【十七】「さすがはお妃様……お綺麗ですね」





 その後は普通に(なってきた)書類仕事を二日こなし、俺はヴァレナード侯爵家の夜会の日を迎えた。いつもより気合を入れてレストが俺の服をビシッと着付けてくれたような気がする。

「普段通りとは言わないけど、ちょっとこれは派手すぎないか?」
「いいえ、よくお似合いです。それに、形から入るのも重要ですので」

 レストはそう言うと、いつもと同じようにクスクスと笑った。だがいつもとは異なり、その瞳は心なしか険しい。本日の俺の服装は、まるでルカス陛下の着ている服のごとく上質だ。着心地は――あまり良くない。高いシャツを初めて着た時は、着心地が良いと思ったが、ここまで高級になってくると、若干息苦しさがある。

 このようにして準備を終え、俺はルカス陛下と共に、王家の馬車へと乗り込んだ。すると馬車が走り出してすぐ、隣に座っているルカス陛下が、そっと俺の左手を握った。

「不安か?」
「いえ、別に」
「……少しは不安だろう?」
「いいえ、特に」
「緊張はしていないか?」
「それは、してますよ。だって俺、平民だからそもそも貴族のお屋敷になんて行った事が無いですし、夜会って言われてもピンと来ないから」

 俺が素直に答えると、何故なのかルカス陛下がホッとしたように息を吐いた。

「緊張が解けるように、手を握ってやろう」
「え?」

 ルカス陛下がギュッと右手に力を込めて、俺の左手を握り締めた。その温度を意識したら、そちらの方によほど緊張してしまう。ルカス陛下は、なんて優しいんだろう……。

「本当はただ手を握りたかっただけだなんて、気づかないでくれ」
「陛下。それは本音? 冗談か?」
「いつもは人の話を聞いていなかったり、鈍い部分があるのに、どうして今は聞きとめたんだ」

 苦笑したルカス陛下を見て、俺はそんな心当たりは無かったので首を捻る。どちらかといえば、鈍いのは陛下だ。何せ、だんだん俺は陛下を好きになりつつあるのに、全く気が付いていなさそうである。だから優しくされたり、温度を感じると、俺の心臓は騒ぎ立てて大変なのだ。

 そうこうしている内に、馬車がヴァレナード侯爵家へと到着した。陛下は、俺の手を取ったまま、馬車から降りる。俺は離そうとしたのだが「エスコートだ」と言われた。

 ……。

 男でもエスコートは、されるものなのだろうか?

 疑問に思ったし、周囲もこちらを見ているから、頬が火照ってきたが、俺は俯いて誤魔化し、そのまま降りた。

 こうして会場に入ると、既に多くの貴族達が来ていた。ルカス陛下は、真っ先にヴァレナード侯爵とミルゼ様のもとへと向かった。大勢に挨拶をされていたから、俺はすぐに、二人が主催者と帰省中のお客様なのだと分かった。実際、非常に美しい女性がそこにいたから、評判は正しかったんだなとも同時に考えた。

「お招き感謝する、ヴァレナード侯爵」

 その後、ルカス陛下が挨拶を始め、俺を紹介したので、俺はきちんといいつけを守り、黙ったままで深くお辞儀をした。何度か話しかけられたが、首を縦か横に振る事で答えた。すると、ミルゼ様に言われた。

「寡黙でおしとやかなお妃様なんですのね」

 目を惹く微笑だった。三十代後半なのだろうが、とても若々しく美しい。思わず俺が見惚れていると、ルカス陛下が俺の足を踏んだ。軽くだったが、痛かった。抗議しようと顔を上げると、ルカス陛下は口元にこそ笑みを浮かべていたが、とても冷ややかな目で俺を見ていた。

「お母様、叔父様、遅くなりました!」

 そこへ声がかかった。視線を向けると、早足で一人の少年がこちらへやってくる所だった。何というか――天使みたいな美少年である。金色の髪をしていて、瞳は緑色だ。肌は白く、急いでいるせいなのか,頬だけが紅潮している。十三歳くらいだろうか?

「ユーディス、ご挨拶なさい」

 ミルゼ様が少年の肩に触れながら、俺とルカス陛下を見た。

「国王陛下とオルガ様ですよ」
「! お、お初にお目にかかります」

 少年は、声まで麗しかった。しかも礼儀正しい。これが王子様か。俺はロイヤル力を感じた。思わずポカンとしてユーディス殿下を見ていると、再びルカス陛下に足を踏まれた。今度こそ俺は声を上げようと思ったのだが――その直前に、ユーディス殿下に手を引かれた。

「さすがはお妃様……お綺麗ですね」
「ああ、この服?」

 俺は自分の胸元を見た。レストが気合を入れて結んでくれたリボンが揺れている。

「違います、オルガ様が、です」
「ん?」
「それに優しそう」
「俺?」
「僕一目惚れした……」

 それを聞いて、思わず俺は吹き出した。屈んで、背の低い少年を見る。

「ユーディス殿下はお上手ですね。光栄です」
「本気です! あ、あの! ほっぺで良いので、キスして良いですか?」
「え?」

 可愛いなぁと思った。俺はやはり、子供にモテるらしい。そう考えていたら、グイと首に手を回され、ルカス陛下に引き寄せられた。

「ダメに決まっているだろうが」
「ほっぺに、ちょっとだけです!」
「ダメだ。オルガは俺の妃だぞ」
「わかってます、ちょっとだけ出会うのが遅かったんだ、僕は……」

 子供相手にムキになるルカス陛下が面白くて、俺は思わず笑ってしまった。すると不機嫌そうな顔で、陛下が俺に向き直る。

「きちんと断れ」
「――ユーディス殿下。ごめんなさい。ほっぺも無理です」
「それで良い」

 ヴァレナード侯爵とミルゼ様は、そんな俺達を見て微笑んでいた。
 その後は、挨拶回りをして、食事をした。
 宰相閣下が心配していたような、嫌味も何もなく、側妃になりたいという話もなく、実に平和に、夜会は終了したのだった。