【十五】今までよりホッとする我が家






「ただいま」

 午後の待機時間も、終始ルシアに気を遣われ、気疲れした状態で僕は帰宅した。すると居室にいたルツ父様が顔を上げた。

「おかえり」
「……うん」

 ユーゼ父上の姿は無いので、今夜も僕が夕食を作るのだろう。そう考えていると、ルツ父様が首を傾げた。

「どうかした?」
「え?」
「何だか辛そうだけど……」
「あ、えっと……何でも無いよ?」

 僕は気分を切り替えようと笑ってみた。するとルツ父様が複雑そうな顔をした。本当にルツ父様は鋭い。しかしこの歳になって職場で泣いたとは、恥ずかしいので言い出しにくい。しかも図星を突かれて泣いてしまっただなんて……。

「今日は、エルトは一日、大丈夫だった? ルツ父様に迷惑を掛けたりしなかった?」
「うん。エルトは……そうだね、うん」
「ん? 何かあった?」
「僕以上に料理が出来なかった」
「ルツ父様は出来ないわけじゃないし……え? 二人で料理をしたの?」
「お昼ご飯を作ろうとしたんだけどね、最終的にパンを買ってきたよ」

 ルツ父様は少しだけ遠い目をした。その言葉に僕はキッチンの様子を窺う。既に綺麗になっているが、異常なほどに逆にピカピカなので、多分大惨事が発生したのだろうと判断した。

「小麦粉でも落としたの?」
「うん。卵も」
「そ、そっかぁ」

 料理に失敗する以前の問題だ。

「ただエルトは、とても綺麗好きみたいで、掃除は僕よりも得意みたいだった」
「そうなんだ?」
「うん。僕は古代魔術の消滅魔術を掃除に使う魔術師を初めて見たよ」
「それちょっと凄すぎない?」
「僕も気になって魔術の話をしたけど、こちらの古代魔術が、あちらの大陸では残って独自発展していったみたいだね」

 ルツ父様はそう言うと、珈琲のカップを傾けた。僕はエプロンを身につけてから、頷く。エルトが魔術師らしいというのは聞いていたが、本人からは聞いたわけではない。エルトの事がもっと知りたい。

「エルトは部屋?」
「さっきこちらの歴史書を読みたいといっていたから、書庫に案内したんだ。書庫か、本を持って部屋にいるんじゃないかな」
「ふぅん。読み取り魔術は使わないの?」

 手で触れれば情報を読み取る事が可能な魔術が存在する。しかしそういった魔術が禁止の文献や、魔力が込められていない一般の本は、手で読む形になる。

「どうかな。そこまでは確認してない」

 頷きながら、僕は食料庫からジャガイモを取り出した。マッシュポテトが無駄に食べたい。その後料理を始めながら、僕はルツ父様と話をしていた。

 完成してから、僕はエルトに声を掛けに行く事にした。
 エプロンを外して、階段を上っていく。先に書庫を見たが、人気は無かった。
 なのでエルトにあてがった客間へと行き、扉をノックする。

「エルト、ご飯だよ」
『――ああ』

 すぐに返事があったので、その場に立っていると、扉が目の前で開いた。
 出てきたエルトを見た瞬間、百合の良い匂いがした。幸せな気分になる。帰ってきてエルトがいるというのは、本当に元気の補填になる。甘い香りが心地良い。僕の顔が思わず緩んだ。

「おかえり、ゼリル」
「た、ただいま……!」

 僕の隣にエルトが立つ。僕よりもずっと背が高い。至近距離にいるものだから、ドキドキする。本当にエルトが番いだったら良いのになぁ……。そう考えながら、僕は結界魔術を展開した。

「まだ香りが酷いのか?」
「酷いというか、ご飯だから」
「ご飯と結界は何が関係するんだ?」
「ご飯の時は、ご飯に集中しないと」

 早く魔導具を制作しなければ。僕はエルトと雑談しながら階下に降りた。するとユーゼ父上も帰ってきていた。

 その後、四人で夕食が始まった。

「エルト、朗報だ。帝国は支援を決定した」
「事実ですか? 感謝します」

 席に着くなりユーゼ父上が切り出すと、エルトが少し緊張した顔になった。

「朝、ゼリルにも話したんだが、補填先の座標が知りたいから、明日から皇宮にて、魔力位置情報を提供してくれないか?」
「お断りします。俺に位置情報を指定させて下さい」
「そうか。念のため聞くが、この大陸からの攻撃を危惧しているのか?」
「率直に言って」
「いや、構わない。だが、一人で倉庫に補填可能な程度の量ではなく、ある程度の数を支援する予定でいる。それでも足りるかは分からないが」
「では口の堅いごく少人数の人員を割いて頂けませんか?」
「ゼリルなら最適だとは思うが」
「口の堅い魔術師を希望します」

 真顔でエルトが繰り返した。するとユーゼ父上が首を傾げた。

「ゼリルは、非常に口が堅いと思っているが?」
「え?」

 エルトが怪訝そうな顔をした。僕は俯く。するとルツ父様がフォークを片手に僕を見た。

「番いの香りを前にすると気が緩むよね」
「ルツはもっと緩ませてくれても構わないぞ?」
「……ユーゼ様……」

 ルツ父様が照れた。助け船は有難かったし、事実その通りなのだが。そこから僕の両親達は見つめ合い始めた。

「気が緩む……言われてみれば気は緩む。ただそれは、ゼリルの性格のせいだとばかり……」
「エルトも気が緩んでたの? その気配が見えないけど?」

 僕が驚くと、エルトがこちらを見た。

「さっき、帰ってきた顔を見たら、無性にホッとした」
「!」

 僕達は、同じ気持ちだったらしい。こ、これが、番いの香り効果……! 偉大すぎる。エルトの言葉が嬉しくて嬉しくて、僕は真っ赤になってしまった。兎に角嬉しい。

「そう朱くなられると困る……なんて顔をするんだ」
「え、え? え!? 僕は一体、どんな顔!?」
「言わせないでくれ。今は、それよりも支援して頂く話だ」

 エルトがギュッと目を閉じてから、頭を振って、再び真剣な顔に戻った。するとユーゼ父上が頷く。

「ゼリルと二人で行うと良い。ゼリルは、エルトに対して以外は、少なくとも寡黙だぞ?」
「信じて良いんですね?」
「それは君次第だ。直感に問えば良い。番いだと思うなら、信用出来ると思うはずだ」
「俺はそれが怖い。香りのせいで正常な認識が出来なくなっているのでは無いかと」
「不快ならばエルトも、ゼリルと一緒に、香りを遮断する魔導具を作って身につけたらどうだ?」
「……俺には、そこまでの害は無いのですが、検討させて頂きます」

 二人のやりとりを聞きながら、僕は唸った。

「でも僕には、魔導騎士団の仕事があるよ? いつ支援の作業をすれば良いの?」
「午前中はほぼ待機室だろう? 午前中のみ、宮廷魔術師府の地下第二魔法陣広間の使用を許可するから、そちらで専念してくれ。午後からは通常勤務だ。エルトは午後も頑張れば良い。ただ、皇宮は要人が多いから、不審な動きをしたとなれば立ち入りは許可出来なくなる。エルトはその点を気をつけてくれ」
「僕で良いなら頑張るよ」
「……承知しました。ゼリル、よろしくな」

 その後は、明日の打ち合わせをしている内に、食事は終わり、そのまま暫く四人でお茶を飲んでいた。先に席を立ったのは僕で、お風呂に入った。体を洗いながら、自分から石けんの香りがするという話を思いだし、不思議な気分になる。入浴後僕が居室に戻ると、皆は既に解散していた。