【十二】ハンバーグの次の雰囲気






 無事に完成した肉団子シチューは、我ながら美味だった。
 それを食べ終え、食器洗いをしながらルツ父様と二人で居室にいた。
 ユーゼ父上が帰ってきたのは、午後十一時半を過ぎてからの事だった。

「そうか。エルトという人物を引き取りたいか」
「うん……ダメかな?」
「第一部隊が尋問中なのだろう? なんでもゼリル。お前以外とは話をしないと聞いたが?」
「そうなの?」
「そうらしい。俺としてはルツに危険が及ばないと分かってからの方が望ましいが」

 ユーゼ父上はそう言うと、ルツ父様を抱きしめた。ルツ父様が真っ赤になっている。

「……でも、今の部屋にいたくないみたいだし……」
「監視結界があるようだからな。だが、この家に迎えるとなれば、俺は監視などしたくはないぞ? 放置しても逃げない――いいや、逃げても問題ないというヴァイル隊長の同意が欲しいな」

 そう言うとユーゼ父上が、ルツ父様の額にキスをした。いよいよルツ父様が真っ赤になった。目を閉じて震えているルツ父様は可愛い。

 僕は残しておいた肉団子シチューを温めて皿に入れ、食卓に置く。するとユーゼ父上がルツ父様を離して、こちらに歩み寄ってきた。片手ではルツ父様の左手を握っている。

「同意は俺が取り付ける事は可能だが」
「本当? 有難う、ユーゼ父上」
「ああ。俺もルツが欲しくて仕方が無かった時、それを今の君に当てはめたならば、何でもするという気持ちになるだろう」
「悪いけど、僕、そこまでじゃないよ?」
「じきにそうなる」

 ユーゼ父上が小さく吹き出した。ルツ父様は顔を背けているが、肌が白いから朱いのがよく分かる。

「じゃあ明日、エルトを連れてきても良い?」
「俺は構わない。午前の内に、第一部隊には話を通しておく。だから午後が良いだろう。それで、ルツは?」
「僕も、それをゼリルが望むならば構わないよ」
「ルツ。君ならば心配は不要だと思うが、気をつけるようにな」
「有難う、ユーゼ様」

 そんなやりとりをした後、僕とルツ父様は、ユーゼ父上の食事を見守った。


 ――翌日の夜。
 僕は勤務が終わってから、予備塔へと足を運んだ。既に日中、ヴァイル隊長からは、許可を得ていた。僕が連れ帰りたいと述べた気持ちを、ユーゼ父上はヴァイル隊長に『ベルス侯爵家で身元を引き受ける』という形で説明したらしい。その際、もしエルトが失踪しても、互いに罪には問わないという取り決めも成されたと聞いた。

 それらを念頭に、僕は緊張しながら、扉をノックした。

『誰だ?』
「ゼリルです」
『遅かったな。入ってくれ』

 僕はその言葉に、静かに扉を開けた。するとエルトが目を細めていた。

「忙しかったのか?」
「普通だったよ? 僕の仕事終わりは、大体今くらいなんだ」
「――昼休みもあるんだろう? 昨日は昼に来た」
「うん」
「もう来ないかと思っただろうが。俺を番いだと思うのであれば、もう少しゼリルは俺に会いに来るべきだ」

 目を据わらせて、エルトが僕を見ている。僕は思わず苦笑した。百合の良い匂いがする。

「あのね。今日、ゼリルを連れて帰って良い事になったんだよ」
「――本当に? ここから出て良いのか?」
「うん。日中は、ユーゼ父上とヴァイル隊長がその話をしていたみたいで、まとまってから来ようと思ってたんだ」

 本当は僕だって、昼間も会いに来たかった。何度もエルトの事を考えて過ごしていたのだ。

「だから今日、一緒に帰ろう」
「……ただの甘言では無かったんだな。有難う、ゼリル」

 エルトは僕を見ると――始めて笑顔を浮かべた。思わず僕は、目を見開く。あんまりもその表情が、麗しく見えた。初めて僕に向けられるエルトの笑顔は、眩しくて胸に響く。

「……」

 ダメだ。見惚れてしまって言葉が出てこない。

「ゼリル?」
「! あ、すぐに拘束魔術の解術をするね!」
「顔が朱いが、照れているのか?」
「っ」
「――まさか本当に照れているのか? 瘴気が体に残っていて熱が出たのかと疑ったぞ」

 エルトが立ち上がり、僕の隣に立った。そしてピトリと僕の額に手を当てた。胸がドクンとする。僕は額の感覚以外、何も考えられなくなった。目を見開いて、じっとエルトを見上げたままで、僕は硬直した。

「俺が好きか?」

 僕は気がつけば頷いていた。吸い寄せられるようにエルトを見たままで、小さく。

「……ハンバーグの次に」
「雰囲気を壊すのが特技なのか? まぁ良い。解術を頼む」

 吹き出してからエルトが、手を離した。それを見た瞬間、一気に体が軽くなる。僕は杖を出現させて、解術作業をしながらも、ずっと真っ赤のままだった。雰囲気って何だろう。雰囲気……。僕には難易度が高い……。雰囲気……?

 それは、恋人同士の空気というようなものだろうか。
 そうだとすれば……僕は、エルトが好きになってしまったのだろうか。
 番いについてはよく分からないが、一目惚れという現象が世界には存在するという。

 もしかしたらそれには近いかもしれない。だってエルトの全部が好ましい……。

 そう考えていると、不意に百合の匂いが強まった。解術が終わったのとほぼ同時だった。

「魔力が戻った」
「……」
「やはり落ち着くな」

 右手を握ったり開いたりしているエルトから、甘い百合の匂いが漂ってくる。頭がグラグラする。まるで初遭遇時の時のように濃い香りだ。そうだった……香りは魔力からするのだ……。この世界では、微弱なものであれば魔術師でなくとも少量は魔力を持つ。それは生命維持に必要であるから、拘束されている最中も残っていたはずで……今、魔力が解放されて普段の状態に戻ったという事は、即ち百合の香りも強くなるという事だったのか……。

 これ、エルトの隣にいたら、僕は何も出来なくなってしまいそうだ……。
 そう考えて、僕は反射的に結界魔術を展開した。僕は、自分が自分でなくなるようなのは、怖い。

「結界? 別に俺は貴様を攻撃したりしないが」
「違う、百合の匂いが強すぎて……」

 結界を展開すると、少しだけ匂いがマシになった。自分周囲の魔力を打ち消す結界だ。

「本当に俺から百合の匂いがするのか?」
「うん。凄すぎて、酷い」
「褒めていないのは分かる」
「だって……エルトを見てると、訳が分からなくなりそうでさ。怖いんだよ」
「番いの香りというのは、強制力を持つのか?」
「全然分からない。帰ってルツ父様とユーゼ父上に聞いてみよう……」

 僕は少しだけ冷静になったので、杖を魔術で収納してから、扉を見た。それから視線を戻すと、エルトが室内にかけてあった外套を羽織っていた。最初に会った時に身につけていた品だ。

「外、だんだん暖かい季節だけど」
「防寒着ではないんだ。旅装束のようなものだな」
「ふぅん」

 一緒に暮らすとなれば、衣類も用意しなければならないだろう。転移魔法陣が発展しているから、あまり徒歩の旅の知識は無いのだが、亜空間倉庫魔術で品を収納して、こちらの大陸ではたまに旅をする人がいるらしい。エルトはどうしていたのか、その辺も聞かなければならないだろう。

「行こう」
「ああ」

 こうして僕は、エルトを促して部屋を出た。すると扉の外にいた魔導騎士二人に会釈をされたので、僕も頭を下げた。エルトは元々の仏頂面に戻っている。

 長い廊下を通ってから、階段を降りていき、僕は皇宮の転移魔法陣を目指した。一歩後ろをエルトは着いてくる。特に会話は無い。

 その後、ベルス侯爵家に着くまでの間、僕達の間に会話は無かった。