【二】最果ての闇森での調査
ちなみに僕は、バルミルナ帝国の魔導騎士団に所属している。宮廷魔術師の籍もあるが、帝国では騎士団の方がより実戦が多い。戦略的な攻撃魔術を用いる事が多いので、僕は専ら魔導騎士団の方で仕事を与えられている。
その為、朝は、ユーゼ父上と共に、ベルス侯爵家地下の転移魔法陣を利用して、皇宮まで出勤する。僕は幼少時はリファラ山地居住区画という場所に住んでいたのだが、帝国に引っ越してきてからは、ずっとそうだ。日中は皇宮の敷地で訓練をし、小さい頃は早く帰宅するとルツ父様に魔術を習っていた。休日はユーゼ父上に習っていた。習い終えた現在では、日中は魔導騎士団で鍛錬するか働いている。働くというのは、転移魔法陣を用いて、最果ての闇森の帝国担当分まで移動し、そこに素喰う魔獣達を討伐するという事である。
魔獣は皆巨大で、第三の目というものがついている。第三の目が弱点だ。魔術にはSSSを最高とするランクがあるのだが、やはり高威力のSSSランク魔術でなければ倒せない魔獣は多い。
「今日も気をつけるように」
皇宮についた所で、ユーゼ父上が僕の肩を叩いた。僕は笑顔を返す。父上は、とても優しい。ただルツ父様に対するほどは、僕達子供には優しくない。ユーゼ父上は、人生の優先順位の一番がルツ父様みたいなのである。僕は、宰相府に向かって歩いて行く父上を見送った。
それから自分の勤務地である、魔導騎士団本部を目指す。朝は通勤してきた人々で、皇宮は混雑している。僕は、表情を引き締めた。僕は、我ながら情けないほどに、内気だ……。家族がいないと、上手く笑えない。表情筋があんまり動かない部分は、ルツ父様と親子で間違いないと思う。だが、ルツ父様は別にあがり症というわけではないようだ。僕の場合は、あがって緊張するがための無表情である。
だって、仕方が無い。そもそも宮廷魔術師も魔導騎士も、本来であれば二十二歳以上しか在籍資格も入段資格も得る事は出来ないのだ。特例で試験を受けて、受かってしまった僕は、周囲に同年代の人間がゼロなのだ……。みんな、大人だ……。
「ゼリル様、おはようございます」
本部につくと、僕が所属する魔導騎士団第一部隊の副隊長、カースさんが声を掛けてきた。僕は引きつった顔で頭を下げる。
「……おはようございます」
「ゼリル様は、今日も固いな。おはよう」
すると隊長のヴァイルさんに笑われた。カースさんは二十七歳、ヴァイルさんは三十四歳だ。僕よりも、父上達に近い外見年齢をしているような気がする。実際、父様達は四十代だ。かつ二人ともすっごく若々しいから、ヴァイルさんとそんなに変わらない。
……二人は、僕を、『様』と呼ぶ。それは僕が侯爵家の人間で、現皇帝陛下の実弟で、さらには王国の国王陛下の従弟で、天球儀の塔の主席魔術師の弟でもあり、現宰相閣下の末息子だから――であるのだろう、多分。やっぱり僕の周囲の人々はキラキラしている。
僕自身への評価ではないのが、悲しい所だ。
「そうそう。今日は、いつもよりも奥深くまで、最果ての闇森を調査する事になっているんだった」
ヴァイルさんが、焦げ茶色の髪に手を触れながら、僕を見た。無精ひげが生えている。がっしりした体格の魔導騎士だ。
「ゼリル様には、その担当を頼む」
「よろしくお願いします」
穏やかな声で、カースさんが続けた。片眼鏡をつけている双剣士だ。カースさんは、魔術は使わない。僕は一応、剣も魔術も使えるが、どちらもそんなに好きというわけじゃない。
「調査には、天球儀の塔からはライゼ様、王国からはラゼッタ=セルカが出ると聞いている。安心だろう?」
ヴァイル隊長の声に、僕は小さく頷いた。ライゼ兄上が来るならば、危険は無いだろう。それにラゼッタは、リファラ山地居住区画で一緒に育った幼馴染みだ。現在王国で宮廷魔術師をしている。
「作戦開始は午前十時からです。それまでに現地に移動をお願いします」
「分かりました」
頷いた僕は、それから時計を見た。現在、午前九時半である。別に、もう現地に行ったとしても、早いと言う事は無いだろう。そう考えて、僕は移動魔法陣へと向かう事にした。
最果ての闇森の南の滝のそばに、帝国が設置した転移魔法陣が存在する。皇宮の魔法陣から森の魔法陣に転移した僕は、魔法陣が放っていた光が収束してから瞼を開けた。
「ゼリル!」
すると直後、後から抱きつかれた。勢いが強すぎて、前に転びそうになる。
「会いたかったぞ! 元気だったか?」
「ラ、ライゼ兄上……」
「俺は元気だったけど、ゼリルに会いたすぎて寂しかった!」
僕は思わず苦笑しながら振り返る。すると今度は、正面からライゼ兄上が僕を抱きしめた。ライゼ兄上は、昔からスキンシップが激しい。ライゼ兄上は、ルツ父様そっくりのアーモンド型の大きな瞳をしていて、スッと通った鼻筋はユーゼ父上に似ている。
……ルツ父様も美しいが、僕は世界で一番顔面造形が整っているのは、ライゼ兄上ではないかと度々思う。今も、周囲がライゼ兄上を見て、ポカンと口を開けている。周囲というのは、既に帝国から到着していた魔導騎士団の先遣隊の人々だ。
「お兄ちゃんが来たからには心配はいらない。不要! 無用! 俺が責任を持って、ゼリルを守るからな!」
「……う、うん」
「なんなら調査は、俺がサクッと終わらせるから、この後食事でもしないか?」
「……調査は、その……一応、三カ国共同で……」
「気にするな気にするな。どうせ天球儀の塔からは、公国に適当な報告しかしないしな」
「ライゼ兄上、仕事はきちんとしないと……」
「ゼリルは本当真面目だな。俺、そういう所が誇らしいよ! 大人になったな! 兄上、嬉しい!」
ライゼ兄上がより腕に力を込めて、僕を抱きしめた。感無量みたいな顔をしている。ライゼ兄上は、何かと過保護だ……。
「合流場所に行かないと。十時からだよね?」
「ん? ああ、そうだな」
僕の言葉に、ライゼ兄上が手を離してくれた。仕事でもなければ、年に数回しか会えないわけだが、僕が魔導騎士団に入ってからは、前よりも頻繁に顔を合わせるようになった。そんなライゼ兄上であるが、僕を幼子だと思っているようで、今も僕の手を握って歩き始めている。なんで手を繋いで歩かなければならないんだろう……。明るいライゼ兄上は、若干ルツ父様に似て、天然っぽさがある。悪気はゼロだと分かるのだが……。
「ライゼ様! それに、ゼリル! 久しぶり!」
暫く歩くと、開けた場所に、ラゼッタが立っていた。ラゼッタは僕と同い年だ。ラゼッタは二人兄弟で、ラゼッタのお兄ちゃんは、ライゼ兄上と同じ学年である。
「ラゼッタ! 久しぶりだな!」
ライゼ兄上が、僕から手を離すと、今度はラゼッタに抱きついた。ラゼッタはニコニコしている。
「ラゼッタも大きくなったな。俺は嬉しいよ!」
「やだなぁライゼ様。先週もお会いしましたよね? 俺、身長変わってないですよ?」
「そうだったな。ま、でも? まだまだ伸びるんじゃないのか?」
「確かに先月から見れば、また2cm伸びました」
cmという単位は、稀人が異世界からもたらした概念である。僕の身長は、173cmで停止した。ラゼッタは僕と同じくらい、ライゼ兄上は178cmである。僕は、もう伸びないみたいだ……。
「じゃ、行くか。俺に任せてくれ」
ライゼ兄上が仕切り直すように言った。普段は明るい兄上だが、やる時はやる――それが兄上だ。真面目な顔になると、兄上は普段の明るさが吹き飛ぶ。ルツ父様の方のもう一人のお祖父様に、そっくりだ。王国で宮廷魔術師長をしているフェルクスお祖父様も、普段は明るいが、やる時はやるタイプなのである。ライゼ兄上の根本的な性格はフェルクスお祖父様に似たらしい。別々に暮らしても気性は遺伝する事があるのか、と、ラインハルト様が研究対象にしようとしていたと聞いた事がある。
その後は三人で、魔王の繭の方へと向かった。目視出来る距離までは近寄れない。瘴気が強すぎるからだ。魔王の繭と人間の住む国々側の間に、三カ国及び天球儀の塔が共同で設置した結界のそばまで行って、調査は行うのだと、歩きながらライゼ兄上が教えてくれた。魔王の繭のそば――最果ての闇森の奥の調査をするのは、まだ僕は二度目である。その時もライゼ兄上が一緒だった。
「瘴気がまた強くなってるな」
結界まで到着した時、ライゼ兄上がスッと目を細めた。ラゼッタが宝石製の杖を握りしめる。僕は左手にはめていた手袋をはめ直した。この手袋は、『ヴェルリスの左手』と呼ばれる、帝国魔導騎士団の正装の一つだ。帝国では、魔術に杖は用いない。杖を使うのは、宝石から削り出した長い杖を使う王国の魔術師と、ゴツゴツした木で出来た杖を使う天球儀の塔の魔術師が多い。なお公国の宮廷魔術師は魔導書を用いる。帝国では、魔導書も用いない。帝国魔術は魔導媒体を必要としないのだ。
――僕は、王国魔術のルツ父様と、天球儀の塔由来の魔術を使うユーゼ父上に習ったから、杖を使う事も出来るのだが、普段の訓練で無媒体を覚えてからは、そちらばかり使用している。
「ライゼ様、俺、吐きそうです」
「安心しろ。瘴気を遮断する結界を個別に展開したから、すぐに収まる」
呼吸をするようにライゼ兄上が、魔術を使った。僕はいつの間にか自分の周囲に風の結界が現れたものだから、本当にすごいなと思ってしまった。天球儀の塔の魔術師は杖を使うが、普段は無くても良いらしい。そこは帝国にちょっと近いのだろう。
「ゼリルは平気か?」
「大丈夫」
「よし。では、調査を開始するか」
こうして調査が始まった。瘴気や魔力濃度の測定、特異に変化した植物の採取等を行っていく。ライゼ兄上の指示に従い、僕とラゼッタは行動した。
それらが終了したのは、午後六時頃の事だった。