【七】呪いと召喚獣。




 三日ほどして、俺は全快した。
 なんでも、旅疲れなのか疲労で免疫が弱って風邪をひき、そこに寒さで悪化していたらしい。肺炎になる手前だったそうだ。咳はそれほど意識しなかったのだけれど。

 驚くべきことに、フェンネル陛下が毎日お見舞いに来てくれた。
 忙しいだろうに。何かに責任を感じてしまったのかなと申し訳なくなったものである。 それにしても、弱った時に、誰かがそばにいてくれるということが、こんなに心強いものだとは、俺は知らなかった。

 ――怖い人だが、根は悪い人ではなさそうだ。

 さて、風邪が治ったその日、俺は、フェンネル様に呼ばれた。

「ついてこい」

 そう言われたので、素直にあとを付いていくと、なんと城内を一時間半も歩いた……向かった先は、地下だった。窓はない。床には、本で見たものと似ている、大きな魔法陣が刻まれていた。溝の間には、アメジストの粉が入っているようだった。簡単に言うと六芒星を丸が囲んでいる。

「今から、呪いがかかっているかテストする」
「え、あ……」
「通常ならば、見ているだけでも、一定の文字は覚える」
「俺の頭が悪いんじゃ……」
「どうだろうな」

 陛下はそう言うと、俺の背を押した。少し転ぶようにして、俺は魔法陣の中央に立った。それからフェンネル様が俺の正面に立った。そして俺の首元の紐のリボンに手をかけた。

「へ?」

 するりと解かれて、俺はうろたえた。そのまま、服の胸元をはだけられた。

「動くな」
「くすぐったい!」
「必要なことなんだ」

 フェンネル様は、ポケットから小瓶を取り出し、液体を指にとった。インクのようだった。その青緑色の液体で、俺の鎖骨と鎖骨の間に、三角形を最初に描いた。それから中央に、目のマークを描いた。

「ラ=フォレストキャットが古の叡智の血の盟約の元に命じる、全ての悪意を探知しろ」

 淡々とフェンネル陛下がそう言うと、俺の皮膚の上のマークが光を放った。
 同時に、俺の全身の皮膚がざわりとあわだった。

「わ、わ!!」
「落ち着け、大丈夫だ――出てきたな」

 その声に、気づくと俺の体から、褐色の影が宙へと浮かび上がった。

「な、何これ?」
「言語封じの呪印だ――……狂鼠族の呪いではないな。そこは俺の穿った推測だった」
「……? つまりどういう事だ?」
「おそらくだが、お前は強い魔力を持っているから、迂闊に読み上げるだけでも魔法が発動して危険だということで、言語を封じられていたのだろう。幼児に対して行う場合がある封印だ。しかし普通は解除する。その上、エルライト様も封じていたとすれば、魔力により狂鼠族に居場所を特定されるのを恐れて、あえて封じたままにしておいたのだろうな」
「ええと、じゃあ俺は結局、文字は読めるようになるのか?」
「ああ。封印を解除する」

 大きくフェンネル様が頷いた。それから陛下は、指を二本立てて、ピタリと目のマークの上に置いた。

「探知した邪気を、聖なる世界樹を根拠に祓い去れ、ラ=フォレスト」

 静かな声で、囁くようにフェンネル様が言うと、俺の体から上に何かが抜けていった。その衝撃で、少しよろけると、抱きとめるように陛下が支えてくれた。

「これで良い。もう大丈夫だ」
「ありがとうございました」
「当然のことをしたまでだ。今後を考えた、俺自身のためでもある。さっさと服を直せ」

 顔を背けて陛下が言った。
 俺は頷いて、服を整えた。それから、リボン結びに取り掛かった。
 するとチラリとフェンネル様が俺を見た。

「いつも思っていたんだが、どうしてリボンを歪ませているんだ?」
「上手く結べなくて」
「――文字と一緒にそれも教えてやる」
「え?」

 思わず聞き返したが、フェンネル様は何も言わなかった。
 それから改めて俺を見た。

「それと、一応、護身のために、お前に俺の召還獣をつける」
「ええと……?」
「あくまでも、森猫族の皇帝としての、黒猫族の王族への配慮だ」

 そう言うと、手袋をはめた手で、皇帝陛下が指を鳴らした。
 バチンと音がしたあと、パシンと何かを手に取る音がした。
 そこに現れたものを見て、俺は息を呑んだ。

 ――鞭だった。黒く長い。

「あ……」
「これより召喚獣を召喚する」
「や、やめ」
「怖がる必要はない」

 俺は後ずさった。身が竦んだ。
 そんな俺を、怪訝そうにフェンネル様が見ている。

「……ネル?」
「やめろ、やめてくれ、ぶたないでくれ!」
「何?」
「嫌だ! 俺、何も悪いことをしてない!」
「どういう意味だ?」
「鞭を持ってる! 村長様の茨の鞭とはちょっと違うけど、それは鞭だ!」
「っ、待て、これは、召喚獣の使役用の――」
「嫌だ嫌だ」

 思わず俺は涙ぐんだ。背中の痛みが蘇った気がした。
 両腕で体を抱き、ギュッと目を閉じる。
 恐怖で体が震えた。

「……ぶたれたことがあるのか?」
「悪いことをしたら、普通ぶたれる」
「いいや、鞭打ちの刑など、犯罪者にしか行わない。犯罪者には、胸に烙印が押されるが、お前にはそれがない」
「……」
「何かしたのか?」
「……お水をこぼしたり、歩くのが遅かったり……」

 俺がつぶやくと、フェンネル様が息を飲んだのが分かった。
 恐る恐る目を開くと、忌々しそうな顔をしていた。

「誰がやった?」
「誰って、それは村長様が決めて、村の大人がやるって決まってるだろ」
「――確かにぶたれたんだな? 何度? どこを?」
「一回につき、二百打たれるんだ。背中だ。決まってるだろ?」
「そんな決まりは存在しない。そして、そういったことをした人間を処罰する決まりは存在する」
「え?」
「何回も経験があるんだな?」
「う、うん」
「だとすれば、茨の鞭ならば、痕が残っていてもおかしくない。背中が破れるだろう」
「ああ、そうなんだ。だから、俺を鞭で打つのはやめてくれ!」
「傷痕が残っているのか――……?」
「残るって今陛下も言っただろうが」
「見せろ」
「え」

 フェンネル様はそう言うと、たった今整えたばかりの俺の服をむいた。
 そして俺の背後に回った。

「!」
「……傷の痕なんか見ても、気持ち悪いだろ……」
「すぐにキノコの谷には、騎士団のものを派遣する。根絶やしにしてやる」
「――え!?」
「到底許されることではない」
「ま、待って!? 逮捕するのか!? 根絶やしって!?」
「処刑する」
「え!? そんなのダメだ!! 処刑したら死んじゃうんだろう!?」
「首を落として生きていられる者はいないだろう」
「やめろ、俺の村にひどいことをしないでくれ!」
「っ」
「やめてくれ! 俺をやっぱり鞭で打っても良いから」
「……――俺はお前を鞭で打ったりはしない。そこの椅子に座れ。傷消しの魔法薬がある」

 陛下はそう言うと、壁際の椅子を俺に示した。
 本当に鞭で打たれないのか半信半疑ながらも、俺はそこに座った。
 すると背後に回ったフェンネル様が、パチンと指を鳴らして、軟膏を取り出した。

「っ」
「しみるか? 魔力に浸透するから、傷の記憶が少し痛むかも知れない」
「平気だ」
「そうか――これを続ければ、傷は消える。こんな華奢な体を鞭打ったなどと、到底信じられない。白い肌にこんなひどい傷をつけるだなんて」
「俺が悪かったんだと思う。だから処刑なんてしないでくれ」

 俺は、決して村のみんなが好きなわけではない。
 だが、知っている人が死んでしまうなんて嫌だった。
 丹念に薬を塗ってくれた後、フェンネル様が細く吐息した。

「目をつぶっていろ。召喚獣の呼び出しには鞭が必要なんだ」
「う、うん」

 服を着たあと、言われた通りにすると、風を切る音が聞こえた。

「お呼びですか、ご主人様」
「来たか、クラウゼン――ネル、もう目を開けていいぞ」

 静かに瞼を開けると、フェンネル様の隣に、先程までは存在しなかった、大きな翼の生えた――獅子? 鳥? が、いた。顔と羽は鳥なのだが、体はライオンみたいだった。

「召喚獣だ。グリフォンという種族で、俺がクラウゼンという名を与えて使役している」
「はじめまして」
「はじめまして……召喚獣……言葉が分かるのか」
「ああ。今後、困ったことがあれば、クラウゼンを経由して外部に伝えろ。クラウゼン、護衛を頼む」
「承知しました」

 そう言ったグリフォンは、直後、ポンと白い煙に包まれた。
 そして手のひらサイズになった。驚いてみていると、「失礼」と行って俺の肩に乗った。

「これで当面は安全だろう。とはいえ、くれぐれも注意深く行動するように」
「ありがとうございます、フェンネル陛下」
「……フェンネルで良い」
「へ?」
「陛下は不要だ。俺もお前を殿下と呼ぶつもりはないからな」

 こうして――この日俺の呪いは解けたらしく、さらに護衛の召喚獣ができたのだった。