【四】
「――で、どうなんだよ?」
その日は、元始天尊の直弟子が集められた、修行の帰りの事だった。いつかと同じように玉?宮のテラス席で、椅子の背に腕を回し、道徳が不意に言った。
「何が?」
「お前、雲中子の所に行きっぱなしなんだろ? 目撃情報多数。まさか惚れ薬でも盛られたのか? なんてまで聞いた」
「な、な、違うよ。別に私と雲中子は、真面目な話をしているだけだから、下衆な勘ぐりはやめてもらえる?」
「うん。俺、八割型冗談で言ったんだけどな。なんで照れた? 太乙、顔が赤いぞ」
太乙の反応に、道徳が吹き出した。赤面した太乙は俯くと、アイスティのストローを銜える。綺麗な黒髪が、朱い頬を僅かに隠したが、付き合いの長い道徳は悟る。
「何? え、何? 惚れてる? 嘘?」
「……、……」
「ま、根は良い奴だしな。親友として応援はしておくけどな、惚れ薬の解毒薬の作成依頼を検討する事も一応意見として挙げておくからな?」
「そ、そんなんじゃないから……――っていうか、今の、私と雲中子の空気感が壊れるの本当嫌だから、そういう事言わないでもらえる?」
「なんだかんだで、まだ三人で飯も食ってないし、その空気感とやらが俺には不明だ。今日は俺も、終南山に行こうかな」
「べ、別に行けば?」
「お前は何時に行くんだ?」
「今日は、元始天尊様の呼び出しがあったから約束はしてないけど……というよりは、いつも約束なしで、私が行ってるだけだった……」
考えてみれば、太乙が出向かなければ、生まれていない関係だ。最近では、当初とは異なり、雲中子は実験をしながら応対する事もある。己が邪魔なのではないかと、時折太乙は不安になる事もあるが、雲中子は決して太乙を邪険に扱う事は無い。それに、甘えている。
「じゃあ、一緒に行くか。たまには、な」
「う、うん……」
「親友として、その空気感って奴、確認したいしな」
「だ、だから! 別に普通だよ」
太乙の否定に対し、道徳は朗らかに笑うだけだ。
こうしてその後、二人は終南山へと向かう事とした。すると洞府の前で、雲中子はアケビの葉に触れていた。
「よ。雲中子」
「やぁ、道徳。それに太乙」
軽く手を挙げた道徳を見ると、ニヤリと雲中子が笑う。そんな二人が非常に親しげに見えて、太乙の胸に棘が刺さる。
「太乙?」
雲中子がその時、不思議そうな顔をした。太乙は慌てて顔を上げる。
「あ、え? ええと……今日はさ、元始天尊様に呼び出されて、それで道徳と雲中子の話をしてて、それで――」
口が上手く回らない。太乙はいつもよりも緊張していた。道徳が変な事を言うから悪いのだと内心で考える。すると雲中子は静かに頷き、二人を玉柱洞へと案内した。そして珈琲を淹れる。初日とは異なり、雲中子が実は珈琲を好むらしいという事は、この頃には太乙は既に知っていた。なお道徳は持参したスポーツドリンクのペットボトルを取り出している。雲中子が本日出した茶菓子は、栗羊羹。そちらに関しては、言葉とは裏腹に気にした様子もなく、ぱくりと道徳も食べた。
「ん。美味い。雲中子のお菓子、本当最高」
「残念ながら失敗したんだけれどねぇ」
「え? こんなに美味いのに、か?」
「羽が生えてくる予定だったんだ」
「やめろよ!」
道徳が吹き出している。和やかな二人の様子に、太乙は何故なのか苦しくなる。
――いくら好奇心の対象や話が合った所で、親しくなれるというわけではないのだろう。誰の心の中にでも、すっと入っていく道徳が心底羨ましい。
「太乙は、今日は静かだねぇ」
その時、雲中子が不意に言った。それを聞いて、ハッとして太乙が顔を上げる。慌てて首を振った。
「今日は、か。いつも、雲中子の前だと太乙ってどんな風?」
「んー、君なみに喋るよ」
「それ褒め言葉か?」
「私に褒められたいのかい?」
「あー微妙」
それ以後は、主に、道徳と雲中子の会話が中心に、その場の時間は流れていった。普段とは異なる雲中子の姿を見られた事が太乙は嬉しくもあり、寂しくもあった。ただ明確に道徳が羨ましかった。自分では、雲中子をこんな風に笑わせる事は出来ない。太乙から見ると雲中子はどこか掴み所がなくて、それこそ白い雲のような存在だ。けれど太陽のような道徳と共にいる時、雲中子は和やかな表情をしている。
――入り込む余地が無い。天候に例えるならば、己は雨かもしれない。
その日、何を話したのか、太乙は上手く思い出せなかった。
帰り際。
道徳と道を歩きながら、太乙は終始俯いていた。
「太乙、なんでそんなに暗いんだよ?」
「道徳は良いよね。雲中子と仲が良くて」
「へ? お前らの方が、最近は仲が良いんじゃないのか?」
「だからさ、道徳にとっての玉鼎とか――それこそ燃燈様みたいなもんなの! 私にとっての雲中子は。ある種、聖域? 親しくなれない。いくらでも雲中子について語れるけど、そんな自分が気持ち悪いレベル」
「好きなんだなぁ」
道徳が、実に何気ない調子で言った。だがそれを聞いた瞬間、ハッとして太乙は目を見開き顔を上げた。
「……」
「俺は尊敬しても、そこから人柄とかで気分変わる方だから、理論が好きとかいうのは分からん。正直、な。ただ、太乙が雲中子を好きなんだろうなあってのは分かる」
「そう……なのかな?」
「おう。もう、お前を見てる限り、それは恋だ」
「っ」
「好きなら好きで、良いだろ? 俺、難しい事は分からないというよりは、難しく考える事が好きじゃないからはっきり言う。頑張れ」
「何を!?」
「好きになったら、気持ち、伝えた方がすっきりするだろ? 応援してる」
朗らかに明るく笑っている道徳を見ていたら、太乙の心拍数は一気に上がっていった。
――好き?
ぐるぐるとその言葉について考える。だが、今の関係性が変わるのが怖い。振られる未来が恐ろしい。けれど。
「うん。そうだね。私は多分、雲中子の全部が欲しいんだと思う」
「俺はそんな風に、特定個人について思った事が今の所は無い。だから、それだけで誇ってもいいと思うぞ。応援してる」
道徳がバシッと太乙の肩を叩いた。痛いほどだったが、太乙は確かにその感触に勇気づけられた気がした。