【十三】「お前が、オルガか!」





 城へと戻った夜は、ルカス陛下に指示を仰がなければならない仕事がいくつもあるとして、宰相府から宰相補佐官達がやって来たので、別室で寝る事になった。おそらく陛下はまだ寝ず、仕事なのだろうが、俺は休んで良い事になった。

 翌日も、丸一日休暇が与えられた俺は、レストも眠らせておいてくれたらしく、暫くの間ゆっくりと寝ていた。起きたのは、日が高くなってからの事である。欠伸をしてから起き上がり、窓の前に立つ。綺麗な花が見えた。

 風景に感動する事はある。確かにあった。それも一昨日。しかしこれまで、王宮の庭の花に注意を払った事は無かった。それこそ妃業務で、書類上で目にしたのが、初めて注目した日であるとすら言える。

「少し、実物も見ておいたほうが良いよな。案外花も綺麗だな」

 一人頷いた時、レストが入ってきた。そして朝食の用意をしてくれた。俺は自分でも着られる服をまとってから、ソファに座る。

「なぁ、レスト。庭に出たいんだ」
「どちらの庭園ですか?」
「窓から見える所だから……ええと」
「ああ、第五庭園ですね。ご用意致します」

 こうして食後、俺はレストと一緒に、第五庭園へと向かった。

 ビオラが咲き誇っていた。まだ春というのは少し早い季節だが、様々な花や緑がある。茂みを掻き分けていくと、小さな四阿があった。そこに座り、レストが用意してくれたハーブティを飲む。外で飲むと、それだけで清々しい気持ちになるから不思議だ。

 ――足音がしたのは、その時だった。

「お前が、オルガか!」
「お待ち下さい、フォール様!」

 茂みをかき分けて出てきたのは少年で、俺に向かって小さな木製の剣を突きつけた。レストが立ち上がり、俺の斜め前に出る。が、剣は抜かず、屈んで木刀に触れた。それを追いかけてきた人物は、近衛騎士の正装姿だった。

「離せ、レスト!」
「離せません、フォール様。こちらのオルガ様は、現在の僕の、大切なご主人様なのです」
「ちょっと前まで、お前は僕のお部屋にいたのに! でも、レストはまあ良いや」
「良いやというのも酷いですね」
「本題は別だ! 僕の叔父上を、陛下を、誑かしたオルガとやらの顔を見に来てやった!」

 それを聞いて、俺はカップを持ったまま、困惑していた。空笑いをしそうになった。名前に聞き覚えがある。先代の国王陛下の御子息で、ルカス陛下が次の国王にと望んでおいでの王子様――それが、フォール様である。ルカス陛下甥殿下様となる。確か、御年四歳だ。そんなフォール様から、さらっとレストが木の剣を奪う。しかしそれには構わず、小さな足で俺へとフォール様は近づいてきて、仁王立ちした。

「お前がオルガだろう!?」
「はい。初めまして」

 精一杯、俺は笑った。怒っている子供というのは――何とも愛らしい。俺が誑かしたという誤解には笑ってしまうが、それだけルカス陛下が好きなのだろう。

「僕が、叔父上の妃に相応しいか見極めてやる!」
「ここだけの話、俺、俺自身もふさわしくないと思うんです」
「えっ!?」

 声を潜めて俺が言うと、フォール様が目を丸くした。

「何故そんな事を言うんだ!?」
「ルカス陛下はご立派な方ですから、俺にはもったいないです」
「確かにご立派な方だ。うん。分をわきまえているのだな!」

 フォール様がそう言うと、ポンと頭を撫でるようにレストが叩いた。

「フォール様。失礼です。謝って下さい」
「だ、だって!」
「ルカス陛下がお望みなんですよ? フォール様のせいで婚約破棄となったら、きっとルカス陛下は大層お悲しい思いをされるでしょうねぇ」

 それを聞くと、後ろに居た近衛騎士も大きく頷いた。

「……そうだな。このように優しそうで、謙虚な点は、僕の母上よりも穏やかで良い。僕の母上の方が、明るくて太陽のようだから、僕は好きだが。穏やかな月のような妃も悪くはないだろう」

 少年が太陽や月と持ち出したものだから、俺は咽せそうになった。随分と詩的というか、大げさな比喩だ。しかし俺に、月らしい要素は、果たしてあるのだろうか? そうは思いつつ、俺は思わず微笑した。

「ありがとうございます、フォール様」

 すると目を見開いたフォール様は、それからぷいっと顔を背けた。耳が赤い。何やら照れているようだ。

「もしも叔父上に振られたら、僕が妃にしてやろう!」

 可愛い言葉に俺が吹き出すと、レストと近衛騎士が顔を見合わせていた。
 そして近衛騎士が言った。

「そろそろ戻りますよ。家庭教師が来る時間です」
「あ、ああ。そうだな……また来てやる!」

 その後、近衛騎士に連れられて、フォール様は帰っていった。暫くの間、俺は手を振っていた。すると二人の姿が茂みの向こうに消えてから、レストが俺を見た。

「モテモテですね」
「子供にモテてもなぁ。俺けど、昔から比較的、子供には懐かれるんだよ。ここに来る前に住んでいた家の、隣の子とかも、たまに遊んだしな」
「――ルカス陛下が子供だとは思いませんが」
「ルカス陛下にはモテた記憶が無いぞ? 俺達表向きだから。あれだな、仮面夫婦というやつだ。男同士だから、夫婦というのも変かな」

 俺がそう言って笑うと、レストは腕を組んだ。そして小さく首を傾げる。

「僕から見ると、最近のお二人は、非常に仲がよろしいと思うんですが、違いますか?」
「え? 初日から今まで、特に親しさに変化はない気がするけど」

 何やら俺の回答が不満らしく、その後レストは腕を組んで悩ましげな顔をしていた。
 その後、ハーブティを二杯飲んでから、俺達は第三塔へと戻ったのだった。

 ――この日の夜も、ルカス陛下はお仕事で、王宮で眠るとの事だった。