【九】食べ物で例えると。






 勤務終了後、僕は帰宅し、真っ直ぐに自室へと向かった。そして、ライゼ兄上から貰った、通信用の魔導具に触れた。腕輪型の魔導具を左手首にはめて、右手で触れる。

 そして通信用の魔術ウィンドウを呼び出し、浮かび上がった紋章に触れた。

『ゼリル?』
「あ、ライゼ兄上。今、忙しい?」
『お前のためならばいくらでも時間を作る! と、言いたい。世界中に宣言して回りたい! 聞いたぞ、瘴気に当てられたって。もう大丈夫なのか!?』

 ライゼ兄上はいつも通りだった。ホッとしながら、僕はウィンドウに映る兄の顔を見る。

「もう大丈夫。それよりもさ」
『他に何か重要な事があるのか!? お前の体調以上に!?』
「……ええと、最果ての闇森でね、別大陸から来た人間を保護したんだ」
『ああ、そうらしいな』
「ライゼ兄上に会いたいんだって」

 端的に僕が述べると、ライゼ兄上が目を丸くした。それから小さく首を傾げる。

『俺に? 何で俺の事を知っているんだ?』
「分からないけど、予言がどうのと言っていたよ」
『予言? 予言って何だ?』
「さぁ?」
『どんな奴なんだ? その人間は』

 ライゼ兄上は、若干困っている様子だ。呆れたような顔で笑っている。

「ええと……」

 しかし、どんな、か。顔は、ライゼ兄上の次に整っているかもしれない――と、言ったら、ルイス兄上が笑顔で僕の足を踏むと思う。ルツ父様とは方向性が違うから、ユーゼ父上は何も言わないだろう。そしてエルトは、強いて言うならば、ハンバーグにも負けている。キラキラさ加減において。しかし苺タルトなみに美味しそうである事は間違いない。何より――百合の匂いがするのだ。

 エルトのお願いを叶えたい。どうすれば、ライゼ兄上は来てくれるだろうか?

「……ねぇライゼ兄上」
『ん?』
「ラインハルト様からは、どんな香りがするの?」
『え? な、な、なんだよ急に……! 今は別大陸から来た人間の話だろう?』
「その人間から、百合の匂いがするんだよ……」
『へ?』

 僕の言葉に、ライゼ兄上がきょとんとした。それから何度かゆっくりと瞬きをした後、腕を組んだ。

『その人間が、番いかもしれないって事か?』
「わからないけど……」
『すぐに不審者じゃ無いか、お兄ちゃんが確認しに行ってやる!』

 ……。
 趣旨は違うが、ライゼ兄上は、会いに来てくれるようだ。

『とはいっても、調査で最果ての闇森に行く以外は、天球儀の塔からは、実家に帰省する以外では動けないからな……ちょっとラインハルト様やユーゼ父上とも話をしてみる』
「有難う」

 そんなやりとりをして、通信を遮断した。明確な日時は決まらなかったが、兄上がこう言ってくれた以上、エルトをがっかりさせずにすみそうだ。

 その後階下へと降りると、ユーゼ父上が夕食作りを始めていた。そばにルツ父様が座っている。二人は僕を見ると、どちらともなく顔を見合わせた。

「ゼリル。別大陸から来た人間の尋問を、今日担当したそうだな」
「ユーゼ父上、やっぱり尋問だったの?」
「カース副隊長の話しぶりだと俺はそう感じたが……君はどんな心持ちで臨んだんだ?」
「食後のデザートを前にした気持ちというか……」
「真面目に聞いているんだ、俺は」
「ご、ごめんなさい」

 ユーゼ父上が目を細めている。僕はバジルソースの香りに浸りながら、本日はパスタらしいと判断した。ルツ父様は珈琲を飲みながら僕を見ている。

「だって、苺タルトみたいだったから……」
「ほう。それは、百合の匂いがしたという事か? つまり――惹きつけられる香りだったと、食事で例えているのか?」
「そうかもしれない……僕にもよく分からなくて……」

 それから気を取り直して、僕は既にテーブルの上にあるサラダを見た。

「……ライゼ兄上に、彼は会いたいらしいんです。それで今ライゼ兄上に連絡をしたら、ユーゼ父上に連絡してみるって言ってたよ」
「別大陸からの来訪者は、繰り返しライゼに会いたいと口にしているようだな。そうか、ライゼが同意したのならば、俺は止めないが……何故、ライゼの存在を知っているんだ?」
「予言らしいよ」

 僕が今日聞いたエルトの言葉を静かに説明すると、二人が沈黙した。そして僕の前で何度も顔を見合わせている。二人は視線で会話が可能らしい。

「予言……」

 ルツ父様がポツリと言った。パスタを皿に盛り付けながら、ユーゼ父上も小さく頷いている。二人はライゼ兄上とは異なり、『予言』と聞いても不思議そうでは無い。僕はそれに驚いた。

「予言って、何?」

 二人は何かを知っているのかもしれないと考えて、率直に僕は聞いた。だが二人は何も言わない。そのままユーゼ父上がパスタの皿を運んで来たので、夕食が始まった。予言については二人とも、僕には何も答えてくれない。

「それはそうとゼリル。来週末、このベルス侯爵家で、夜会を開く事になった。寝込んでいたから伝えるのが遅くなったが」
「夜会? 夜会って、前にルイス兄上が言っていたお見合いパーティ?」
「実態はそうだ。ルイスやお前に伴侶が見つかる事を祈るが……そうか。別大陸の人間から香りがするのか……その日、他の大勢と比較して、間違いないと確証を得られれば良いんだが」

 ユーゼ父上の言葉に、フォークを片手に僕は固まった。

「エルトは僕からは特別な香りは感じないって言ってたよ……」
「だが仮に番いだとするならば、他に代えはきかないし、何よりゼリルが欲しくなってこらえきれなくなるだろう。番い関係は唯一無二だ。その人物が本当に番いならば、ベルス侯爵家として保護した方が良い。見知らぬ大陸から来たのでは後ろ盾だってないわけで、一人では生活が困難だろうしな、支えてやるべきじゃないか?」

 パスタを口に運びながら、僕はその言葉を聞いていた。

「直接対面してないと、別に欲しいとか、特別な香りがするとかは、思わないよ」
「でも、対面していると特別だと思うし、欲しいんだろう?」
「欲しいと言っても、ハンバーグほどではなかった! 苺タルトなみ!」

 僕が力説すると、ユーゼ父上が吹き出した。ルツ父様はレタスのサラダを食べながら、僕をじっと見ている。

「ゼリルにとっての、ユーゼ様の苺タルトって……相当だね」
「う」
「今日のデザートはチーズケーキだけどな」
「チーズケーキも好きだよ?」

 僕が慌ててそう述べると、ユーゼ父上が満足そうな笑顔で頷いた。