【七】夜会と視察がフラグでないことを祈る。
俺は十五歳になった。
前世ではあと十年ほどで幽閉されたのだが、この当時は全然そんな事を考えていなかったな……。
薬草の栽培は順調に進んでいる。
俺が知る限りの解毒薬、感冒薬、傷薬などを栽培している。
前世と比較すれば、この薬草園の内部だけでも、少なくとも十年分は医学が発展していると言えるだろう。ただちょっとだけ不安ではある。進めることでおかしな変化が起きたらどうしたものか。いいや、発展していくのはいい事だと祈ろう。
最近目立った変化はといえば……父からたびたび視察に行って欲しいと言われる事である。考えてみれば王族の仕事は分担しないとこなせないし、兄は当然この歳の頃には視察に行っていたわけである……。まぁ、俺は安定して、病弱を理由に断っているのだが。
兄はといえば、十九歳になった。
俺の背はいまだに伸びる気配がないが、兄は高い。前世では、俺はこの時期、背が伸びないことがコンプレックスだった。今ではずっと子供のままでいたいとさえ思っている。だがそんな俺も十五歳。今年は夜会デビューだ。
新しい服を仕立ててもらったりしながら、俺は当日を迎えた。
「これはこれは第二王子殿下……! 実に麗しい」
本日はダンスは義務ではないため、美姫に囲まれている兄を壁際から眺めていた時だった。
恰幅の良い貴族が一人、俺に歩み寄ってきた。誰だろうか。服装から貴族だとは分かるのだが、残念ながら俺の記憶にはない。
その貴族は……不意にガシッと両手で俺の右手を握った。
「ぜひ一度ゆっくりとお話させて頂きたかったんです」
「はぁ……?」
「想像していた通り、絹のような肌……!」
そう言うと男は俺の手に唇を近づけてきた。
俺は呆然とした。その時だった。
「貴様、気安く俺の弟に触るな!」
いつの間にかそばにいた兄が割って入ってくれた。た、助かった……!
ウィズは俺の手首をきつく握ると歩き始めた。足をもつれさせながらも慌ててついていく。すると王族用の休憩室へと入った。ここまで来れば安心だ。
そう考えていたら、兄が俺の肩に手を置いた。そして腰を折って覗き込んできた。
「どうしてそんなに無防備なんだ……お前に言えばいいわけじゃないとは分かっているけどな! 言わずにはいられない」
む、無防備? 悪いが俺は、どこから刃物を向けられようとも避け切る自信があるぞ……? 一体何の話だ? そう思っていたら、兄の顔が近づいてきた。
目を伏せた兄の唇が真正面にある。
困惑して硬直していたその時だった。
「ウィズ様、フェル様、先ほど騒ぎがあったようですが、大事ないですか?」
コンコンと、開け放たれていた扉を二度叩く音がした。見ればユーリスが立っていた。
「ち、違う、べ、別に、キ、キスしようとしていたわけじゃないんだからな!」
兄はそんなことを叫ぶと走り去った。腕を組んだユーリスは、それを見送ってから、俺に対してにこやかに笑った。
「また一つ、貸しですよ」
「……え?」
「まぁ俺も愛しのフェル様のキスシーンなんて見たくないので」
「は?」
「俺はともかく、ウィズ様の愛は実に深そうですね」
ユーリスはそう言うとクスクスと笑った。俺は必死で現状理解に努めた。
まさか……な……。
ブラコンだブラコンだとは思っていたが、兄とはちょっと距離をおいたほうがいいんじゃないのか……?
そんな夜だった。
――視察に行って欲しいと再び頼み込まれたのは、その数日後の事だった。
お風呂に入りながら俺は考えた。
前世では魔族を倒しまくっていたため、視察になど行った事はない。だから一回くらいは経験として行ってみようかと、思わない事もないのだ。フラグになりそうで怖いのだが、もし今後父や兄の手伝いをして国を支えるとすると未経験も辛い。多分、一生ひきこもっているわけにはいかないからだ……。三年に一回くらいはどこかに行ったほうがいい気もする。
そんな事を考えていたら、俺はのぼせた。
「殿下! フェル様!」
うっすらと目を開けると、近衛のライネルが、裸の俺を抱きかかえてソファに降ろしてくれたところだった。天井がグルグルする。濡れタオルを当ててもらい、俺はその日はそのまま休んだ。そばでライネルがずっと護衛してくれていたのだった。
さて、その一週間後。季節は真夏。
俺は結局視察をする事になった。ライネルと、他には俺が体調を壊した場合及び参拝先での手続きのためにユーリスが来た。初めてのおつかいみたいなものだと周囲に説得されて、俺は視察に来た。今回は三人だけである。
向かった先は、王都の外れ――北の森の中間にある始祖王の塔だ。
視察というよりお参りである。
「フェル様」
その時ライネルが立ち止まり、俺の前に腕を出した。
何事かと思った時、俺は塔の正面に倒れている人物を視界に捉えた。
待て……俺はこいつを見た事がある。誰だ?
倒れている人物に歩み寄ろうとした。
茂みが揺れたのはその時だった。
ライネルが剣を抜いたのを見た時には、俺はユーリスに抱きしめて庇われていた。
……魔族だった。
狼とライオンを融合させたような、黒い体躯をしていた。
しかし出てきたのは一体だけで、ライネルの敵ではなかった。
だが俺は思わず首を捻った。
この辺りには、遺跡群が多いため、魔族の侵入を防ぐ結界があったはずだ。
一体どうしてこんなところに魔族が……?
「魔族に襲われた以上、早めに帰還すべきだと思いますが――その者をどうしますか?」
ユーリスに聞かれたので、俺は腕を組んだ。ライネルは剣をしまっている。
確かに他にもいるかもしれないから帰ったほうがいいだろう。
そこで俺は再び倒れている青年へと視線を戻した。肩幅が広く焦茶色の髪をしている。意識はない様子だった。ヒゲも髪もボサボサである。
「……連れて帰ろう」
「このような不審者をですか? ライネルも同意見ですか?」
「それをフェル様が望むのならば」
「しかたありませんね……」
このようにして俺達は青年を拾い、森から出た。
それにしても誰だったかな。会ったのは前世だ。前世を知るのはラクラスだけだが、ラクラスは人間の顔をあまり覚えていないから期待出来ない。
賢者ならば知っているだろうか? ああ、でも俺は、あいつの居場所を知らないな。
帰還後、王宮の客室で俺は、眠っている青年を見ていた。
彼が目を覚ましたのはその時だった。
「……った」
「目が覚めたのか?」
「腹が減った」
とりあえず腹ごしらえかと思った。空腹が何よりも辛い事を俺はよく知っている。幽閉された当初など餓死を覚悟したものだ。
食べ物を運ばせると、起き上がった青年がガツガツと食べ始めた。
すごい勢いだったが、意外なことに、華麗なるフォークとナイフさばきだった。身なりからは想像もつかないが、貴族以上の階級だろうと判断できる。
その後俺は、侍従達に風呂と身支度の世話を頼んで自室へと戻った。
そして翌朝また出向いた。
結果、呆気にとられた。そこにはこれまでの人生で見たことがないほど整った顔立ちの青年が立っていたのだ。ポカンとした。
「昨日は助けてくれた事、感謝する」
響いた声に、えっ、と思った。昨日拾った青年か、これ! 本当に?
目を疑った。
と、同時に俺は相手の事を思い出した。金色の瞳を見て確信する。
こいつ……隣国の皇帝だ。いや、前世で就任したてだったから、今はまだ皇帝ではないだろうが。残念ながら、俺は外交知識がほとんどない。たまたま父の葬儀で見かけただけだ。
……ここで仲良くなっておいたら、最悪の事態が来た場合、亡命させてくれたりしないだろうか……。
「俺はハロルド。旅人だ」
「フェルだ」
しかしどうしてこいつはあんな場所にいたんだ?
あそこは観光名所でもなんでもない。
第一魔族がいたのも気になる。
とりあえず、ハロルドとは少し話をしてみようと思ったのだった。