声しか零れては来ない。既に、余裕がこちらも無いからだ。
「あ、あ、ぁァ……っ、んン!!」
激しくなっていく燃燈の荒々しい動きに、雲中子の意識が快楽から白く染まっていく。獰猛な瞳をしている燃燈は、唇を舌で舐めてから、既に覚えた雲中子の感じる場所を容赦なく貫いた。
「あああ――!! っく、うあ……あ、ああ!」
「もっと声を聞かせてくれ」
「ん、ぅ……な、そういう事を言わないで欲――あああああ!」
羞恥に駆られて雲中子が抗議しようとした瞬間、燃燈が一際激しく動いた。結果、絶頂に導かれて、雲中子は白液を放つ。しかし燃燈は硬度を保ったままで、そのまま雲中子を続けて責め立てた。
「あ、待っ……あァ! あ、ああ!! ひ、ッッ、あ――!!」
そうして連続で昂められ、雲中子は散々喘がされた。
燃燈が放ったのはそれから暫くしての事であり、その頃にはもう、雲中子の全身からは力が抜けきっていたのだった。
――夕暮れ時。
シャワーを浴びてリビングに戻った雲中子は、先に体を清めていた燃燈が、ソファに座して難しい顔をしているのを見た。
「どうかしたのかい?」
「……少し、な」
するりと視線を雲中子に向けた燃燈が、それからじっと雲中子を見た。
「いいや、やはりお前には聞いて欲しい」
「なんだい?」
「元々、私はこの終南山の結界宝貝と術を破って、ここへと来た事を覚えているか?」
当然だったので、雲中子は小さく頷いた。激しい雨が降っていたあの夜の再会――いいや、新しい契機となったある種の出会いを、忘れる日は今後、来ないと思っていた。
「現在、『殺界』を――発情期を人為的に促している、崑崙山全体に巡らされている術の機序も同一のものだろう?」
「そうだねぇ」
雲中子は小さく頷いた。元々は、太乙が開発に関わったものを、玉虚宮側で発情期を促す為に改良した様子である事は分かっている。太乙が開発した宝貝は、現在崑崙山の各地にあるから、特別というわけではない。雲中子もそれを用いただけだ。
「つまり、私にならば、破壊が可能だと考えている」
「それ、は……」
「雲中子の初期の論文によれば、Ωの発情期には個体差があったはずだ。必ず訪れるにしろ、それは崑崙の都合で強制的に齎されるものでは無かったはずだ」
「そうだけれど、その通りだけれど……」
「術を破り、雲中子が最初にしていた品と同様の、ネックガードとなる宝貝を配布し、ヒートとラットの双方のための抑制剤を普及させれば、崑崙山の混乱は収束する。違うか?」
術を破るという点以外は、そもそも雲中子が最初に提案しようとした事柄と同一だった。だが、それは叶わなかった過去がある。雲中子は俯いた。
「違わないと私は思うけれどねぇ……けれど、私には……」
――何も出来なかった。
無力感が、雲中子の内側に巻き起こる。
「納得させる力が無い。それが正しくとも、何も成せない」
「必ず、私が説得する。同時に、雲中子に関する事実無根の誤解についても――」
「燃燈、私は何を言われようと気にはしない。けれど、本当に説得が可能なのかい?」
僅かに不安げに、雲中子が問いかける。すると燃燈が逞しい腕を組んだ。
「仮に叶わなかったならば、私は私の正義に従い、術を破壊する。私は、現状を許容できない――ただし、勘違いするな。私は、第二性別の発見自体を厭うわけではない。私は、雲中子と番いになれた今が幸福だ。だからこ、望まない番い関係を認めがたいというだけだ。エゴだと言われても構わない」
断言した燃燈を見て、雲中子は苦笑した。胸中が満ちあふれていく。
信じても、良いのだろうか。そう、考える。雲中子は、それから目を伏せ、長い間そうしていた。それから双眸を開けると、唇の方端を持ち上げる。
「燃燈」
雲中子は、決意した。他者を嫌いになってしまったと、人体に関する研究すらもしないと思っていた日々が、嘘のようにさえ感じる。今、明確に、ある研究テーマに対する意欲が出てきた。一つは、過去の研究の続きだ。より良い抑制剤への改良、偶発的に発情してしまった際の緩和薬の開発。
そしてもう一つは――『運命』の研究だ。
「有難う」
「それは、何に対する礼だ?」
「今ねぇ、私は『運命の番い』というものが、αとΩという関係性を超えて、確かに存在すると確信しているんだ。元となった動物研究の知見も無くはないけれど、私にそれを教えてくれたのは、紛れもなく燃燈だよ」
「――私は、仮にその研究の結果、我々が『運命の相手』でないとしても、決して雲中子を手放す事は出来ないが?」
「それは私も同じだよ。ただし、少し研究してみたいと思っている。それに……誰がなんと言おうとも、私にとって、燃燈は『運命の相手』だよ。君の喪失が、最早考えられない」
この日、二人はそんなやりとりをした。立ち上がった燃燈が、雲中子を抱きしめる。その背に腕を回しながら、雲中子は涙を堪えた。嬉し泣きだ。それは――再び人間という他者に、興味を明確に抱く事が出来るようになった瞬間でもあった。