【二十一】「登山気分はどうなった?」
朝風呂に浸かりながら、俺は両手でお湯をすくった。昨夜の事を思い出すだけで――顔がニヤニヤしてしまう。まさか、ミスを修正した書類から、こんな展開が待ち受けているとは、たった少し前の事だというのに、俺は考えてもいなかった。むしろ、一生狭い部屋にいるのだと思って、退屈だと思っていたのが嘘のようだ。現在の毎日は、刺激に満ち溢れている。
白い大理石の浴槽の、蔦の意匠を眺めながら、俺は頬を緩めた。
入浴後、テーブルの前に座ると、美味しそうな食事が並んでいた。もう昼食の時間も過ぎている。用意をしてくれたレストは、俺の前に冷たい水を出してくれた。ミントとレモンが入っている。
「それで、オルガ様」
俺がデザートのグレープフルーツを食べていると、レストが言った。
「昨日はどうでした?」
「っ」
「嬉しそうなお顔をなさっておいでですが」
「俺、興奮しすぎて鼻血とか出てきそうだ」
再びニヤニヤしてしまいながら俺が言うと、クスクスとレストが笑った。連日ずっと共にいるせいか、それとも彼自身が話しやすいからなのか、俺はレストにはなんでも言えてしまいそうな気分になっていた。
「聞いてくれ。プロポーズされたんだ」
「なるほど。それは公には出来ないというか、順番を過去の事にして公開すべきというか、公的には既にプロポーズは行われた事になっていますからねぇ。ただ、良かったですね」
「うん」
「僕も仕事とは言え、お二人を見ていると、心から応援したくなっていたので、嬉しいですよ。しかしオルガ様も陛下もどちらかといえば奥手に思えたので、きちんと実った事に安堵もしております」
それを聞いて、俺は更に頬を緩めてしまった。我ながら気持ち悪いくらいに、ニヤニヤしている自信がある。
食後、ご飯を食べたら俺は、また眠くなってきた。俺はそれなりに体力はあると思うのだが、まだ昨夜の感覚が体に残っている気がする。
「レスト……眠い」
「お休みになられては?」
「うん。ちょっと寝てくる」
俺はそう告げて、寝台へと向かった。せっかくお風呂上がりに着替えたのだが、寝巻きに変える気力はない。そのまま俺は、寝台にダイブした。そして、毛布を抱きしめて考える。――一人で寝るのは、なんだか寂しい。俺はすっかり、隣にルカス陛下の体温がある寝台に慣れていたらしい。しかしそのまま俺は、爆睡した。
次に目を覚ましたのは、よい匂いがした時だ。
「ん……」
瞼を開けると、夕食が用意されていて、レストとルカス陛下が話をしていた。俺が起きた気配に、揃って二人がこちらを見た。ルカス陛下は俺へと歩み寄ってくると、起き上がるのを手伝ってくれた。腰を支えられて思ったのだが、俺はそこまで軟弱ではないので、甲斐甲斐しく世話をされなくても大丈夫だ。が、確かに腰には違和感が有る。
「体は平気か? 登山気分はどうなった?」
「もうほとんど大丈夫」
そう答えながら、俺は時計を見た。俺がお昼寝してから、そこまで時間が経っていなかった。まだ午後の六時だ。
「今日は、陛下は早かったんだな」
「執務を高速で終わらせた。早くオルガに会いたくてな」
「……俺も」
俺も会いたかった。だから素直に頷くと、陛下が破顔した。それからは、一緒に夕食にした。レストは途中まで色々と出したり手伝ってくれたのだが、食事を開始してすぐに部屋から下がっていった。なので陛下と二人きりだ。
「オルガ、もうすぐ白薔薇祭があるだろう?」
陛下は鶏肉をナイフで切りながら、そう言って微笑した。白薔薇祭というのは、この国の建国記念日だ。国全体が祝日となり、様々なイベントが行われる。平民の間では、白い薔薇と好きな本を愛する相手に贈る恋人同士の行事という色が濃い。
「例年、王宮では夜会を開いているんだ」
「文官もその準備にいつも駆り出されていたけど、当日はお休みだったから、あんまり詳しくは知らなくて」
「今年は、俺の妃として出て欲しい。まだ候補、となっているが、それはあくまでも予算のためだ。俺は、時期を早めたいほどだ」
頷きながら、俺はスープを飲む。この王国の料理には、食べる順番の規則は無い。俺は毎晩出てくる料理の中でスープが一番好きだから、お皿を大きくしてもらった。本日は、黄色いクリームスープだ。玉蜀黍を裏ごししているらしい。
「本当は、二人きりで過ごしたいんだがな――多くの民衆は恋人同士で過ごすんだろう?」
「陛下はお立場が違うからなぁ」
「そうだな。それを不幸だと思った事は無い。ただ、少し羨ましくてな。俺ももっと、オルガと一緒に過ごしたい」
「陛下、いきなり甘い言葉ばっかり言うようになると、俺困る」
嬉しくてにやけて食事にならない。スプーンを持つ手が震えてしまう。
「だってお前が嬉しそうな顔になるんだからな、オルガを喜ばせたい身としては、いくらでも言えてしまう」
「陛下はどうしたら喜ぶんだ? いつもと変わらなく見える」
「そうか? 今日は宰相や異母弟に、機嫌がいいなと終始言われていたぞ」
それを聞いて、俺は宰相閣下と王弟殿下の顔を思い出した。思えばあの二人が、俺を左遷的な処分にやって来たのが、始まりだった。
「俺はお前がいてくれるだけで、気分が良い」
「俺だって、ルカス陛下が何も言わなくても、一緒にこうやっているだけで気分が良いです」
そんなやりとりをしてから、俺達は顔を見合わせて笑った。その後は、白薔薇祭の打ち合わせを兼ねながら食事を終える。やっぱり相思相愛って良いなぁと思ったのだった。