【十一】金色の瞳の青年。




 痛みを覚悟し思わず目をつぶった直後、ギンと、刃と刃が交わる音がした。
 驚いて目を開けると、狂鼠族の鎌を、俺の目の前で受け止めている青年がいた。
 金色の瞳をしていて、動揺するでもなく、狂鼠族を怖がるでもなく、淡々と巨大な剣で受け止めている。金の糸で刺繍の施された、豪華な黒い外套をまとっていて、手袋も黒だ。

 髪の色も漆黒だ。まるで夜のようなのに、瞳の金色の印象が強い。
 無機質すぎる美貌の持ち主で、背の高い青年は、一種の作り物のように見えた。
 そんな場合ではないというのに、俺は思わず目を奪われた。

 青年は、ギリギリと狂鼠族の鎌の刃を押し返し、それから――消えた。
 消えたと思ったのだが、高速で移動しただけだったようで、すぐに狂鼠族の背後に姿を現して、剣を振った。速すぎて、狂鼠族は対応できないようだった。

 グサリと音がした。俺は思わず目を閉じて、野狐をギュッと抱きしめた。
 雪の上に、血が飛び散ったのが分かった。
 どさりと倒れる音がしたので、うっすらと目を開くと、狂鼠族の体が雪に倒れていた。
 そこから青年が無表情のまま剣を抜いていた。

 それから、青年が、俺に振り返った。俺はその眼光に射抜かれそうになった。

「――大丈夫か?」
「は、はい」

 流麗な声を聞きながら、俺は、夢でも見ている気分になった。
 狂鼠族の存在が非現実的だったというのもあるが、目の前の人物がとても人間とは思えなかったのだ……強いというのもあるが、気配が澄んでいた。

「早く戻ったほうが良い。まだ茂みに数匹隠れている。逃げろ」
「はい!」

 俺は大きく頷き、野狐を抱きしめたまま立ち上がった。
 そして言われた通りに、逃げることにした。
 ここにいるほうが迷惑になるような気がしたのだ。

 少し走ると、前方から、スピネルとクレソンさんが走ってきた。

「ネル! 無事で良かった!」
「お怪我は!? 城で、狂鼠族の魔力を感知して――」
「……」

 彼らの姿を見たら、一気に体に震えが来た。突然、恐怖が押し寄せてきた。
 むしろここまで、恐怖以外のことに気を取られていたのが不思議なほどだった。
 俺は、クレソンさんに野狐を静かに渡し――そのまま倒れたようだった。

 どうやら恐怖で意識を失ってしまったらしい。
 目を覚ますと、自分の部屋にいて、既に夜だった。
 助けてくれた青年のことを思い出しながら体を起こす。一体誰なんだろう?
 お礼を言いに行かなければ――そう思って何気なくソファを見て、俺は固まった。

「あ」

 そこには、昼間助けてくれた青年が座っていたのだ。黒い短い髪と横顔が見える。
 俺の声に気づいたようで、青年がこちらを見た。

「目が覚めたのか」
「はい……あの、助けてくれてありがとう」
「――まだ、害ある魔力が体に残っているようだ。もう少し休んだほうが良い」

 そう言って青年が立ち上がり、歩み寄ってきた。
 それから俺の目の前に、黒い手袋をはめた手をかざした。
 瞬間――俺の意識は睡魔に囚われたのか、暗転した。
 自分の体がベッドに倒れたのと、布団をかけてもらったのをなんとなく覚えている。


 翌朝目を覚ますと、お部屋には誰もいなかった。
 もしかして、お部屋にいたと思ったのは、夢だったのだろうか?
 そんなことを考えていたら、扉が開いた。

「起きたか」
「フェンネル様」
「もう少し早く来たかったんだが、狂鼠族の搜索に追われていてな。無事でなによりだ」
「ありがとう……その、助けてくれた人がいて」
「助けてくれた者? どこの誰だ?」
「ええと、黒髪で――」
「なんだと? 黒髪の宿泊客はいない」
「え?」
「――部外者が城にいるのか? すぐに調べる。今日は部屋から出るな」

 そう言うと、足早にフェンネル様が引き返していった。
 俺が驚いていると、クラウゼンが俺の肩から机の上に飛び乗った。
 珍しい。そして焦ったフェンネル様が開けっ放しにしている扉の方へと飛んでいった。

 あ、逃げてしまう――と、思ったが、小鳥ではなく召還獣だったとふと思い出した。
 愛らしい外見をしているから、ついつい忘れてしまうのだ。

 するとしばらくして、クラウゼンは、クレソンさんの肩にのって戻ってきた。
 クレソンさんは、手当した野狐を連れて訪れたのだった。

「こいつももう大丈夫ですよ」

 俺は微笑んだ。その日から、俺の部屋の住人は、もう一匹増えた。
 同時に――深夜、気配を感じてたまに目を覚ますと、助けてくれた青年がソファに座っているのを目にした。ただ、それは夢かも知れない。なにせ、あんまりにも綺麗すぎるからだ。それに一度も喋った事がない。いつも目が合うと、こちらへやってきて、すると俺はまた眠ってしまうのだ。あるいは眠ってしまう夢を見ているのかもしれない。

 たまに、幽霊だったりするのかな、なんて思うこともある。
 だとしたら、誰の幽霊なんだろう?
 そんなことを考えて過ごすうちに、聖夜の日が近づいてきたのだった。


 聖夜の前々日、晩餐が終わった時、フェンネル様に声をかけられた。

「ネル、この後少し良いか?」
「はい?」
「聖夜祭で、祝詞を読んで欲しいんだ」
「え!?」
「元来、聖夜祭は、黒猫族の祝い事だからな。王城に王族がいる以上、正統な儀式に乗っ取ることが礼儀だと執務官達と話し合った」

 もっと早くそういうことは言って欲しいと俺は思った。練習しなければ。したとして、俺に祝詞なんて読めるのだろうか?

「安心しろ、簡単な文章を読みあげるだけだ。ここに紙がある」

 俺は、フェンネル様に歩み寄り、それを受け取った。
 黒い肉球と王冠でできたマークが刻まれている。
 これは、黒猫族の王家の紋章だとこの前習った。

「黒猫族のお祝いだったんですか?」
「ああ。始祖王と猫獣人族が契約を最初に交わしたの召還獣の契約の日だと聞いている」

 知らなかった俺は、頷きながら紙を見た。
 全部平仮名で書いてあったので、確かに俺にも読める。

「ええと――……『聖火よ、燭台に灯れ。古き友を寿ぐために』」

 試しに読んでみた時だった。
 音がして、テーブルの上の燭台の炎が全て強くなった。

「っ」

 驚いて息を呑んだ時、一斉に壁の、火がついていなかった蝋燭が明るくなった。
 白い炎が食堂中の蝋燭の上で踊っている。
 室内には、他にも、キラキラした銀とも金ともつかない粉のようなものが舞い降りてきてきた。

「――さすがの魔力だな。魔法の燭台に全て、聖火が灯っている……その上、魔力が強すぎて、雪のように視覚化されている」

 フェンネル様が感嘆としたように呟いた。
 食堂中の人々が、あっけにとられた顔をしていた。

「祝詞ってすごいんだな。これ、俺が……俺にも魔法が使えたのか……」
「お前だから出来たんだ。ネル以外がそれを読んでも、何も起きない」
「え」

 驚いた俺にフェンネル様が言った。
 それから俺は、食堂にいた人々に、「すごい」「すごい」と賞賛されたのだった。
 なんだか照れくさかった。こんな風に誰かに褒められたことはなかったのだ。

 嬉しくなりながらも、なんだか褒められることには慣れていないので、急いでお部屋に帰ることにした。恥ずかしかったのだ。

 すると――帰り道で、例のバルコニーがある部屋の扉が僅かに開いているのが見えた。
 誰かいるのだろうか?
 もしかしたら――俺が閉じ込められた件を何か知っている人だったりして。

 そんな風に思って、俺は覗いてみることにした。
 しかし中は無人だった。拍子抜けしながらも、だとすれば、誰かが閉め忘れたのだろうと判断した。見れば、窓も空いている。戸締りしようと思ったが、外に誰かがいたら、俺のようになってしまうからと、確認のために、俺は歩み寄った。

「誰かいますか?」

 念のためそう聞いた時、背後で扉が閉まる音がした。
 だがあくまでも部屋の扉だ。それでもドキッとして振り返った。
 もう閉じ込められるのは嫌だ。
 内鍵で、中にも鍵があることを、思わず確認してしまった。

 それから、吐息して、改めてバルコニーに続く窓を見て――俺は硬直した。
 真正面に――狂鼠族がいたのだ。
 鎌が再び俺に迫っていた。どうして、ここに?

 ――まだ数匹いるという言葉が蘇ってきた。
 刃が空気を切る音がした。後ずさったが、それ以上動くことができず、目前に迫った鎌を俺は見ているしかできない。

「あ……」

 叫ぼうとしたが、声すら出なかった。助けて! そう思った。
 その直後、扉を蹴破る音がして、俺が目を見開いた時には、後ろから強く腕を引かれて抱きしめられていた。一瞥すれば、フェンネル様だった。

「フェンネル様、狂鼠族が――」
「安心しろ、大丈夫だ」
「!」

 フェンネル様の声に視線を戻すと、鎌を剣で受け止めている青年がいた。
 なんの気配もなかった。狂鼠族の嫌な気配と匂いの他には、刃が交わる音がするだけだ。

「まさかこんな所にいるとはな――先日、お前を閉じ込めた誰かの気配もこれと同じだ。使用人に紛れて、ずっと潜んでいたんだ。忌々しい。だが、最後の一匹だ。殺れ」
「御意」

 陛下の言葉に、青年が平坦な声で頷き、剣を振るった。
 ――やはり黒髪だ。宿泊客にはいないと聞いていたが、知り合いみたいだ。
 もしかしたら、お客様ではなく、フェンネル様の部下だったのだろうか?

 俺は怖くてフェンネル様にギュッと抱きついたまま、それを見ていた。
 青年がとどめをさす瞬間は、思わず目を閉じた。

「終わったか」
「ああ。もう城には気配もない。今後の危機はないだろう」
「助かった、クラウゼン」

 その声に、俺は目を開いた。
 ――クラウゼン? 俺は自分の肩を見て、召還獣がいないことに気がついた。

「え?」
「どうかしたのか、ネル」
「く、クラウゼンって……」

 するとフェンネル様が首を傾げた。
 そして――青年が、初めて俺の前で小さく笑った。
 全然印象が変わり、初めて温かみを感じた。

「主、ネルは俺を人間だと思っていたらしい」

 その言葉にフェンネル様がむせた。俺は、恥ずかしくなってしまった。

「まぁ――とにかく無事でなによりだ」

 フェンネル様がそれからそう言った。俺は頷いてから――我に返った。
 思いっきりフェンネル様に抱きついている自分に気づいて恥ずかしくなったのだ。
 厚い胸板にドキリとした。

「だろうな。大切そうに抱きしめている」

 静かにクラウゼンが言った。するとフェンネル様が硬直した。
 そして突き飛ばすように俺を離して、慌てたように離れた。

「ほ、保護しているのだから当然だ」

 フェンネル様はそう言うと、部屋を足早に出て行った。
 残された俺が振り返ると、いつもの姿にクラウゼンが戻っていた。
 考えてみると青年の金色の瞳は、召還獣の羽の色にそっくりだった。