【二】死ぬかと思った(十歳)





「そうか。ゼルス殿下のご学友に内定したのか。それは光栄なことだな」

 会場から出て、帰りの馬車で待っていた父に合流し、僕が報告すると、形だけは父も喜んでくれた。だが父は、僕をまじまじと見ると、すぐに別の事を口に出した。

「結界が少し甘かったのではないか? 私が外から、もう一回り大きいものを張っていたとはいえ」
「申し訳ございません」
「気を付けるように」

 父は非常に厳しい。
 僕は頷いた。ちなみに僕は、生まれつき膨大な魔力を持っていたらしいのだけれど、魔術に興味が、実はあまりない。物心つく前から叩き込まれているが、それは他の礼儀作法や語学――それこそラズラ語などと差異はない。だがこちらも、将来的に公爵家を継ぐには必要な事であるし……両親が厳しいので口答えが出来ず、僕は頑張っている。

 こうして帰宅した後、この日はゆっくりと休んだ。

 その後は訓練と、入学前の宿題や準備に追われながら過ごし、次の新年を待った。
 今回は、家族を交えてのご挨拶となる。
 両親がいるので、僕はあまり話さなくてよい。母が特に社交的だ。なお母はエゼキリア公爵家が結界を張る役目をしている事は知らない。王族でも直系男子が場合により聞くだけなのだという。僕は嫌な予感がしたので、この日カバンに、入学前の宿題の中にあったラズラ語の課題の写しを忍ばせていた。母の挨拶が済み、父がいつも上辺で浮かれているちょっとお人よし風の気さくな公爵の顔になった。すると、いつもは声をかけてこないゼルス殿下がまっすぐに僕を見た。

「カルナ、次の春から同じ門をくぐる者として、少し二人きりで話がしたい」
「かしこまりました」

 僕が頷くと、周囲が微笑ましそうな顔をしていた。第二王子殿下のアクス様は作り笑いで目が笑っておらず、第三王子殿下のラーク様は何も気づいておられない様子だ。僕は促されるままに、ゼルス殿下と隣の部屋へと向かった。

「ラズラ語の宿題はどうした?」
「こちらに」

 やはりなと思いながら、僕は鞄からノートを取り出した。するとそれを奪うように手に取り、それから猫のような目をスッと細くして、ゼルス殿下が不機嫌そうな顔になった。

「三行目の問い二が間違っている」
「申し訳ございません」
「十行目の自由記述が空白だぞ?」
「申し訳ございません」
「まぁ及第点だな。これは貰っておく。あと数問は、意図的に間違っておけ」
「かしこまりました」

 僕が頷くと、ゼルス殿下が頷き返してきた。ゼルス殿下は、宿題をする気はないのだろうが、ラズラ語は僕と同じくらいかそれ以上に堪能だ。出来るのならば自分でやればいいのにと、僕は思ったが勿論言わない。

「戻るぞ。余計な事はいうな」
「承知しました」

 こうして僕達が戻ると、新年の会食会が始まった。

 帰宅した僕は、ラズラ語の宿題に消しゴムをかけて、言われた通りにミスをしておいた。自由記述はこちらには書いてあったのでそのままだ。問い二は修正した。

 こうして入学式に臨んだ。
 王立学院は久しぶりに王族の皆様が、それも三人も入学なさるため、非常に臨戦態勢だった。僕の結界魔術に関しては、学院職員は知らないが、近衛騎士と一部の護衛には通達されているらしい。多分ゼルス殿下はまだご存じない。

 名前を呼ばれ、席につく。
 僕は会場の警備に穴がないかを検討しながら、今年の首席入学者の名前を聞いた。

「ゼルス殿下」

 予想通りだった。勉強だけはできるのだ。宿題はしないが、筆記試験はお手の物の様子である。まぁ王家で英才教育を受けているのだから、納得の結果ではある。ちなみに僕は二位だった。第二王子殿下が三位である。第三王子殿下の成績は低かった。

 その後学院長挨拶などがあり、この日は保護者懇談会となったので、僕達新入生は帰宅させられた。

 帰ってから、僕はそのまま魔術の訓練をさせられた。なお僕は剣技は学ばない。唯一、護身・自害用の短剣の扱い方を覚えているのみだ。物騒だが、普段の僕は、結界なんてそ知らぬふり、魔術すらも扱えないような素振りで、無力な公爵令息として、穏やかに風景の一つとなり、いざという時にお守りできる立ち位置を確立する事を望まれている。

「次は一か月後……」

 王立学院は、十歳になる歳から十五歳になる歳までは、月に一度通うのみ、基本的に人脈作りの場である。十六歳から、その頻度が少し増える。そして十七歳から専門課程や留学・遊学などを経て、二十歳から一年間ほどまた通う事になる。専門課程は騎士科や魔術師科があるが、僕は領地経営専攻に進むはずだ。その頃には、同年代の子供しか入れないような場所は激減するため、今度は少しずつ距離を置くようにするらしい。

 まぁ魔術さえ巧く展開できていれば、僕は大丈夫だろう。
 そう願った。


 ――一か月経過する前に、ゼルス殿下と再び顔を合わせる事になったのは、王宮から茶会に招かれた結果である。こんな事は、過去には一度もなかった。僕が一人きりで個別に呼び出しを受けたのは、これが初めてである。

「来たか、カルナ」

 本日はゼルス殿下の私室にて、お茶を振る舞ってもらう事となっていた。初めて入った部屋は子供らしさのかけらもなくて、唯一くまのぬいぐるみのみが風景から浮いていた。

「古語の宿題もお前に任せる事に決めた」
「……光栄です」
「それと次の通学では体力測定がある。少し相手をしろ」
「はい」
「そこに木刀がある」
「……木刀……ですか……」
「使っていい。俺も使う」
「……ですが、殿下にそのような、危険です」
「俺が許可している。これは命令だ。第一、お前に俺が負けるわけがないだろう」

 どこから来るんだその自信はと言いたくなったが、実際僕は剣の方は学んでいない。侍従達も僕の方に木刀を持ってきたため、おずおずと受け取った。この部屋は広いので、木刀で軽く打ち合うくらいなら確かに可能だ。

「こい」
「……失礼いたします」

 僕は怯えつつ、見よう見まねで振りかぶってみた。
 すると即座に打ち払われて、そのまま絨毯に押し倒された。後頭部をぶつけた僕は泣きたくなった。殿下の木刀は、僕の顔の真横の床に突き立っている。そこで気づいた。殿下の方は、木刀ではなくて、本物だったようだ。ゾクっとした。

「相手にならないな」
「申し訳ございません……」
「まぁいい。許す」

 殿下が僕の上から退いた。僕は激しい動悸に襲われながら、なんとか立ち上がる。

「しかしお前は、退屈な奴だな。謝るか頷くかしかしないのだから」
「申し訳ございません」
「表情一つ変えない、か」
「……」
「今後も大人しくしていろ。俺に逆らう事だけはしないように」
「はい」
「下がれ」

 こうして僕は解放された。文字通り、死ぬかと思った。