【十四】食糧支援
「まぁしかし――そうか。番い、か」
「ねぇねぇエルト。エルトの大陸には、こういう文化は無いんでしょう? 別に無理に番い関係にならなくても良いと思う」
「ゼリルは香りを遮断しようとするほどなのだから、俺と番いになるのが嫌なのか?」
「嫌っていうか……何も考えられなくなりそうで怖い」
「? 俺の事だけを考えていたら良いだろう?」
「そんな訳にはいかないよ! 仕事もあるし!」
また揶揄われているのだろうかと思いながら、僕は声を上げた。すると姿勢を正したエルトが腕を組んだ。
「真面目なんだな」
「そう? 僕はユーゼ父上と違って、仕事中に惚気たりはしないから、そういう意味では真面目かもしれないけど?」
「では、ゼリルはいつ惚気るんだ?」
「過去に惚気るような相手が出来た事が無いからなんとも言えないけど……それに惚気るような友達もいないけど……いないや……多分僕は惚気ない……惚気る事が出来ない……」
「友達がいないのか? どうして? 貴様の容姿と性格で、友人が出来ないというのも奇妙だな」
「幼馴染みはいるよ? 友達は……僕が知りたい。どうやったら出来るんだろう……」
こんな事を考えたのは久しぶりだった。エルトの香りを嗅いでいると、不安もそのまま口に出してしまう……。結界を展開しているのに、著しく口が緩む……。
「そんなに悲しい顔をするな。俺の事を周囲に惚気てみたらどうだ?」
「惚気るような関係じゃ無いよね!?」
「同棲するのだから、惚気ても良いだろう? まさかこの俺が婿に入る形になるとはな」
「!?」
「宰相が聞いたら、激怒するな」
「宰相って、ユーゼ父上?」
「あ、いや――、――……その、ナゼルラ大陸の母国の話だ」
エルトはそう言うと、どこか懐かしそうな顔になった。
「エルトの大陸には、いくつ国があったの?」
「二十六の国があった」
「そんなに沢山?」
「ああ。ただ、一つ一つは、小さかった。この大陸よりも、ナゼルラ大陸の方が小さいしな」
「そうなんだ? 別の大陸の事自体、こっちではお伽噺レベルだからなぁ。エルトの国はどんな国だったの?」
何気なく僕が尋ねると、エルトが一瞬冷たい顔になった。
「ナゼルラ大陸で最初に、瘴気に飲まれて滅んだ」
「え」
「俺と貴様が会った森によく似た状態に変わった」
「……」
「今ではナゼルラ大陸全域が、あの森と同じ状態だ」
「……住んでた人達はどうなったの?」
聞かない方が良いかもしれないと悩んだ。普段の僕だったら聞かなかったと思う。だけどエルトを前にすると、何でも聞いてしまうのだ。
「地下に逃れた。その術を最初に発見したのも、俺の母国アルゼラの人々だ」
「地下?」
「ああ。あちらの大陸の少数の生存者は、今、地下で暮らしている。そして魔王が滅び、大地が戻る日を待っている。しかし、な。亜空間貯蔵してある食料や治癒魔術にも限度があるから、長くは暮らせない。そこで、こちらから食糧支援及び――率直に言って魔王を討伐する望みをかけて、俺は旅をしてきたんだ」
エルトが真剣な顔に変わった。僕は頷く。
「亜空間倉庫の魔術がそっちにもあるんなら、すぐにでも補填魔術で送った方が良いよ。ユーゼ父上に話してみよう?」
「感謝する」
「一人で旅をしてきたの?」
「……事情があってな」
「事情?」
「話したくない」
再び暗い顔に戻ったエルトを見て、僕は今度こそ聞かないべきだと悟った。エルトにも何でも話して欲しいというのが本音だったけど、誰にだって言いたくない事はあると思う。
「そろそろ戻ろう。夕食、何かなぁ」
僕はそう言って、扉を見た。瞬きをして、気分を切り替えてから外に出る。
その後エルトと共に居室へと戻ると、ユーゼ父上が料理を並べていた。
本日は魚のムニエルだ。
「シェフは何処に? ご挨拶をしたいのですが」
「俺が作ったんだ。さっきも夜はそうしていると話しただろう?」
お皿に目が釘付け状態のエルトに対し、ユーゼ父上が笑った。僕にとっては普通の夕ご飯だけど、実際帝国中の貴族や商人の邸宅のシェフ以上に、ユーゼ父上は料理が美味いと思う。その後は四人で、和やかに食事をした。
エルトには客間の一つを貸すという形になり、この日は眠った。
そして翌朝。
朝六時半に朝食に降りると、エルトの姿も会った。今日から日中は、ルツ父様に用事が無い限りは、ルツ父様とエルトが二人で邸宅で過ごす事になるのだろう。眠い頭で改めてそう考えてから、食事をし、僕はユーゼ父上と共に皇宮へと向かった。
すると転移した直後、ユーゼ父上に袖を引かれた。
「ルツにお礼を言っておくと良い」
「ん?」
「ヴァイル隊長との合意だが、可能な限りルツがエルトを監視するという条件で得たものなんだ」
「え」
「ルツで対処不能ならば誰にも何も出来ない。よって逃げても問題は無いという理屈だ、が、実際にルツは相応に監視を担当する」
「……そ、そっか」
「食糧支援については、昨日の食事の席で聞いた件、ルイス陛下と本日協議する。無論、前向きに、だ。ナゼルラ大陸の亜空間倉庫の魔術座標を知る必要性があるから、その関連で今後はエルトを皇宮に招く事もあるかもしれない」
「有難う」
「取り急ぎは、それらの事実確認を終えるまで、監視は続くはずだ。では、な。今日も頑張れよ」
「はい!」
そんなやりとりをしてから、僕は第一部隊の本部へと向かった。真っ直ぐに控え室に行くと、ルシアが座っていた。ルシアは剣士であるから、魔力量拡張の訓練は免除なのだろう。生粋の剣士が入隊するというのも珍しい。
「おはようございます、ゼリル様」
「あ……おはようございます……」
先日の自己紹介の記憶がよぎり、僕は無表情のままでポツリと応えた。僕はなるべく距離を取ってソファに座る。他に行く場所も無いのだが、気分的には全力で逃げ出したい。
「先日は失礼なことを――」
「……」
「――言ったつもりは無かった。顔と爵位で入隊した子供だという噂を、俺は真に受けたままだ」
「……」
僕は泣きたくなった。しかし僕の表情筋は動かない。
「今後、一緒に働く中で、そうでないと知る機会があると良いが――期待して良いか?」
「……」
「無表情で沈黙しているのも、夜会であれば壁の花にでもなれるだろうが、ここではただの感じの悪さしか無い」
感じが悪いのは、ルシアだと僕は思う……。しかし一気に緊張してしまった僕には、返事をする語彙が無い……!
「今度、ベルス侯爵家では夜会をするそうだな? 招待状がきていた」
「……」
「侯爵家の跡取り同士の俺達が番う事はあり得ないが、一曲くらい踊ってやろうか?」
結構です! と、言いたいのに、怖くて言葉にならない……。僕は必死で首を振ろうとしたが、体も硬直してしまってうまく出来ない。
「聞いているのか?」
「……」
「――って、おい? ゼリル様?」
僕が涙ぐむと、ルシアが虚を突かれたような顔に変わった。それから、焦った様子で立ち上がった。
「え? 泣いた? 嘘だろ?」
「……」
「わ、悪い。言い過ぎたか?」
「……」
「泣くなって! おい! 本当に子供か!」
僕が震えながら泣いていると、ルシアがおどおどしながら歩み寄ってきて、ハンカチを取り出した。
「頼むから泣かないでくれ……」
「……」
「そして何か言ってくれ……」
「……ハンカチ有難うございます……」
「それは良い! まったく、調子が狂う! 宰相閣下や皇帝陛下なら、この程度……八割増しの毒舌を返して寄越すぞ?」
僕はあの二人とは違うのだ……。小心者である。受け取ったハンカチで涙を拭いていると、困った様子でルシアが、僕の隣に座り直した。
「お詫びに今日の昼食はおごってやるから……だから泣き止んでくれ」
この日。
僕はルシアと共に昼食を食べた。人と一緒に昼食をとるのは、とても久しぶりだった。