【十九】来訪






 とりあえず俺は、クリスティーナとダイクを応援するべきだろう。
 そう考えながら部屋へと戻り、この夜は眠った。

 翌朝、身支度を整えて、俺は本日の日程を確認した。降嫁に備えてツァイアー公爵家の歴史を学ぶという予定があるが、端的に言えばただの読書だ。他には、国王陛下からの呼び出しがあるが、こちらはルゼフ叔父上が来る件についての話だろう。昼食の誘いでもある。それらを頭に入れてから、俺は新聞を見た。最初に見たのは、天気予報だ。

「次に会ったら雪の話だな」

 朝になるとすっかり融けていたが、話題になる事には変わらない。
 ――……って、何故俺はシュトルフとの話題探しをしているんだ。自覚したら赤面してしまいそうになった。完全に無意識だった。

 その日の昼食は、やはりルゼフ叔父上がやって来るという話だったが、俺は心ここにあらずだった。なんという事だ……。翌日は迎賓館の最終確認を俺が担当したが、気になるのは窓の向こうばかりだった。決してシュトルフが気になるわけではないと、俺は自分に対して言い訳しながら、流れる雲を見ていた。

 こうして三日が経過し、ルゼフ叔父上が客人を伴って訪れた。
 俺、ダイク、リュゼル叔父上、そして国王陛下で出迎えた。王族総出だ。というのも、想像通りで、ルゼフ叔父上が連れてきたのは、ファイアマギア王国の第三王子ヴォルフだったからだという理由が大きい。ヴォルフ殿下は二十四歳、長い燃えるような赤髪を後ろで結っていた。

「ご紹介致します。ファイアマギア王国第三王子ヴォルフ殿下です」

 ルゼフ叔父上は、出迎えの礼を述べた後、ヴォルフ殿下に視線を向けた。つられて俺もそちらを見ると、翡翠色の瞳と目があった。ヴォルフ殿下はじっと俺を見ている。強い眼光に戸惑いつつ、俺は――必殺、王族スマイルを浮かべた。

「お初にお目にかかります、アクアゲート王国第一王子、クラウスです。こちらは弟で第二王子のダイクです」

 既に国王陛下の紹介は済んでいる。そこで俺が案内役を務めた。続いてリュゼル叔父上の事も俺は紹介した。ヴォルフ殿下は頷きながらそれを聞いた後、一歩前へと出た。肩幅が広く、筋骨隆々としている。

「ヴォルフ=エアリス=ファイアマギアだ」

 よく通る声で述べたヴォルフ殿下は、俺に向かって手を差し出した。ファイアマギア王国には握手文化がある。俺はそれを知識として知っていたので、右手を差し出す。すると――ガシリとヴォルフ殿下が両手で、俺の右手を強く掴んだ。え?

「推し……! 俺の推し!! 本物だ!」
「は?」

 思わず俺は間抜けな声を出した。周囲もポカンとしている。それまでの険しい表情が嘘のように、ヴォルフ殿下の顔がドロドロに蕩けた。

「てっきり今頃追放されていると思っていた」
「な」

 その時小声で言われて、俺は虚を突かれて目を見開いた。

「婚約破棄をしたと聞いた時、断罪されてしまったのだろうと……今は幽閉中なのかだとか、ずっと悩んでいたんだ。あああああ俺の推し! 本物!」
「待ってくれ、ヴォルフ殿下。それは一体どう言う意味だ?」

 俺は顔が引きつった。推し……? それはちょっとよく分からないが、明らかに今、ヴォルフは『断罪』と言った。つ、つまりそれは、俺同様『前世の記憶』があるという事では無いのか?

「悪い、取り乱してしまった。その――クラウス殿下。心配は不要だ。俺が全力でお守りする! ファイアマギア王国は、貴方の亡命をいつでも歓迎する」

 俺達が小声でやりとりしているのを、周囲が不思議そうに見ている。俺はダラダラと汗をかいた。

「兄上から離れてくれ。兄上は亡命なんてしませんし、ファイアマギア王国には行きませんので。そもそもクラウス兄上は、降嫁を控えた大切な身。クラウス兄上には既に、お守りするシュトルフ卿がいる」

 そこへダイクが声を挟んだ。全てではないのだろうが、声が一部は聞こえていたようだ。俺が顔ごとダイクに顔を向けると、ダイクは俺の肩を掴み、強引に引き寄せた。

「俺は主人公属性は無いんだ。黙っていてくれ、ダイク殿下」
「先ほどから、何をごちゃごちゃと意味が掴めない事を口走っているんだ、ヴォルフ殿下は」

 俺はさり気なくヴォルフの手を振り払い、ダイクの斜め後方まで下がった。

「しかしシュトルフ……? シュトルフは、クラウスの天敵のはず。何がどうなっているんだ?」

 ブツブツとヴォルフ殿下が呟いている。やはり俺と同じ記憶を保持しているように思える。するとその時、ルゼフ叔父上が咳払いした。

「我国の第三王子殿下が失礼をした。昔から、少しヴォルフ殿下は風変わりな部分があってね。クラウス殿下もダイク殿下も、生温かい目で見守ってほしい。何故なのか昔から、会った事など一度もないのに、クラウス殿下のファンらしくてね」

 ルゼフ叔父上がそう述べると、リュゼル叔父上が目を細めた。

「仮にも私の息子の婚約者に手を出そうとしているように見える点、抗議させてもらうよ。ルゼフ、これは兄としていうが、許さないからね」
「怒らないで欲しいね、リュゼル兄上。シュトルフとクラウス殿下の熱愛が事実ならば、多少ヴォルフ殿下が戯言を口にしたとして、問題は無いだろう?」

 そのやりとりを見ていると、国王陛下である父がクスクスと笑った。

「懐かしいな。リュゼルとルゼフのやんわりとした口喧嘩は。兄としていつも――胃が痛い思いをしていた」

 多分本音なんだろうなと俺は思った。
 しかし――ヴォルフ殿下は、決して風変わりなわけではないと俺は確信した。俺に蘇ったものと同じ記憶を保持している可能性が非常に高い。ざわざわと胸が騒ぐ。動悸が酷い。

 歓迎の晩餐会は夜開かれる事になっていたので、その場はそれでわかれる事になっていたのだが、俺は終始ヴォルフ殿下に注目していた。なんでも日中は、宰相閣下とリュゼル叔父上とルゼフ叔父上は外交の話をするらしい。国王陛下はご公務だ。ダイクはこの後は、王立学園に行く。その間、ヴォルフ殿下は迎賓館で旅疲れを癒す事に決まっていたのだが、順当に考えて、俺が接待するのは不自然ではない。寧ろそうすべきだろう。

 何より、二人の場所でじっくりと、記憶について聞きたい。

「では、そろそろ解散とするか」

 国王陛下がそう述べた時、俺は王族スマイルを再び浮かべた。

「それでは俺は、ヴォルフ殿下のご案内を」

 するとリュゼル叔父上とダイクが、あからさまに俺を見て眉を顰めた。
 ヴォルフ殿下の表情のみが、パァっと明るく変わった。

「ああ、よろしく頼む、クラウス殿下。ルゼフ卿、俺の事はあとはクラウス殿下にお任せして、外交に尽力してくれ」
「……ヴォルフ殿下、失礼がないように」

 ルゼフ叔父上は少し疲れたような声をしていた。
 こうして、俺達はそれぞれ別行動をする事になった。