【五】好みのタイプと苺タルト








 翌日――本日はお休みだったので、僕はゆっくりと寝ていた。僕が非番の日、ユーゼ父上は僕を起こす事は無い。なお、ルツ父様は、何故なのか朝の六時半に必ず食事に起きるので、起きている。きっとユーゼ父上の出勤を見送りたいのだろう。

「眠い……」

 僕はといえば、午前十一時になって目を覚ました。僕は朝が弱い。寝起きに弱いのはルツ父様も一緒なのだが、ルツ父様は絶対に朝六時半には一度起きる。起きられない場合、ルツ父様は徹夜をして朝の六時半を迎えている。僕には、ルツ父様が何故六時半にこだわるのかは不明だ。

「……二度寝しようかな」

 そう呟いてから、僕は欠伸をした。だけど、お風呂にも入りたい。僕はお風呂が大好きなのだ。ずっと入っていられる。我が家で長湯なのはルツ父様と僕だ。たまにライゼ兄上やルイス兄上がこの邸宅に帰ってきた場合であっても、二人はユーゼ父上と同じように、サクッと入ってサクッと入浴を済ませる。だけど僕とルツ父様は、気づくとずっと入っている。

「……お風呂入ろうかな」

 僕は意を決して、寝台から降りた。帝国は週休二日制なのだが、僕が務める魔導騎士団はその限りではない。大体、三日働いて、一日休んで、また三日働いて、そしてお休み、という形だ。バルミルナ帝国は一週間が七日間である。一年は十二ヶ月だ。

 普段着を手に、僕は階下へと向かった。侯爵家の三階に、僕の部屋はある。みんなの私室と、ユーゼ父上とルツ父様の寝室が存在する。二階は書庫と、ユーゼ父上の書斎だ。地下には、魔術の訓練場と、転移魔法陣がある。邸宅の庭は広く、様々な花が咲いていて、枯れない魔術がかけられている。

「おはよう、ゼリル」

 一階まで降りると、ルツ父様が玄関に立っていた。

「おはようルツ父様。お出かけ?」
「うん。今日はちょっとナイトレル伯爵家に行ってくるよ」
「お祖父様達によろしくお伝え下さい」
「分かったよ。なるべく早く帰ってくるけど、ご飯はきちんと食べるようにね」

 僕は頷きながらルツ父様を見送った。ルツ父様は、本日も麗しい。その後は、真っ直ぐに浴室へと向かった。ベルス侯爵家の浴槽は、二十四時間、お湯で満ちている。乳白色の入浴剤が入っている。これは、ユーゼ父上のお気に入りらしい。元を正せば、ユーゼ父上の側の祖父、キルトお祖父様が好きだった品なのだという。

 ちなみに僕はキルトお祖父様には二回しか会った事がない。キルトお祖父様は、ライゼ兄上の前の前――前々代の、天球儀の塔の主席魔術師だったらしい。ラインハルト様のお師匠様なのだとも言う。

 キルトお祖父様は、天球儀の塔で暮らしているらしい。僕が過去に二回だけ、天球儀の塔に足を踏み入れた時に、顔を合わせた。

「朝ご飯……というか、もう昼……何食べようかな」

 キルトお祖父様について考えていたら、公国料理が食べたくなってきた。公国の主食はパスタだ。この家には、帝国で主流のパンも、王国で主流のライスも、公国のパスタも全部揃っている。ユーゼ父上の趣味だ。

「面倒だし、カルボナーラでも作ろうかな」

 楽だし。うんうん。僕は湯船に浸かりながら手順を考えた。
 こうして入浴を終えて、僕はカルボナーラを作った。我ながら美味だと誇らしくなる。僕の数少ない特技は料理としても良いかもしれない。

 ……。

 本当に、僕には特技が全然無い。容姿は平凡だし、魔力も平凡だ。僕の家族がちょっと凄すぎるのかもしれず、世間一般的に言ったらあるいは標準なのかもしれないけど、魔導騎士団にだって他の国々にだって、すごい人は沢山いる……。

 いつか孵化する魔王とその繭について考えたならば、凄い人は沢山いた方が良いのだけれども、たまに自分を振り返ると虚しくなる。僕ってちょっと普通過ぎる。いいや、普通未満だ。個性とか自発性みたいなものが、無い。しかし無いのだから、仕方が無いだろう……。

 その後は、部屋に戻り、僕はお昼寝をする事にした。僕のもう一つの特技は、何時間でもいつでも眠れる事かもしれない……。


「ゼリル」
「……っ」
「休みだからと言って寝過ぎなんじゃないのか?」

 気づいた時、僕の毛布が剥ぎ取られた。薄らと目を開くと、ユーゼ父上が立っていた。黒に近い紫色の宰相府の正装姿だ。

「夕食を用意したが食欲は?」
「ある……」
「そうか。すぐに降りてこい」

 ユーゼ父上はそう言うと出て行った。僕はぼんやりと瞬きをしてから、大きく欠伸をする。本当、眠い。

 階下に降りると、ルツ父様の姿は無かった。

「ルツ父様は、まだ帰ってこないの?」
「――なんでも、古巣の王国宮廷魔術師の部隊に、鍛錬の相手となるよう請われたらしい。フェルクス義父殿から、直接帝国宰相府に連絡があった。泊まってくるそうだ」
「それで機嫌が悪いんだ?」
「……」

 ユーゼ父上が沈黙した。ルツ父様がいたら、ユーゼ父上は僕を無理に起こしたりしない。一人が寂しいから、僕を起こすのだ……。

「折角ゼリルの好物のハンバーグを作ったのにな」
「いただきます!」

 僕は勢いよく声を上げて、手を合わせる。僕は今まで生きてきた中で、ユーゼ父上のハンバーグが一番好きな食べ物だ。特にチーズが載っていると、半端なく美味しい。

「味はどうだ?」
「最高」
「そうか。それは何よりだ」

 ユーゼ父上は、僕の正面で、ゆっくりとワインのコルクを引き抜いた。父上はあんまりお酒を飲まないのだが、ルツ父様がいない日は、九割の確率でワインを飲んでいる。帝国では、十六歳から飲酒が許可されているのだが、大陸の他の二カ国は十八歳以上、天球儀の塔の推奨は二十歳からだそうで、僕はまだ飲んだ事が無い。アルコールに関しては、天球儀の塔の基準が良いだろうと、ユーゼ父上に言われた事がある。僕も別に飲みたいとは思わないので、興味はあんまりない。

「所でゼリル。改めて聞くが、結婚について、どう考えているんだ?」
「っ、げほ」

 ハンバーグを噛みしめていた僕は、思わず咳き込み、慌てて檸檬入りの水のグラスに手を伸ばした。

「誰か好きな相手はいないのか?」
「い、いないよ!」
「……では、これまでに、良い香りがする相手に出会った事は?」

 きっと、『番い』について言っているのだろうと考える。何でも、子を成せる伴侶たる番いが相手だと、特別な甘い香りがするらしい。しかし、現在までに僕は、特別な香りを感じ取った事は無い。

「いないのか?」
「うん……ユーゼ父上は、ルツ父様からどんな香りがするの?」
「甘い匂いがする」
「甘い匂いって、苺タルトみたいな感じ?」
「それは今夜用意したデザートの香りだ」
「知ってる。早く食べたい」

 ハンバーグを食べ終えて僕が言うと、ユーゼ父上が短く吹き出した。僕が人生で食べた中で二番目に美味しいと思ったのが、ユーゼ父上の苺タルトだ。

「では、好みのタイプは?」
「ん?」

 ユーゼ父上が苺タルトの皿を差し出してくれながら、続いて聞いてきた。

「好みって?」
「好きな外見やタイプ、性格などだ。趣味が合うだとか」
「趣味……」

 そもそも僕には、これと言った趣味が無い……。強いて言うならば、天井を見上げる事が好きだけど、それは趣味とは言わないだろう。別に建築に興味があるわけでもないし。

「ゼリルは勉強家だろう?」
「そ、そう?」
「ああ。毎夜魔導書を読んでいるだろう?」

 それは事実だ。魔導書を読むと眠くなるから、いつでもどこでも眠れる僕にとって、その眠りをより良いものにするマストアイテムと言える。あんまり頭には入ってこないが。

「ライゼやルイスは、必要に迫られないと読まないが、ゼリルは自発的に様々な本を読む勉強家だと俺は思っている」

 誤解である……。どうしよう。ユーゼ父上は親馬鹿だ。

「そう考えると、真面目なゼリルに釣り合う、良識的な人物が良いように、親としては思う」
「……」

 僕は別に真面目じゃ無い……。ど、どうしよう。本当に真面目な人が僕の伴侶になってしまったら、きっと、泣かれるだろう……。

「一方で、ゼリルはどちらかといえば控えめだ。主導権を取り、前に進んでくれるパートナーも良いかもしれないな」
「う、うん……」

 それは、どうなんだろう。僕は、グイグイ来られるのも得意ではない。萎縮してしまうのだ……。

「……普通の人が良いよ」
「普通? 具体的には?」
「ええと……ラインハルト様みたいな」
「まずもって普通の概念を覚え間違っている。よく考えてみろ。ラインハルトの一体どこが普通だというんだ? 彼の評価として最多なのは、『頭のネジが抜け落ちている』だ」
「……で、でも、明るいし、僕にも会話を振ってくれるし、いい人だよね?」
「悪い奴では無い」

 ユーゼ父上が頬杖をついた。それからグイとワインを煽る。

「まさかゼリルも、ラインハルトが好きなのか?」
「それはないかなぁ。ライゼ兄上の好きな人を奪いたい、なんて、無い。そういうの好きじゃないし」
「――恋をすれば、例え奪ってでも手に入れたくなるものだぞ?」
「そんな風に殺伐としてるんなら、僕、恋なんてしなくても良いよ……」

 素直に僕が答えると、ユーゼ父上が苦笑した。

「優しい子に育ったな、ゼリルは」
「そ、そうかな? みんな、そんなに奪い合うの?」
「さぁ。恋の形は人それぞれだからな。例えば、俺とルツであれば、激情というよりは、穏やかに恋が進行していったように見えたと思う。俺の側には激情が渦巻いてはいたが」

 そこからはユーゼ父上の惚気が始まった。僕は苺タルトを二回おかわりした。
 ルツ父様が帰宅するまでの間、僕はずっとそれを聞いていた。