【十】僕は子供なのだろうか?
「――と、いう事になったから、ライゼ兄上は今調整してくれているみたいだよ」
翌日も僕は、エルトの部屋へと向かった。ただ今回は、勤務時間中ではなく、お昼休みの休憩時間だ。部屋の外には、監視のためなのだろう魔導騎士が二人立っていたが、僕を見ると扉を開けてくれた。
「そうか」
僕の話を聞きながら紅茶の用意をしたエルトは、カップを静かにこちらへ置いた。対面するソファ席で、僕達は話をしている。テーブルの上には、僕が持ってきたクッキーのカゴがある。
「早速手配してくれたのか。感謝する」
「ううん」
エルトは相変わらずの仏頂面であるが、小さく僕に対して頭を下げた。喜んでくれたのだろうかと考えると、正直嬉しくなる。喜んで欲しいと言うのであれば、このクッキーだって喜んで欲しくて持ってきた品なのだが。
それにしても――本当に百合の匂いがする。不思議だ……。初遭遇や二度目の前回ほど動揺する事は無くなったが、そばにいるとふわふわと甘い香りが漂ってくる。
「それで、いつ会える?」
「……今、天球儀の塔と帝国宰相府で調整をしている所だと思うから、僕には分からないです」
ライゼ兄上は、ラインハルト様とユーゼ父上と話すといっていたから、そのはずだ。
「事は急を要する。魔王の繭が孵化する前に、なるべく早く話がしたい」
「もし伝言があるなら、伝えますけど」
「それは親切心か? それとも、俺に対する尋問か?」
「え? いやその……急いでるっていうから……」
「世界を思えば伝言する事も価値はあるのかもしれないが、伝えた後、用済みとなった俺が処分されたのでは意味がない。いつか言ったな、貴様も。生きていれば何とかなると。この部屋に拘束されている以上、俺はいつ殺されてもおかしくはないんだ。生かされる理由となる事柄は多いに越した事は無いから、俺は直接でなければ伝えない」
蕩々とエルトが言う。確かに捕まっていたら不安なのかもしれないが、みんな、理由無く人を殺したりしないと僕は思う。
「早くここから出たい?」
「当然だろう」
「出たら、何処に行くの?」
「まずはライゼという人物に会いに行く必要があるが――……そうだな。何処、か。難しい問いだ。俺はこの大陸の事を知らない」
エルトがここから出たら、もう会えなくなってしまうのだろうか。そう考えると少し寂しい。いいや、考えてみると、少しどころではなくとても寂しい。
「あのさ、良かったら、僕の家に来る?」
「どういう意味だ?」
「父上が、他の大陸から来たら後ろ盾がなくて大変だろうって話してたから……僕の家にきたら良いかもしれないと思って」
「それが監視場所が変わるという意味合いしか無かったとしても、四六時中この部屋にいるよりは良さそうだな」
「監視なんかしないよ……な、なんていうか! 父上は料理も上手だし、ルツ父様は優しいし、みんな良い人だよ?」
「貴様にかかれば、周囲は全て善人となるようだが?」
「……だ、だって」
「『ゼリルにとっては』良い人々なんだろうな。それが俺に対しても良い人間だとは限らない」
それを聞いて、僕はちょっと困った。確かに僕は過去、極悪人には会った事が無い。
「もうちょっとエルトは、みんなを信じてみたら?」
「子供に説教されるほど落ちぶれた自覚は無かったが」
「子供って、ぼ、僕は、今年でもう十八だよ! お酒も飲んで良いんだよ!」
「――外見は、まぁ、相応に大人だな。だがつい気の抜けるようなお人好しの中身を見ると、やはり幼く感じてしまう」
そう言われてると、なんとも反論しがたい。
「もしもここがナゼルラ大陸であったならば、見目の良い子供など、即座に奴隷商の餌食だ」
「え?」
「俺は貴様が好事家の貴族共の性のはけ口になったと聞いても驚かない。良かったな、こちらに産まれて」
「……? どういう意味?」
「そのままだ。こちらには男しかいないんだったな? では、なおさらモテるだろう?」
「……あの。モテた事が人生で一度も無いんだけど、それはさ、特殊な方向性からの嫌味?」
僕が思わず顔を引きつらせると、エルトが少し驚いた顔をした。
「美醜概念が異なるのか?」
「え? 分からないけど、僕はモテないよ? だから今度、お見合いパーティをするんだって」
「見合い?」
「うん。そこで番い候補の相手を見つけるんだと思う」
「俺から番いの香りがすると話していなかったか?」
「……百合の匂いがするんだけど、エルトは僕からは何の香りもしないんでしょう?」
「ああ。率直に言って、特異な香りは感じない。普通の石けんの匂いだけだな」
「僕お風呂が好きだから……」
今朝も入ってきた。朝と夜、休日は更にお昼にも、僕はお風呂に入る事が多い。
「だからエルトの香りは勘違いかもしれないし、大勢に会って確認するんだって」
「ほう。俺で無くとも、ゼリルは問題が無いという事か」
「え」
それを聞いた瞬間、胸がズキリとした。エルトじゃないと問題しかないと叫びそうになった。僕はエルトが良い。直感的にそう思った。だが、それを明瞭に説明する術を僕は持たない。どうして自分がそんな風に思うのかも分からないのだ。
「また一つ、俺が生かされている価値が減ったらしい」
「ま、待って! そんな事ないし、本当にみんな、エルトが安全な人か分かるまで、ここで保護しているだけだよ!」
「ここで保護、か。ならばそれこそ、ゼリルに保護される方が良い」
「え、え?」
「先ほど家に連れ帰ってくれると話していたな? それはいつになる?」
具体的に話していたわけでは無いから、そう言われると困ってしまう。だけど、僕としては、エルトを連れて帰りたいという思いが胸中に広がり始めた。
「今夜、もう一回、ユーゼ父上と話してみる」
「そうか。これまでの話だと、ゼリルには、ユーゼという父とルツという父がいるのだろう? どちらが産んだんだ?」
「ルツ父様が僕を産んだんだよ」
「二人は番いなのか?」
「うん」
「どのようにして、生む側の決定はなされるんだ?」
「わからないけど……書類でお互いの条件を提示して同意したりすると聞いた事もあるよ」
「つまりどちらでも生めるのか?」
「多分」
「――そうか。子供の作り方は、性行為か?」
「え、あ、えっと……うん」
エルトはライゼ兄上とは違い、淡々としている。キスでは子供が出来ないと知っているようだ……。それは良かったが、率直に聞かれると焦る。
「もし俺が番いだったならば、ゼリルは俺に抱かれるか、俺を抱くかしたいのか?」
「えっ!? そんなの全然考えてなかったよ!」
「つまり子供は不要だと?」
「そうじゃなくて、そういう具体的な事を、全然僕は――」
「やはりゼリル本人の中身がまだ子供だからだろうな」
「!」
「俺は抱かれるのは嫌だぞ。覚えておいてくれ」
エルトはそう言うと、少し意地の悪い顔をして笑った。仏頂面ばかりであるから、その笑顔もまた貴重である。思わず照れた僕は、両手で顔を覆った。