【十五】「抱き枕コースにオプションは無いのか?」




 その日の夜――俺は、無駄に緊張しながら、ルカス陛下と部屋で合流した。第三塔の俺の部屋に入ると、書類をめくりながら眺めている陛下が、琥珀色の酒を飲んでいたのである。

 ……いつもと同じだ。普段通りの姿に戻っただけだといえる。
 ……しかし何故なのか……じっくりと見てしまう。
 ……陛下には、好きな人がいるのか。

 いたって良いだろう。俺が再び狭いほぼ牢獄に逆戻りするといった状況になるのは困るが、国王陛下にはきちんとした妃がいるべきだし、ルカス陛下が恋をするのは歓迎すべき事態で、俺は構わない。むしろ、俺が何かを言う権利も無いだろう。

 この夜も、同じ寝台に入った。

 ルカス陛下が背中を俺に向けるのはいつもの事だったが、普段は仰向けに眠る俺まで、逆を向いてしまった。背中合わせで横になっていると――ルカス陛下が気になる。結果俺は、チラッチラと何度も視線を向けてしまった。

「なんだ?」
「――え?」
「先ほどから、こちらを見ているだろう?」

 気づかれていたらしい。改めて顔を向けると、ルカス陛下も寝返りを打つようにして、俺の方を見ていた。

「べ、別に……」

 必死で俺が首を振ると、ルカス陛下が不思議そうな瞳をしてから、俺に向かい手を伸ばした。そして軽く俺の腕を引っ張った。目を丸くした俺は、されるがままになっている内に、ルカス陛下の腕に頭を預ける形になった。

「添い寝コースだからな、腕枕程度はしないとな」

 ルカス陛下はそう言うと同時に目を閉じた。

「!」

 唖然として目を見開いたまま、暫くの間、俺は硬直していた。これでは眠れる気がしない。添い寝コースは俺が求めていたものであるはずなのに、ドクンドクンと心臓がうるさく、プロによってもたらされるような安らぎが欠如している。やはり陛下が素人だからだろうか。いいや、違うな。俺の胸が変なのだ。

 そう考えていたのだが、あっさりとその後、俺は眠った。
 翌朝。

「……」

 かなり熟睡して目を覚ますと、ルカス陛下はまだ寝ていた。添い寝コースはいつのまにか終了していたらしく、現在の俺は抱き枕にされている。健やかな寝息を聞きながら、俺は溜息をつきそうになった。ルカス陛下の唇から、目が離せなくなってきたからである。

 少しだけ顔を近づけてみる。陛下は起きない。なので、もうちょっとだけ近づけてみる。やはり起きない。ああ、まずい。このままではキスしてしまう。そう考えて、ハッとした。

 ――あれ俺これ好きになってないか?

 その現実に気がついた途端、胸が一気に騒がしくなった。これは、あれだろうか。最近、右手という恋人を駆使できてないからだろうか。ぐるぐると悩んでみたが、答えがでない。

「ん」

 ルカス陛下がピクリと動き、目を開けたのはその時の事だった。慌てて体をひこうとした俺は、直後腕に力がこもったものだから、動けなくなった。そんな俺をぼんやりと眺めたルカス陛下は――再び瞼を閉じると、俺の額にキスをした。

「!!」

 思わず俺はビクッとして、陛下の体を強く押した。

「ん……ん、ん、ん!? あ」

 すると陛下が目を覚ました。そして陛下も状況に気がついたらしく――瞬時に真っ赤になった。真っ赤のままで、俺達は顔を見合わせる。

「あ、その……わ、悪いな、そ、その」
「寝ぼけすぎだ……俺の純情を返せ!」
「確かに寝ぼけてはいたが――……す、すまない。悪気はなかったが、後悔はしていない」

 そう言うと、ルカス陛下が俺の体をより強く抱きしめた。

「嫌だったか?」
「――俺の恋人は右手だから」
「右手? 右手とは、キスは出来ないだろう?」
「俺は右手を裏切れない。それにキスはできます! ほら!」

 俺が自分の右手の甲に唇を落とすと、ルカス陛下が吹き出した。

「では俺の好敵手は、右手か」
「まだ寝ぼけてるのか? そろそろ俺をからかうの、やめてほしいんだけど」

 必死で俺が話を変えて誤魔化そうとしているのに、今朝のルカス陛下は照れながらも、キスについての話を流してくれない。酷い。俺はルカス陛下を好きになってしまったかもしれないと悩んでいるのだから、これは動揺するなという方が無理だ。

「からかってなどいない」
「じゃあ一体、どういうつもりで好敵手なんて?」
「その――抱き枕コースには、オプションで、朝の目覚めのキスは無いのか?」

 するとルカス陛下の視線が泳いだ。何か他の事を言いたそうだったが、俺の後頭部に手を回し、俺の頭を自分の胸板に押し付け、俺に顔が見えないようにした。今朝の陛下は、少し変だ。

「無いです。無い!」
「作ってくれ」
「無理! そろそろ離して下さい」
「嫌だ」

 そう言うと、更に強く、ルカス陛下が俺を抱きしめた。これはもう、抱き枕コースではない。抱きしめられている。ギュッと後頭部に手が回っているため、俺は顔を上げられないのだが――今はそれにもホッとしていた。我ながら、頬が熱い。今顔を見られたら、真っ赤だとバレてしまう。

「じゃあ、添い寝コースにも、オプションをつけてくれる?」
「何が良いんだ? 何をすれば良い?」
「右手がライバルなんだからやっぱり……」
「っ、それは、あの……触れても良いという意味か?」
「ええ。左の肩を叩いて下さい」

 俺が再び誤魔化そうと決意してそう告げると、ルカス陛下が小さく咳き込んだ。

「あ……っ、と、そ、そういえば、オルガ。妃教育だが」
「ん? はい」

 突然話が変わったので、俺は顔を上げようとした。しかしまだ、陛下の手は俺の後頭部に回っている。

「そろそろ――閨の教育も必要かもしれないな」
「え!? だって、俺には求めてないんじゃ?」
「お前の場合は、もっと一般常識的な部分だ。恋人が行うのは、肩もみでは無い事を知るべきであるし……」
「そんな事は俺だって知ってます!」

 俺が声を上げると、やっとルカス陛下が腕から俺を解放してくれた。抗議をしようと改めて陛下を見たら――陛下も真っ赤だった。寧ろ先ほどの俺よりも、顔が赤いだろう。

「オルガ、その……俺はお前の事が――」

 ルカス陛下が何かを言いかけた時だった。扉が勢いよく開いた。

「陛下! 大変です!」

 扉を開けて入ってきたのは、宰相閣下だった。ガバリと起き上がった陛下は、両目を片手で覆っている。俺も起き上がり、座り直した。そんな俺達を見ると、宰相閣下が一瞬だけ動きを止めた。

「――あー、急に入って申し訳なかった。ただ、緊急事態なんです」

 結局、ルカス陛下が何を言おうとしたのかは、分からなかった。