【八】ハロルド(次期隣国皇帝)との雑談と、人間関係の再確認をしようではないか!
「ゆっくり休めたか?」
俺は侍従に紅茶を入れてもらいながら、テーブルに座し、そう聞いた。
正面に座っているハロルドは微笑している。
――……普通の口調で良かったんだろうか……?
今更ながらにそんな事を思っていると、侍従の手により正面に紅茶が置かれた。
そのカップを手に、ハロルドが目を伏せて笑みを深くした。
「お前のおかげでな。ありがとう」
短い礼の言葉に、安堵して細く息を吐きながら、俺は告げた。
「好きなだけ滞在して良いからな。俺の客人として」
恩を売っておいて損はないだろう。俺は、いざとなったら隣国に亡命する!
そのために親交を深めなければ。そんな打算の他、俺には好奇心もあった。
「ところで――どうしてあんな場所にいたんだ?」
単刀直入に切り出すと、目を開けたハロルドが僅かに首を傾げ、じっと俺を見た。
金色のその瞳に、吸い込まれそうになる。男にも、綺麗と形容するのが適した人物がいるのだなと思った。
「俺は歴史――古代に興味があるんだ。中でもワールドエンドは、この大陸で最も古く、始祖王は、魔族の王を撃退したという伝承がある。近年魔族は力を強めている。俺はその理由が知りたくてな。手がかりを探しているんだ。だからラクラスを従えたという第二王子殿下に謁見したい。ここは王宮だろう?」
響いた声に、俺はカップを置いてから腕を組んだ。俺がラクラスを従えたという噂は、もう隣国にまで広まっているのか。あまり目立ちたくはなかったが、親交を深めたい相手だ。嘘をつく気も起きなかった。
「俺だよ」
「……そうだったのか。これも『運命』かも知れないな。時間がある時で良い、色々と聞かせてくれ」
穏やかな口調でハロルドは言ったのだが、『運命』などという仰々しい言葉を放った時、その単語にだけ力がこもった気がした。
とりあえず俺は、ラクラスを上手く制御出来ている事は隠し通したい!
「自分の意志ではまだ制御できないんだけどな。それに座学ばかりで、全然詳細は知らないし、自分でもどうして喚び出せるのかすら分かっていないんだ。それでも構わなければ、分かる範囲で答えるぞ」
無難にそう答えておくと、ハロルドが微笑したまま頷いた。
「ワールドエンド王国は、本当に不思議な国だな。各地に魔力が溢れかえっている」
「俺は魔力に関しても全然使えないから、何も参考になる事は言えないかもしれない」
「構わない。話せただけでも、光栄だ」
それから俺達は、暫しの間雑談をした。たわいもない国の話しや遺跡の話だった。
実際俺には遺跡の知識はほとんど無かったから、実のところは聞いていたに等しい。
自分の国の事を他国の人間の方がよく知っているというのは、少しだけ新鮮だった。
俺達が紅茶を飲み終わった時、ユーリスが入ってきた。
「フェル様そろそろ時間です。お戻り下さい」
「ああ、分かった。今行く」
時間というのは、薬草を煎じたものを貰う、夜の八時のことだ。
気づけば俺とハロルドは、夜の七時半すぎまで話し込んでいた。
これまでいっさい遺跡になど興味がなかった俺だが、ハロルドの話は実に興味深く面白かった。俺でさえ知らないワールドエンドの神話を絡めた遺跡の話に聞き入っていたのだ。
今でも日に一度俺は、ユーリスから薬草茶を貰うため、名残惜しかったが、席を立つ事にした。
「また色々と聞かせてくれ」
「ああ。楽しかった。滞在を許可をしてくれた事、本当に感謝する」
頷いた俺は、それから客室を後にした。
一歩後ろを進むユーリスと、一歩前を先導する近衛のライネルの間で足を動かしながら俺は考えていた。俺は前世で、様々な事を知っている気がしていたが、世界は存外広い。
もう少し話しがしてみたい。
――そんな思考が途切れたのは、自室の前に着いた時だった。
ポツリとユーリスが呟いた。
「珍しい旅人ですね」
「ああ、そうだな」
顔を上げた俺は、腕を組み、僅かにユーリスが目を細くしたところを見た。
「彼は旅人と名乗っていましたが、恐らく隣国バーラルドの貴族以上の人間ですね」
まさか気づいているとは思わなくて、俺は目を瞠った。
前世で顔を知っていなかったら、俺でさえ分からなかったと思う。
「どうして分かるんだ?」
「アルバースは、バーラルド帝国からも輸入をしていますから」
隣国の名を淡々とユーリスは口にした。やはり、ユーリスは侮れないと思う。
もしも、だ。
ユーリスは、味方であるならば、誰よりも心強いのかも知れない。
だが、俺の中でコイツはやはり敵なのだ。
俺の亡命計画を頓挫させられたら困る。
俺には、ユーリスが鋭く腹黒い事は分かっているが、何を考えているのかだけはさっぱり分からない。今世の人生的には分かりたいが、あまり深く知りたいとも思えない複雑さがある。ただ、本当に侮れないなとだけは思っている。
自室へと戻り薬草茶を飲み、ユーリスが退出した直後、俺は寝台に体を投げ出した。
部屋の外にはライネルが待機してくれているのが分かる。
――それにしても最近、俺を取り巻く人間関係の変化は著しい。
毛布を握りしめてゴロゴロしながら、俺はそんな事を考えた。
前世では、この辺りから、本格的に、王位継承戦は始まっていたのだと思う。
少し思考を整理しようではないか。
特に、前世で俺の処刑に関わった人々の事と、王家の事だ。
まずは俺の家族――王家の人間だ。
なんと言っても、まずは俺が絶対的に死を阻止する父王陛下の事を思い出す。
癒し系最高峰……物理的な怪我のみに有効な召喚獣を持つ父は、穏やかな治世をしている。父は俺が幽閉される前に没しているから、直接的に俺の処刑に関わる事はあり得ない。父に対して俺が出来る事は、その命を救う事だけだ。
次に、なんと言っても忘れてはならないのは、正妃様だ。
現在の正妃様は、大変優しく慈悲深い。
けれど王位継承戦争の時は、俺が知る限りヒステリックにひたすら兄の擁護をしていた。
愛する父王の死と、可愛い息子――つまりウィズの立ち位置に精神を病んでしまったのだと思う。だから俺が知る正妃様と、現在の正妃様は、対角に位置するほど違う。
正妃様とアルバース子爵家との関係は、古かったと記憶している。数代前に分家したのだったか。ユーリスが宰相になる時の後ろ盾でもあった。俺としては、今のままの優しい正妃様のままでいて欲しい。そのためにも、出来るかぎりのケアをしたい。
そして何より母上だ。
まだ、生きてくれている。それだけでも俺は幸せだ。母は優しい。俺はマザコンというわけではないが、出来る事ならば、その優しさに報いたい。兄上と俺が仲違いしないかぎり、母は今後も幸せに生きてくれるのではないかと思っている。それを願っている。
――今後もしも俺が処刑されるような事態が訪れたら、母は泣いてくれるだろうか。きっと悲しんでくれる気がした。絶対にそんな思いはさせたくはない。
さて……他に気になるのは、父の側妃の中でも男性筆頭のナイラ様だ。
ナイラ様は、俺が処刑される事が決まった時、正妃様についた。この二人が声高々に俺の処刑を唱えていたことは覚えている。今世ではまだ一度も会っていないが、出来る事ならば会わずに過ごしたい。それとも先に会って、仲良くしておくべきなのだろうか。女性と見まごうほど美しい青年で、最も新しい側妃だ。歳は兄よりも少しだけ上だったと記憶している。本当に父の博愛主義はすごい。元々ナイラ様は宮廷に来た吟遊詩人だった。
それから王族で俺の処刑に賛同したのは、第三王子である俺の弟だ。処刑の話が出るまで、俺はほとんど話したことがなかった。正直兄上と俺のせいで空気のような扱いだった。悪いが、それが周囲の評価だった。別に俺は好きでも嫌いでもなかった。言っては悪いが、興味が無かったのである。今世でも茶会で顔を合わせて時折話す程度だ。だが……悪い奴だとは思えない。
今後再び未来が変わり、俺が処刑されるとすれば、関わってくる王族は彼らだろう。
次に、最重要危険人物だ。
紛れもなくその筆頭――それは、ユーリス・アルバースだ。
今世に限っては、ハロルドの事も気になるが。
少なくとも彼らの動向をそろそろチェックしておくべきだ。
――今のところ、近衛のライネルと冒険者のガイルと医術塔のナーガスは信頼してもいいと思っている。
そうだ、今後の未来の出来事も再整理しよう。
そう思い俺は、寝台から起きあがった。近くの机へと向かう。
そして羊皮紙の束の前で、羽ペンをインクにつけた。
覚えている限りの、今後の出来事を記しておこうではないか!