【八】『何故だ』以外の僕。






「それで、ゼリルだったな? 歳はいくつだ?」
「十七歳です」
「こちらの大陸では、子供に酷な任務を行わせるんだな」
「……僕、子供じゃ無いです。そんなに歳変わらないですよね?」
「二十二歳だ。五歳も違う。俺が五歳で歩いて立っていた時、貴様は乳幼児だ。大違いだろうが」

 確かにそう言われると、五年間は大きい……。それにライゼ兄上よりも一つ年上なら、立派な大人だ……。

「貴様って呼ばないで欲しいです」
「ゼリル」
「はい?」
「いや……名前で呼べという意味かと思ったんだが、違ったか?」
「あ! 合っています」
「ゼリルはどうして名前を偽っているんだ?」
「へ? 偽ってないです。僕は、ゼリル=ベルスです」
「いいや。貴様はヴェルリスの血を引いている」

 そう言われても困る。

「ええと……キルト=ヴェルリスとザイス=アイゼル・バルミルナの子供が、僕の父のユーゼ=ヴェルリス・バルミルナなんですが、父はベルス家に養子に入ったんです」
「なるほど。戸籍上の名前という事か?」
「そんな感じだと思います。ヴェルリスをご存じなんですか?」
「黙秘する」

 別大陸にキルトお祖父様の知り合いがいるとも思えない。だが、そういえば、神話では、創始の王という伝説の人物は、別の大陸から来たはずだった。あちらにも何か神話が伝わっているのかもしれない。

「ヴェルリス・バルミルナと聞いて、確信が深まったが、こちらの大陸に、『ライゼ=ナイトレル・ヴェルリス・バルミルナ』と言う人物は存在しているか?」

 兄上の名前が出てきた。僕は驚いて首を捻る。

「僕の一番上の兄上ですけど、どうしてご存じなんですか?」

 やっぱり、天球儀の塔は、別の大陸とも交流があるのだろうか? 僕が不思議に思っていると、短くエルトが息を呑んだ。

「――今まで誰に聞いても、『何故だ』としか言わなかったんだが、ゼリルは随分と口が柔らかいようだな」
「え?」

 言ってはまずかったのだろうか……?
 ……。
 確かに考えてみれば、エルトは不審な人物だ。だけど……百合の匂いがする。とても良い香りで、全部正直に話してしまいたくなるのだ。この人なら安全だという感覚がする。絶対に悪い人ではないという直感がする。

 それ自体がおかしいとは思う。理性では、怪しいと思っているのだが、何故なのか感情的には、僕はエルトが良い人に感じられる。

「その者は、魔王を倒すべくして産まれた者だ。端的に言えば、勇者となる人間だ」
「勇者……? ええと……今、この大陸では、三つ国があるんですが、みんなで協力して倒そうという事になっていて、ライゼ兄上も勿論討伐には加わると思うけど……?」
「そうか。こちらには予言が残っていないのか」
「予言?」

 少なくとも僕は聞いた事が無い。どういう事なのだろうか。僕は終始仏頂面のエルトを改めてみた。……笑った顔が見てみたい。漠然とそんな事を考えた。

「ライゼ=ナイトレル・ヴェルリス・バルミルナという人物に会いたい」
「ライゼ兄上は忙しいから、あんまり家には帰ってこられなくて」
「何処に行けば会える?」
「隣の国の、天球儀の塔という所で普段は暮らしてます」
「そうか。それで俺は、いつになったらこの部屋から出してもらえるんだ?」
「え?」
「封印魔術結界が展開されていて、一歩も外に出られない。全ての会話を監視されているようだが」
「な!?」

 言われて僕は、慌てて室内の状況を確認した。するとエルトの言う通り、罪人を捕まえておく時に展開される結界が広がっていた。魔力色を読み取って、特定の魔力色の人間が外に出られなくなる結界だ。番い判定と違って個々人の詳細な色相を読み取る魔術である。

「ゼリルは俺の尋問に来たのだと考えているんだが……何も知らなかったのか?」
「僕、今日まで寝ていたので……」
「寝ていた? ――っ、瘴気に当てられたのか?」
「もう平気です」
「きちんと解毒はしたのか? 酷い熱が出ただろう?」
「解毒……? それはこの大陸には無いです。熱はもう下がったし」

 そもそも、である。エルトがさっさと僕と一緒に逃げてくれていたら、僕は熱を出したりしなかったと思う。

「……治癒魔術を使う用意がある。しかしながらこの部屋には、魔力封じが成されている」
「それが魔導騎士団の決定であるならば、僕にはどうにもできません」
「逃げないと誓う。治癒魔術だけ使わせて欲しい」
「僕はもう平気なので、ご心配なく」
「この大陸の医療は遅れているようだな。瘴気は有害だ」
「治癒魔術こそ古代の技術で古いのかもしれません! この大陸では医療魔術が盛んで、ちゃんと僕も診てもらいました」

 思わず唇を尖らせると、エルトが呆れたように嘆息した。

「ゼリルの心配をしているんだ」
「えっ」

 それを聞いた瞬間――胸がドクンとした。何故なのか頬が熱くなってくる。目がエルトに惹きつけられる。気づけば、鼓動がドクンドクンと早鐘を打ち始めた。なんだろうこれ。エルトに心配されたと思うと嬉しい……。

 ほぼ見知らぬ不審者に心配されて嬉しいって、僕の頭は大丈夫だろうか?

 僕は改めて、じっとエルトを見た。険しい顔をしているエルトが……無性に格好良く見える。顔面造形だけでいうなら、多分ライゼ兄上の方が格好良い。しかし、何故なのか、エルトの顔が僕には最高傑作に思え始めた。顔というか、眼差しや視線の動き、薄い唇、声、気配、何もかもが魅力的に見える。何だろう、これ。

 まるでユーゼ父上の苺タルトのようだ……。ハンバーグにはギリギリ負けているが。

「ゼリル?」
「あっ、はい! ええと、僕は大丈夫だからお気になさらないで下さい」
「……俺を監禁して何になる? 今は、魔王が孵化する前に対処すべき時なんじゃないのか?」
「え? 対処出来るならそりゃあ……」
「俺は貴様らに協力する事が可能だ」
「はぁ……?」
「ライゼ=ナイトレル・ヴェルリス・バルミルナに会わせてくれ」

 そう言われても、僕の一存ではどうしようもない。だが……不思議と、エルトのお願いだと思うと、叶えてあげたいような気持ちになってくる。しかし無理な約束はすべきでは無いと、僕は小さい頃からユーゼ父上に躾けられてきた。

「ライゼ兄上に連絡して、会いたがっていたと伝えておきます」
「約束してくれるか?」
「連絡が通じたら、必ず伝えます」
「……」
「ライゼ兄上は、僕が連絡すると必ず忙しくても折り返してくれるから、大丈夫だとは思うけど」
「ならば、結果をすぐに伝えに来てくれ。連絡が取れなかった場合でも、また俺に会いに来てくれ」
「はぁ」
「以後俺は、ゼリル以外とは話をしない。いかなる尋問にも応じない」
「ん? ちょっとお話を聞いてるだけじゃ?」
「どうだろうな?」

 ま、まさか、酷い事をされているのだろうか? 僕は狼狽えてキョロキョロと周囲を見渡してしまった。とりあえず、目立った拷問器具などは無い。

「早くここから出たい。そしてライゼ=ナイトレル・ヴェルリス・バルミルナに会いたい」

 エルトがそう繰り返した時、ノックの音がした。僕が振り返ると、扉を開けたカースさんが、手招きしていた。

「そろそろ時間です。戻りましょう」
「は、はい!」
「また来い。明日も、また。俺がここを出られるまで、毎日」
「え、え? は、はい?」

 僕はオロオロしつつ曖昧に頷いて、部屋を後にした。そして扉が閉まってから、カースさんを見た。

「あの? え? どうしてエルトは捕まっているんですか?」
「危険な人物ではないと分かるまでの処置です。安全だと分かれば、すぐに解放できます」
「そ、そうですか……」

 どうすれば、安全だという証明になるのだろう。僕にはそれがよく分からない。

「それより、百合の匂いはどうでしたか?」
「あ……やっぱり、しました。エルトから甘い百合の匂いがして……。でもエルトは僕からは何も感じないみたいです」
「そうですか」

 そんな話をしながら僕達は廊下を歩き、その後は通常勤務に戻った。