【三】シュバルツカッツェ城。





 ゴトリと大きく揺れた時、俺は目を覚ました。
 見れば、正面の席にはクレソンさんが座っていて、俺は馬車の中で眠っていたようだった。ハッとして体を起こす。

「あ」
「おはようございます、乱暴な真似をして申し訳ありませんでした」
「え、ええと……――!!」

 何か言おうとした時だった。
 窓の向こうの、巨大なお城が目に入った。
 そのあまりにも荘厳で美しい姿に、俺は目を見開いた。

 崖を切り抜くように建てられていて、周囲は森だ。
 思わず身を乗り出すようにしてみると、片側には湖があるようで、アーチ型の白へと続く橋が見える。高い塔と先端が円錐形の屋根付きの塔、時計塔で構成されている、絵本に出てくるようなお城だった。だが、本物だからなのか、見ているだけで目を奪われる神聖な気配がした。

「――もうすぐ、我が主の住まい、シュバルツカッツェ城へと到着します」
「シュバルツカッツェ城……? あの、ここは何処ですか?」
「ネルライト様がいたキノコの谷があった国の隣国、フォレストキャット神聖王国の王族専有地シュバルツです。我が主は、王都の王城とこちらのシュバルツカッツェ城を往復して政をしていらっしゃるのです」
「我が主?」
「森猫族皇帝のフェンネル様です。フォレストキャット陛下です」
「こ、皇帝陛下……」

 村長様でさえとっても偉い人なのに、皇帝陛下なんて言われても困る。
 それはきっとすごくすごく偉い人のことであるはずだ。
 その人のところに、これから到着するというのだろうか……?

「皇帝陛下のお城になんて、俺、いけません」
「いいえ、元々シュバルツカッツェ城は、黒猫族の王族の城なのです。ネルライト様が正統なる継承者なのです。我が主は、代わりに治めておられるのです」
「――え? 俺のお城……?」
「古くからあの城は、森猫族の憧れだったのですが……まさか黒猫族が……」
「黒猫族には何かあったんですか?」
「……――後でゆっくりお話しましょう。さぁ、到着です!」

 その言葉で気づいたら、馬車が水門を抜けて、お城の敷地に入ったところだった。

「わぁ!」

 俺は思わず声を上げた。
 右一面の庭が湖のような大きさの四角い池で、水面にはお城が映っていた。
 あんまりにも綺麗だった。

 馬車が走る道の左右は芝で、左手の奥には薔薇園が見えた。
 その周囲を更に木々が囲んでいて、そしてお城の後ろが崖なのだ。
 少しして、馬が止まった。

 すると外から御者さんが扉を開けてくれた。
 俺は、クレソンさんに促されて外へと出た。
 そして――……硬直した。

 そこには、ズラリと森猫族の人々が並んでいた。
 洒落た侍女侍従の服を着た人々から、貴族服、軍服の人まで様々だった。
 その人々が、俺を見たら、一斉に膝をついたのだ。
 腰を折る程度ではなく、膝をついて、十字を切って、手を組んだのだ。
 まるで教会でのお祈りのようだった。

「ようこそおいでくださいました、ネルライト殿下」
「おかえりなさいませ、殿下」

 何人かがそのように言った。俺は言葉が出てこなかった。
 冷や汗が浮かんでくる。なにかの間違いではないのだろうか。
 どう考えても跪いている人々は、俺よりも階級が上の人ばかりだ。
 絶対、使用人の人達だって俺より上だ……。
 そもそも森猫族自体が、白兎族より上位の上位なのだ……。

 俺が狼狽えていると、また誰かが言った。

「噂には聞いていたが、これが黒猫族……」

 するとざわめきが広がった。

「なんてお美しい……」
「麗しい日蝕の瞳だ」
「肖像画のネフェル様の再来だ……俺はてっきりあの絵画は、画家の妄想だと思っていた」
「綺麗だ……見惚れてしまう」
「艷やかな毛並み、しなやかな尻尾」
「貪り付きたくなるな」

 俺は何を言われているのかわからなかった。
 その時隣でクレソンさんが咳払いをした。
 そうしたら、ピタリとざわめきが止まり、何人かがバツの悪そうな顔をした。

「ネルライト様、お部屋にご案内します。参りましょう」
「は、はい!」

 促されるまま、俺は膝を折っている人々の間を歩いて中へと向かう事になった。
 豪奢なエントランスの扉をくぐると、巨大なシャンデリアがまず目に入った。
 象牙の床も美しく、調度品の彫刻にも目を見張った。

 正面には階段があり、そして肖像画がいくつも壁に掛かっていた。
 合間に立派な燭台が並んでいる。階段の絨毯は、深い緋色だ。
 クレソンさんは迷わず進んでいくので、俺も一緒に上階へと向かう。

 それから――三十分以上歩いた。
 俺の家から村長様の家と同じくらいの距離の廊下だった……長い。
 そして突き当たりの、大きな南の角の部屋に通された。

「今後はここをお使い下さい」
「どのお部屋を使えば良いですか?」

 扉の先に、さらに五つもお部屋があったため、俺は首を傾げた。
 一部屋だけでも、俺の家と同じくらい広い。
 天井が高くてここにもシャンデリアがある。

「全て、ネルライト様のお部屋です」
「え」
「気に入りませんか? ならばすぐに別のお部屋のご用意を」
「い、いえ! すごく素敵なお部屋だと思います! だけど、こんな立派なお部屋……」
「ははっ、すぐに慣れますよ。少し主と話してまいりますので、休んでいて下さい。じきに侍従がお茶をお持ちします。ご住居にあったネフェル様の蔵書は、別室に運ばせていただきます」
「わ、わかりました」

 おずおずと俺が頷くと、クレソンさんが微笑した。
 口元と目元のシワが深くなった。
 彼を見送り、扉が閉まるのを見た後、俺は、高級そうすぎて座るのがためらわれるソファを見た。しかし、廊下を歩き疲れていたので、歩み寄った。まず手で触ってみると、すごく気持ちよさそうだった。何度か触った後、勇気を出して座ってみた。

 二度と立ち上がるのが無理そうなほど体にフィットして気持ち良かった。
 座り心地が良すぎる……!
 しかも見た目もきれいだ。青なのに金色に光る糸で、大きな葉っぱが刺繍されている。

 ソファの両サイドにも大きな燭台があり、壁際にはチェストがあって、その上には、水晶でできた花瓶があって、その中には、なんとダイヤモンドで作られているらしき精巧な花束が入っていた。ダイヤモンドは、お母様が一つだけ持っていたので、俺でも分かる。

 少しするとノックの音がした。
 きっとお茶を持ってきてくれたのだろうと思い、僕は返事をした。
 そうしたら、ギギギと音を立てて、扉が開いた。

 入ってきた人物を見て、俺は思わず萎縮した。

 背の高い、高貴そうな金縁で黒色の服を着たその人物は、あんまりにも端正な顔をしていたのだ。大きな灰色の耳は、やはり光の加減で緑に光るのだが、何故なのかこの人の場合は、金色の粉もまぶしてあるように見えた。瞳の色もエメラルドのようだった。透き通っていて、硝子のようにも見えるが、ただの硝子玉というよりは、宝石と評するのがしっくりとくる。切れ長の目をしていて、眼光が鋭い。威圧感があった。真っすぐに通った鼻筋をしていて、形の良い薄い唇をしている。髪の色は腐葉土色だった。

 俺は何も言葉が見つからなかった。
 だが、あちらも何も言わない。
 しばしの間、沈黙が流れた。

「名は? 直接聞きたい」
「ネルです。白兎族の、その……」
「――そうか。ネルと呼んで良いか?」
「はい」
「気を使って話さなくていい。普段通りに」
「分かった」

 やっと会話が生まれた。

「お前は、なんていう名前だ?」
「フェンネルだ」
「フェンネル、か。すごいな、このお城。お茶を持ってくる侍従の人まで、お前みたいなすごそうな貴族なのか……」
「――茶?」
「うん。クレソンさんから聞いてる。お茶を持ってきてくれたんだろう? あれ、でも、手ぶらだ……俺、いきなりで緊張して、喉が渇いていて」

 俺が言うと、すっと目を細めて俺を見た後、白い手袋をした手で、パチンとフェンネルが指を鳴らした。

「!?」

 するとソファの正面のテーブルに、ティカップが一つ現れた。
 薔薇の香りが立ち上っている。

「え、手品か!? いきなり!?」
「――魔法だ」
「まっ、魔法!? それって、御伽噺の魔女が使う魔法!?」
「……黒猫族が元々は森猫族に伝授した秘跡だ」
「?」
「まさか魔法を使えないのか?」
「……え?」
「期待はずれだな。あの稀覯書の山も宝の持ち腐れだったという事か」
「え、えっと……」

 俺は動揺した。明らかにフェンネルは、俺を蔑む瞳で見ている。
 ――村の人たちと同じ目に見えた。

「俺の名前は、フェンネル=ラ=フォレストキャットだ。この国の皇帝だ。覚えておけ」
「っ」
「初めに断っておくが、俺はお前には興味がない。黒猫族に興味があるだけだ。クレソンや家臣どもは勝手に盛り上がっているようだが、調子には乗らないことだな。所詮、黒猫族の威光など過去のものなのだから」

 そう言うと、フェンネルは、冷たい表情のまま部屋を出て行った。
 残された俺は、びっしりと冷や汗をかいていて、気づいたら震えていたのだった。