【四】初めての晩餐。




 震える手でカップを持ち上げて、一口飲むと、少し落ち着いた。
 深呼吸しながら、俺は「魔法」と呟いた。
 俺はどうやら、魔法が使えないとダメだったようだ……。

 しかもフェンネルは皇帝陛下だったのだ。
 という事は、呼び捨てなんて論外だ。フェンネル陛下と呼ばなければならないだろう。
 これは――普通だったら打ち首かも知れない……。
 俺は青ざめた。体が動き方を忘れてしまったようになり、俺はぼんやりと座っていた。

 そうしたら窓の外が暗くなっていき、夜になった。
 壁に掘られている豪華な時計が、七時を告げた時、ノックの音がした。
 返事をすると、クレソンさんが入ってきた。

「お食事です。ダイニングホールへ参りましょう」
「は、はい!」

 気づいてみたら、お腹がすごく減っていた。

「その前に着替えを」
「着替え? 俺、服は持ってないです」
「――クローゼットの中の衣服は、全てネルライト様のためにご用意させていただいたものです。お好きなものを」
「え」

 驚いていると、クレソンさんがクローゼットを開けた。
 そこには豪華な貴族服が大量に入っていた。

「こ、れを、俺が着るのか……?」
「ええ。似合いますよ、保証します」
「どうやって着るのかわからない」
「――侍従にやらせます」

 クレソンさんがそう言うと、扉の外で控えていたらしい使用人が四人入ってきた。
 そして俺を着替えさせてくれた。俺は、これまでの人生では身につけた事がない、真紅の服を着た。この服も金縁だった。上質な布で出来ていて、着心地が抜群だった。何より、俺のサイズにぴったりで、思わず驚いた。

「どうして俺のサイズがわかったんですか?」
「魔法で測定させて頂きました、馬車の中で」

 俺は、頷いた。全然俺にとっては説明になっていないのだが、わからないと言えなかった……。

 それから――今回は、二十分ほど歩いた。玄関までよりは短距離だが、疲れる。
 上がりそうになった息をこらえながら、白く大きな扉の中に入った。

 そこには縦に長いテーブルがあって、白いテーブルクロスがかかっていた。
 銀色の燭台が載っていて、見たこともない様々な料理が並んでいる。
 左右にいくつもの椅子があり、その前に白いお皿があった。

 ナイフとフォーク、スプーンが並んでいて、サラダとスープだけは最初から置いてあるようだった。他の料理は、自分で好きに取り分けるらしい。

 俺は、巨大なエビに目が釘付けになった。見るのは初めてだが、スパゲッティらしきものもある。貝付きのホタテを焼いたものからは、バターの香りがした。口を半分開けたまま、俺は固まった。視線が料理に釘付けだ。

 そうしていたら、既に着席していた人々が立ち上がった。
 慌てて俺は顔を上げた。
 最初に口を開いたのは、右側の奥の席に座っていた人だった。

 とても綺麗な人だった。流れるような銀髪で、長い髪をしていた。
 瞳の色はラベンダー色だ。

「お初にお目にかかります、ネルライト様。ソフィア=アイオライトと申します」

 睫毛まで銀色だった。とても長い。俺は思わず見惚れた。
 ただ、てっきり女の人だと思ったら、低い声を聞いて初めて違うと気づいた。
 世の中には、こんなに綺麗な男もいるのか。
 そう考えていたら、続いてその正面の、左の突き当たりの人が口を開いた。

「僕は、ソフィア様同様正妃候補のライネル=コスモオーラ。まさか黒猫族の王族の血を引く尊きお方と正妃争いをすることになるとはね」

 ライネルと名乗った赤毛の少年は、俺と同じくらいの歳に見えた。
 だが、なんの話なのか、俺にはよく分からなかった。
 正妃、と聞こえたが、それはお妃様の事ではないのだろうか?

「俺、男です」

 思わず言ってしまった。もう、『黒猫族』というのが俺だというのは理解している。
 黒猫族が何かはまだ分からないが。

「は? 見れば分かるし、僕も男だけど」
「ライネル、ネルライト様は、他国にお住まいだったんです。私達の文化を当然のものとしてはなりません」
「……――そうですね。けどさ、仮にも正妃候補なら、勉強の一つや二つ……」
「ネルライト様、お気を悪くしないでください。簡潔に言うと、森猫族は、九割がオスであり、同時に魔法により子を成せるため、同性同士の婚姻が多いのです」
「え」
「中でも皇帝陛下をお支えする後宮は激務なので、男性が担うのが通例なのです」
「……」
「私とライネルは、フェンネル陛下の正妃候補と言われております。そして今は、ネルライト様も。そうだ、ネル様とお呼びしてもよろしいですか?」
「は、はい。いや、名前は良いけど、正妃? 俺は、そういうのは、聞いてないです。きっとなにかの間違いです」
「イヤミ? 立場的に今一番有利なくせに」
「ライネル、口を慎みなさい」
「ソフィア様もいちいち僕に偉そうにしないでよ」

 優しげなソフィア様は冷静に話しているが、あからさまにライネル様は目を細めていた。なんだか険悪なムードだなと思っていたら、扉側の一人しか座れない縦の最後部分に、俺は座るように言われた。長い長いテーブルを挟んで向うの端にも食器がある。

 しばらくすると、奥の扉が開いた。俺が入ってきた場所とは違う。
 すると二人と、他にもいた人々皆が立ち上がったので、俺も慌てて立ち上がった。
 みんなに合わせてお辞儀をしながら、入ってきたのがフェンネル陛下だと確認した。
 ――俺の真正面の一人用の席に座ったのは、フェンネル様だった。
 距離にして、3mはあるだろう。

 フェンネル陛下は、特に俺を見なかった。
 笑顔に変わったライネル様が饒舌に話しかけると、時折頷きながら、早速料理を食べ始めた。それを合図とするように、みんなが食べ始めた。微笑しながら見守っているソフィア様も、手にワイングラスを持っている。

 そうか――これを、食べて良いのだろうか……。
 俺は思わず泣きそうになった。
 ここ三日ほど、人参ピクルスの薄切り三枚が、毎日の食事だったのだ。
 計画的に食べないと、すぐになくなってしまうのだ。

 ここのテーブルの上の料理だけで、俺は、三年くらい生活できる気がした。
 食べてみたいものだらけで、キョロキョロしてしまう。
 だが、どう考えても量が多い。

 俺は、白身魚のテリーヌを見た。一番美味しそうだった。
 ……本当に食べても良いのだろうか?
 後で支払いを請求されたりするのだろうか?
 こんな高級な料理を目にしたことはないから、俺は戸惑った。
 おろおろしながら、俺の角をはさんで右に座っているクレソンさんを見た。

「どうぞ召し上がって下さい。お気に召しませんか?」
「いえ!! いただきます!!」

 お許しが出たので、ホッとして、俺はナイフとフォークを手にとった。
 実は、テーブルマナーだけは、お母様が小さい頃に教えてくれたのだ。
 お母様は料理が上手だったから、小さい頃にはナイフとフォークを使う料理も、食べたことがあるのだ。

 一口食べたら、死ぬほど美味しかった。
 美味しすぎて死ぬかと思った。
 思わず俺は涙を浮かべた。自然と頬が持ち上がる。

「――上品だな」

 無我夢中で食べていたら、ポツリとフェンネル陛下の声が聞こえた。
 何の話か知らないが、俺には関係ないだろうと思い、俺はテリーヌを食べた!
 美味い!

「返事くらいしろ」
「っ!?」

 続いた声で、俺は、やっと俺に対しての言葉だったのだと気づいた。
 驚いて顔を上げると、呆れたような顔をしたフェンネル陛下が目に入った。

「随分と美味しそうに食べるんだな。それは、そんなに美味いのか?」
「美味いです」
「そうか。おいシェフ、同じものを俺にも」
「はい!!!!」

 俺はそれを眺めてから、再びテリーヌに戻った。
 そして少ししたら、また声をかけられた。

「確かに悪くないな」

 食べるのに夢中である俺は、適当に頷いておいた。
 それから四十分かけて、俺は小皿と同じ大きさのテリーヌを一枚食べ終えた。
 その時、なぜなのか俺に視線が集中していることに気づいた。

「?」

 なんだろうかと、俺は焦った。

「いつもそんなに食事が遅いのか?」
「!! 俺、遅いですか!?」

 いつも一人で食べているため、俺には分からない。
 それにゆっくり食べてお腹をいっぱいにしないと、後が辛いのは俺だ。
 食べるものはちょっとしかないのだ――ここの話ではないが。

「ああ、遅い。で? 次は何を食べるんだ? この分だと朝食になるんじゃないのか?」
「もうお腹はいっぱいです。ごちそうさま」
「――? それだけでいいのか? テリーヌ以外に何か食べたようには見えなかったが」
「? テリーヌを食べました」
「……味は気に入ったのだったな?」
「すごく気に入りました!」
「口調は気を使わなくて良いと許したはずだ」
「あ、ああ……はぁ……」

 本当に良いのか俺は悩んだ。後で不敬罪だとか言われても困る……。

「食べ終わるまで待つのが礼儀だと思ったからここにいたが、仕事が詰まっているからそろそろ行く。気を使っているのならば、残ってもう少し食べるが良い。では、失礼する」

 そういうとフェンネル陛下が立ち上がった。
 人々も立ち上がったので、俺も立ち上がってお辞儀をして見送った。
 そのまま多くの人びとが帰っていった。
 ソフィア様だけが残って、俺を見て微笑んだ。

「ゆっくり食べてくださいね」
「あ、俺、本当にもうお腹いっぱいで」
「――そうですか。旅の疲れもあるでしょうし、無理も良くないですね。今後、なにか困ったことがあったら、いつでもお話してくださいね」

 それから少しの間雑談をした。本当に優しい人だなと俺は思った。
 この人がお妃様の国って素敵そうだなと感じた夜だった。