【四】結婚について







 暫くの間、そうしていた時の事である。

「そういえば、僕は最近、結婚するように促されているんです」

 ルイス兄上が思い出したように言った。驚いて視線を向けると、ルイス兄上は相変わらず微笑していたが、瞳だけ笑っていなかった。その目がユーゼ父上へと動く。ユーゼ父上は顎で頷いた。

「当然だろうが。君は帝国皇帝なんだぞ。ルイス陛下。さっさと身を固めろ」
「ユーゼ父上が誠に有能な宰相なのであれば、僕の前にこの人以外番いだとは考えられないという魔力色と香りの持ち主を連れてきて下さい」

 ルイス兄上が笑顔のまま、しかしどこか冷たい声で言った。
 この世界では、魔術により同性妊娠する。魔力色や香りにより、『番い関係』というものが定められている。番い同士でなければ、子供は生まれないらしい。実際には、高位の魔力色はほぼ黒に近づくから、強い魔力の持ち主同士ならば、誰でも番いになれるらしいのだが。

「順番でいうのなら、僕よりもライゼ兄上が先に結婚するべきでは?」
「え? 俺? 天球儀の塔はそういうの自由だしなぁ……」
「自由とは言え、確かにそれもまた一理ある。実際、ルツが俺と結婚したのは、二十一だ。ライゼも今年二十一だな」
「ち、父上! 俺は魔術に打ち込みたいから――」
「僕も魔術に打ち込んでいたけど、ユーゼ様と夫婦になって幸せだよ」

 ルツ父様が惚気た。多分、惚気たという自覚は無いだろう。素直に、率直に、言ったのだろう。するとユーゼ父上が満面の笑みになった。

「俺も幸せだ。ルツと伴侶になれて」

 どうしたらこんな風に終始甘ったるい二人でいられるのだろうか。僕は不思議だ。その時、ルイス兄上が僕を見た。

「ゼリルはどうなのですか?」
「え?」
「そうだな。ゼリルだって十七、今年十八だもんな。帝国貴族の適齢期だ」
「え、え……」

 僕は、我ながら悲しい事に、コミュ障だ。生きてきた十七年間、一度も恋なんてした事が無い……。モテた事も無い……。みんな僕の事は遠巻きにする。

「ベルス侯爵家の次期当主だからな。腐るほど縁談の打診はある」
「え!?」

 ユーゼ父上の言葉に、思わず僕は声を上げた。完全に初耳だった。

「俺としては、ゼリルにも早く身を固めてもらいたいが」
「……」
「ゼリルにお嫁さんが来るの? それとも、お婿さんが来るの?」

 その時、ルツ父様がするりと言った。瞬間、その場に沈黙が溢れた。
 ……。
 そ、そうなのである。僕は身長も体重もごくごく平均的であり、生ませる側にしては頼りなく、かといって生む側にしてはがたいが良いという、非常に中途半端な体格なのである……。

「俺としては、どちらでも構わん。ゼリルはどちらが良い?」
「え……」

 ユーゼ父上の言葉に、僕はナイフを持ったままで硬直した。

「僕としては、ゼリルはてっきり産むのかと思っていましたよ」

 ルイス兄上が言う。僕は、自分がどっちなのか、自分でも正直分からない。

「俺は分からなかった。ゼリルって本当どっちか見た目からは分からないな」

 ライゼ兄上が吹き出した。僕は俯く。

「ライゼ兄上とルイス兄上は、どっちなの?」
「僕は帝国皇帝としては生ませる側の方が数を作れるので良いかもしれないとは思っていますが――帝国には後宮制度があるので。ただ、番いだと確信出来る相手であれば、僕が産んでも構わないと考えています。相手次第です」
「お、お、俺は! 俺は! 魔術一筋だから、そういう事は聞かないでくれ!」

 ルイス兄上は理路整然と微笑しながら、ライゼ兄上は挙動不審になりながら、それぞれ答えた。兄弟だから分かるが、ルイス兄上の言葉は多分本心だが、ライゼ兄上は既に分かっている気がする。ライゼ兄上は激しく照れると挙動不審になるのだ。ルイス兄上もそれを察知したようで、半眼になった。

「ライゼ兄上、もしかして、好きな方でも?」
「い、や、な、なな!? なんでだよ!?」
「動揺っぷりが……僕、別に反対しませんし、紹介して下さいね?」
「ルイスが反対しなくても、ユーゼ父上とルツ父様が……」
「なんだと? 俺が反対するような相手なのか?」
「僕が反対する場合は、ラインハルトくらいのものだよ」
「ち、違うから! 別に俺はラインハルト様が好きなわけじゃない!」

 なるほど、ラインハルト様なんだろうなぁ、と、僕は思った。僕は反対してもしなくてもどうでも良いのだろうが。なお、家族全員が、僕と同じ見解であるようだった。

「ラインハルトだと? まさかあいつ、ライゼに手を出したのか?」
「ち、違う! ユーゼ父上、違う!」
「ラインハルトに酷い事されてない?」
「されてないから! ルツ父様、ち、違うから!」

 ライゼ兄上が焦っている。しかし……ラインハルト様は生む側には見えない。ライゼ兄上も見えない。どっちが産むんだろう? それとも子供は儲けないのだろうか?

「何処まで進んだんですか?」

 ルイス兄上が笑顔で聞いた。瞬間、ライゼ兄上が真っ赤になった。この赤面の仕方は、ルツ父様によく似ている。

「……だ、だから、ち、違……」
「片思いという事ですか?」
「……」
「黙ったという事は、付き合っているんですか?」
「……!」
「ライゼ兄上は嘘が下手すぎます」

 ルイス兄上は容赦ない。たたみかけていく。どんどんライゼ兄上は真っ赤になり、泣きそうになっていく。ユーゼ父上とルツ父様はそれぞれ険しい顔つきで視線を交わしている……。

「俺の事よりも、ルイスの結婚の話だろ!?」
「僕は自分の事は自分でどうにかできます。既に政略結婚予定分に関しては、ピックアップ済みです」
「なんだと? 宰相府には連絡が無いが?」
「ユーゼ父上を驚かせようと思いまして」
「よくやった。あとでそのリストを寄越せ――とはいえ、恋愛は人生を豊かにする。番いに関しては、政略関係を抜きに、真面目に検討するように」
「皇宮で仕事をしっぱなしですので、出会う機会がありません。国の美姫全員を集めた夜会でも企画してもらえませんか? 宰相閣下」
「検討しておこう。それで? ライゼ。ラインハルトの側は本気なのか?」
「話を戻さないでくれ! ラインハルト様は誠実な人だよ!」

 ライゼ兄上が叫んだ。僕はそれを見ながら、珈琲を飲む事にした。

「ラインハルトが、誠実……」

 ルツ父様がぼそっと言った。ユーゼ父上が片手で目を覆っている。

「あの馬鹿。まさかライゼに……」
「待ってくれ、二人とも! 師匠は何も悪くないんだ! ラインハルト様は無罪だ!」
「では誰が悪いんですか? 誰が有罪なんですか?」
「聞いてくれルイス。全面的に俺が悪いし、罪に問われるならば俺だ」
「ライゼ兄上が? 一体何をしたのですか?」

 ルイス兄上が微笑したままで問いかける。するとユーゼ父上とルツ父様も、じっとライゼ兄上を見た。

「……そ、その。その……だから、あの……――師匠が、研究で三日徹夜して爆睡してる所に、キスしたんだよ、俺が! 俺が寝込みを襲ったんだ! キスしちゃったんだ!」
「キスして、それで?」

 ルイス兄上が続ける。ユーゼ父上とルツ父様はチラチラと視線を交わしている。

「それだけだ! で、でも! キスをしたら子供が出来るかもしれないだろう!?」
「「「「は?」」」」

 僕達四人の声が重なった。ただ一人だけ、ライゼ兄上がきょとんとしている。

「ライゼ兄上、子供はキスだけでは出来ないと、僕は閨の講義で習いましたが」
「――え!?」
「ラインハルトは、ライゼに性教育をしなかったの?」

 驚いているライゼ兄上を、ルツ父様が不思議そうに見ている。

「性教育って……え? キスをしたら、普通子供は生まれるよな?」
「――ゼリル。どう思う? 父として、末息子の知識を持ってして、常識を判断したい」
「……生まれないと思います、ユーゼ父上」
「よろしい。ゼリルには常識があってホッとした」

 ユーゼ父上の言葉と僕の回答に、ライゼ兄上が目を丸くした。

「じゃあ俺には子供は出来ていないって事か?」
「残念ながらな。それで? 状況を詳しく説明しろ。ラインハルトは何と言ったんだ?」
「俺がキスしたら、子供が出来るからこれ以上はキスしちゃだめだって言ったんだ……まずは恋人として付き合わないとしちゃ駄目だって……でも俺、その後もキスしたんだ。師匠が寝てる時に勝手に……」
「つまりまだ、付き合ってはいないのか?」
「? 付き合うって、どうやると付き合えるんだ?」

 父上の言葉に、ライゼ兄上が首を傾げた。するとルイス兄上が吹き出した。

「そこからですか、ライゼ兄上。まずは言質を取らないと」
「え、ルイス? 言質って何だ?」
「『付き合って下さい』『はい』という口約束をしましょう」

 ルイス兄上が笑っている。ユーゼ父上は片目を細めている。ルツ父様は珍しく眉間に皺を寄せている。

「分かった! すぐに天球儀の塔に帰って、言質を取る! 俺、帰る!」

 するとライゼ兄上が立ち上がり、さっと消えた。瞬間転移である。超高難易度のSSSランク魔術だ。四人になったその場で、僕達は一拍間を置いた。

「ライゼ兄上は、純粋ですよね。僕、そこがたまらなく馬鹿っぽくて可愛いです」
「ルイス。確かにライゼはおかしな部分で頭が悪いが、その評価はどうなんだ?」
「だって父上……馬鹿な子ほど可愛いって言いませんか?」
「分かる。それは分かる」

 ルイス兄上とユーゼ父上が頷き合っている。それから二人は揃って吹き出した。するとルツ父様が咳払いした。

「二人とも。ライゼの一大事なのに、どうして笑ってるの?」
「わ、悪い、ルツ」
「ラインハルト様なら良いではありませんか」
「ルイス……僕もライゼの気持ちは応援したいけど……ラインハルトは、番いの香りを作り出せるんだよ、人為的に」
「――それで、ライゼ兄上が騙されていると?」
「それは分からないけど……心配だよ」

 今度はルイス兄上とルツ父様が話し始めた。僕は終始珈琲を飲んでいた。そんなこんなで、晩餐の予定時間が終わりを迎える頃になった。すると、ルイス兄上が僕を見た。

「それで、ゼリル。貴方は、真面目な話、結婚についてはどう考えているんですか?」
「え……」
「特に予定がないのであれば、政略的な結婚をして欲しいのですが」
「へ?」
「ゼリルと結婚すれば、皇帝の義弟となるわけで、美味しい思いが出来る人間は多いんです。逆にこちらもそれを利用可能です」

 ルイス兄上は、皇帝陛下だけあってなのか、腹黒く育ったみたいだ。

「宰相としては同意だが、父としては反対だ。見合いでも良いが、俺とルツのように、惹かれ合う相手を選ぶようにすべきだ、二人とも。その点では、事実としてラインハルトに惹かれたのであれば、ライゼは君達二人の先輩となるんだぞ。馬鹿にしてはならない」

 ユーゼ父上が静かにそう言った。僕には惚気にしか聞こえなかった。

「僕も、好きになれる相手が良いと思う」

 ルツ父様も飄々とした口調でそう言った。僕がおろおろしていると、ルイス兄上が腕を組んだ。

「では、僕のための盛大なお見合いパーティの際に、ゼリルも相手を探すというのはどうですか? 主催を国ではなく、ベルス侯爵家としたら良いではありませんか」
「邸宅には使用人がいない」
「当日のみ雇えば良いでしょう。夜会の時だけ人手を増やす貴族など腐るほどいるではありませんか」
「それもそうだな」

 と、こうして――その日の食事は終わったのだが、僕はなんとも不思議な気持ちだった。

 何せ、結婚、だ。
 僕はこれまでの間、そう言った事は考えた事が無かった。
 僕もいつか結婚し、産んでもらうか自分で子を産む日が来るのだろうか……?