【十一】『興味があるのならば、使ってみるか?』





 馬車に乗り込み、俺は紅茶を二つ用意して、片方をルカス陛下に渡した。馬車の中はとても広い。隣に並んで座り、俺は窓から王都の風景を眺めた。実は、俺は王都から出た事が一度も無い。

 今回向かうフェルスナ伯爵領は、王都に隣接している。内容は、最近完成した橋を見る事とその完成式典への出席、及び名産品を食べるなどしながら、領民と交流する事だと、俺は事前に資料で読んでいた。

 馬車の中では、ルカス陛下は仕事をしていたので、俺は物珍しい風景を眺めていた。それなりの長旅で、俺達は朝出発したのだが、まる一日かけて、夜に到着した。

「ようこそおいでくださいました、我が領地へ」

 出迎えてくれたフェルスナ伯爵は、豊かなヒゲを蓄えている。ふくよかな体を揺らし、柔和な笑みで、まずはルカス陛下に挨拶をした。その後、改めて俺を見ると、更に優しい笑顔になった。

「お初にお目にかかります、オルガ様」

 俺は深々と頭を下げた。返答したかったが、黙っていろと何度も念押しされた事を思い出し、何と答えれば良いのか悩んでしまう。するとルカス陛下が、軽く俺の背に触れた。

「滞在中は、何かとよろしく頼む」

 その後は、フェルスナ伯爵は再びルカス陛下と話を始めた。助け舟を出された気分で、俺はホッとしていた。こうして促され、伯爵邸へと俺達は入る。晩餐の用意がされていて、すぐに食事をとる事になった。名産品の一つだという鶏肉は本当に美味しかった。

 食後、俺とルカス陛下は、当然のごとく同じ部屋へと案内された。少し前の俺にとっては、考えられない対応である。貴族やその館の人々に傅かれる環境に、全く慣れない。王宮や後宮では、元々俺が文官だったせいか、ここまで恭しく扱われる事は無かったのだ。

「……」

 寝台へと歩み寄り、俺はポンとその上を叩いた。後宮のものに負けず劣らずふかふかだが、少し小さい。セミダブルの寝台から顔を上げ、続いて俺は近くのテーブルを見た。そこの上には、いかにも高級そうな深い紫色の瓶が置いてあった。蓋にはアメジストが輝いていて、銀色の装飾が見える。何だろう? 歩み寄り、俺はそれを手に取った。すると甘い匂いがした。香水だろうか?

「陛下、これは香水ですか?」

 瓶を手にしたまま、振り返って俺は尋ねた。すると着替えを終えてソファに座りワインを飲んでいた陛下が大きく咳き込んだ。ワインを吹き出しそうになっている。

「ば、馬鹿」
「へ?」
「お前、なんて物を持って――」
「ここに置いてあったんだ。俺が持ってきたんじゃない!」
「な」
「大体、何でもかんでも、俺を馬鹿扱いして済ませようとするな!」

 ムッとして、俺は瓶を持ったままで、陛下の正面の席へ向かった。そしてテーブルの上のワインのボトルの隣に、綺麗な瓶を置く。

「これ、香水じゃないのか?」
「――どこからどう見ても、香油だ」
「え!?」

 それを聞いて、俺は目を見開いた。

「フェルスナ伯爵が気を回したんだろうな。俺とお前は相思相愛という事になっているのだから」

 俺はその言葉を聞きながら、瓶を凝視した。俺が知っている香油とは、全然違う。さすがは貴族の使う代物だ。俺が過去に見た事がある娼館の香油は、何の装飾もなく変哲もない、牛乳瓶に入った水のような見た目で、無臭だった。ほぼ、ただの油である。こんな風に豪華ではなかったし、良い香りもしなかった。

「貴族は、香油まで、平民とは違うんだなぁ」

 思わず口に出すと、ルカス陛下がワイングラスを持ったまま、動きを止めた。それから、静かに一口飲んだ後、俺をじっと見た。

「もし……そ、その……興味があるのならば、使ってみるか?」
「え?」

 俺はその言葉に、何度か瞬きをした。それから改めて瓶を手に取る。

「ルカス陛下、添い寝サービスは陛下でも出来ると思うけど、マッサージスキルもあるんですか?」
「どういう意味だ?」
「香油は、肩もみの時に使うものですけど」
「――は?」
「確かに最近書類仕事詰めで、俺肩こってるなぁ」

 何度も頷いた俺を、何故なのか遠い目をしてルカス陛下が見た。

「勇気を出して提案して、すごく損をした気分だ」
「勇気? マッサージスキル、やっぱり無いって事ですか?」
「違う。お前が知識まで童貞――未満だと知ってな」
「へ?」
「あるいは娼館で、カモられていたんだろうな、オルガは」
「はい?」

 俺が首を傾げると、不貞腐れたように陛下が続けた。

「本来それは、後孔をほぐすために使うものだ」
「え」
「――寝るかと聞いたんだ。閨的な意味で!」
「!!」

 俺は目を見開き、口も大きく開けた。それから何度も瞬きをしている内に、一気に自分の勘違いが恥ずかしくなってきて、目が潤んできた。顔が熱い。何か言おうと思うのだが、声が出てこなくて、俺の唇は震えるばかりだ。

「そ、そこまで……そこまで赤くなられると、こちらが反応に困る……!」

 するとそんな俺を見て、陛下まで赤面した。俺達は真っ赤になったまま、ずっと顔を見合わせていた。

 結局その日の夜――俺達は、可能な限り距離を取り、お互い背中を向け合って眠る事にした。俺はちなみに、一睡も出来なかった。この日は、陛下も朝まで俺を抱きしめる事は無かった。何せ、陛下も一睡もしていない様子だったからだ。何やら時折呻いていたから、俺はそれが分かった。寝息も聞こえなかったのである。

 ……陛下が悪い。だって当初、俺には閨を求めていないと話していたのだから!

 確かに、そろそろ本来であれば、俺にとっての週に一度の楽しみの日が訪れる頃合なのだが……それとこれとはちょっと話が違うだろう。

 こうして、視察当日の朝を迎えた。