【十八】夜会@
夜会の日が訪れた。朝から本日は、幾人もの使用人達が打ち合わせをしている。今回限定で雇った皆様だ。なお彼らは昨日から出入りしている。明日も来る予定だ。昨日は、僕とエルト用の服を仕立屋さんに作ってもらった。型紙だけ作ってもらって、後は魔術糸で即座に仕上がってきた。エルトの事は、ルツ父様の方の王国関係者として説明した。
僕は会場の大広間(普段は閉鎖されている)の壁際で、シャンパングラス(オレンジジュースが入っている……)を持っている。現在、午後六時。次第に人が集まり始めた。入り口付近では、ユーゼ父上が挨拶されている。ルツ父様は、黙々と一人でローストビーフを食べているのだが、無駄に絵になっている。そんなルツ父様に見惚れる視線が飛ぶ度に、ユーゼ父上の殺気がこもった視線が飛ぶので、周囲は生温かい目をしている。
ルイス兄上と僕、それぞれのためのお見合いパーティなので、招待客は十代後半から二十代後半までが多い。夜会の名目は、忘れた。侯爵家の何らかの記念日だという事になっていたはずだ。暫くそうして立っていると、会場がざわついた。
「久しぶりですね、我が家は」
ルイス兄上の登場である。皇帝陛下らしい装束姿が多い兄が、本日は僕と変わらない服を身につけているのだが、それでも顔でみんな気がついた。一気に視線が集中する。招待客に『お見合いパーティです』と伝えた訳では無いだろうが、みんなルイス兄上を見る目がキラキラしている。僕には向いてこない視線だ……。
「今日は楽にして良いぞ、ルイス」
「そういう言い方をするから、傀儡皇帝と悪口を叩かれるんですよ、僕は。父上、気をつけて下さいね?」
「君を操る事が出来ているという噂話は、俺が格好良く嘯かれている場合が多いから、是非ルツに聞かせたい所だな」
ユーゼ父上の言葉に、周囲の何人かが吹き出した。その後、ルイス兄上がルツ父様に歩み寄ったので、僕もそちらに歩いた。
「ゼリル、体は大丈夫ですか?」
「瘴気ならもうなんとも無いよ」
「良かった。熱が出たと聞いた時は、何度帰宅しようかと悩んで……無事な姿を見て本当に安堵しました」
ルイス兄上は優しい。金色の髪を揺らしながら、僕を見て微笑している。ルイス兄上が笑顔を僕に向ける度に、周囲が頬を染めている。僕と違ってルイス兄上は、モテないから番いが見つからないのではなく、自分側のお気に入りがいないだけだ。ルイス兄上の後宮は、一体どうなるんだろう。
「それでは僕は、他の方々にも挨拶をしてきます。ルツ父様、また後ほど。ゼリル、一緒に頑張りましょうね」
「……そ、その……」
僕はエルトがいるから頑張らなくても良い気がしている。仮にいなかったとしても、頑張れた自信が無い。しかしルイス兄上は、拳を握って僕に気合いを入れろと訴えてきた。引きつった笑みを返しておいた。その後僕はまた、壁際に戻った。人気が無くて落ち着くのだ……。ルイス兄上は、早速、貴族集団と話を開始している。コミュ力強過ぎる。
その後七時になるまでの間、僕はオレンジジュースをチビチビと飲んでいた。すると七時を過ぎてすぐ、ユーゼ父上の前に二つの人影が現れた。
「よ」
明るい声と突然の出来事に、一拍会場に静寂が訪れた。ラインハルト様とライゼ兄上が人物指定遠距離瞬間転移という最近復活させた技術で移動してきたからである。移動魔法陣を用いない移動技術で、ラインハルト様が復活させた古代魔術の一つだ。
「ユーゼは元気そうだな。それよりルツは? あ、ルツー!」
ラインハルト様はテンションが高い。ラインハルト様がルツ父様に向かって歩き出そうとすると、ユーゼ父上がローブを引っ張って引き留めた。目が笑っていない。
「ラインハルト。安心しろ。俺もルツも、お前とじっくり話がしたいしそうするべきだという見解で一致している。場合によっては、容赦しないから覚悟しておけ」
「……!!」
ラインハルト様の顔が引きつった。ライゼ兄上はきょとんとしている。それからおもむろに、すごくわざとらしい仕草で、左手を持ち上げて唇を覆った。無駄にピンと指が伸びている。僕はそれを見て――左手の薬指に輝く指輪を見て、あ、と、悟った。確認すればラインハルト様も同じ指輪をしている。左手の薬指に指輪をはめるというのは、結婚時や婚約時、あるいはそうでなくとも恋人の証だ。稀人がもたらした文化の一つだ。
ライゼ兄上は角度を変え、何度も左手を強調している。ユーゼ父上が半眼になった。口元の笑みだけがかろうじて残っている……。
「父上、『俺の』『恋人の』『恋人の』『恋人のラインハルト様』に、酷い事を言わないでくれ」
ライゼ兄上が非常にわざとらしい声を上げた。嬉しくて仕方が無い様子だ。会場中に知らしめようとしているのが分かる。ラインハルト様の腕の服を掴み、ライゼ兄上は満面の笑みだ。ラインハルト様は遠い目をしている。
「うん。ま、まぁ、そういう事だ。なんか悪い……」
「全くだ。最悪だ。謝罪してくれ」
「ただ後悔は無い。ずっとそばにいすぎて香りに麻痺していたが、考えてみれば伴侶香もある」
ラインハルト様が、腕からライゼ兄上を振り払った。目に見えてライゼ兄上がショックそうな顔になった。だがすぐにラインハルト様が、ライゼ兄上の手を下ろしたままで繋いだ為、ライゼ兄上は真っ赤になって気分が浮上した様子である。それを見ながら、父上が低い声を出した。
「いつからだ?」
「いつって、何が?」
「香りがするようになったのは?」
「弟子としての教育時に支障が出ないように、俺はライゼの師匠になった段階から、香りは全て遮断していたから分からないが、産まれた時から良い匂いだとは思ってた。が、俺も乳幼児に欲情するスキルは無いから、赤ちゃんとは可愛いんだと考えていたぞ」
「……」
ユーゼ父上が沈黙している。そこへ、別方向から、ルツ父様とルイス兄上がほぼ同時にその場に移動した。
「ライゼ兄上、少しお話が」
「ラインハルトは、僕とユーゼ様と少し話そう」
ぴったり息が合っている。これは打ち合わせをしていたのだろうなと僕は判断した。多分ルイス兄上の話とは、これからライゼ兄上と一緒に顔を合わせる事になるエルトについてだ。ラインハルト様への両親の話は、そりゃあ確実にライゼ兄上との関係である。
「ん? ああ、そうだな。ルイスじゃあ少し話そう。師匠、俺行ってくるよ」
「俺は何処にも行きたくないし、今非常にライゼにそばにいて欲しい。けどお前、そういうの理解出来ないよな。たまに思いっきり空気読めないよな。俺は弟子教育を何処で間違ったんだろうな……」
「は? 俺がルイスと行くのは、この会場一、空気が読めた行動となる。全てはゼリルのためだ。兄としてやらなければならない時が存在するんだ」
「麗しき兄弟愛は分かった。でもほら、さ? 俺、ユーゼとルツに詰め寄られてるんだけどな?」
「いつもの事だろう。師匠なら乗り切れると俺は信じているからな」
ライゼ兄上は笑顔だ。悪気がゼロなのがすごい。同時に嫌な予感がした。
――僕のため? ライゼ兄上はまさか、僕の番いの顔を見たいとかそういうノリなんだろうか……? かなり真面目にエルトは、ライゼ兄上と話がしたいと思うんだけど……大丈夫かな……?
エルトはライゼ兄上が来たら顔を出すと話していた。本当に膨大な魔力量の持ち主だとすれば、移動時に判別出来るから、それまで部屋にいると話していたのだ。僕は入り口を見ていた。すると――数分後、足早にエルトが顔を出した。その姿を確認すると、ユーゼ父上が小さく頷いた。
「招待客は以上だな。乾杯をしたら、少し俺とルツは席を外すから、皆あまり羽目を外しすぎない程度に楽しんでくれ」
ユーゼ父上がそう言うと、そばにあったシャンパングラスを手に取った。それを見て、会場中の人々がグラスを手にする。
「乾杯」
父上の言葉にあわせて、僕もオレンジジュースを飲んだ。そのまま、ユーゼ父上とルツ父様とラインハルト様が、隣室に消えた。ライゼ兄上とルイス兄上は、さも二人で雑談をしている顔をしながら、チラチラと入ってきたエルトを見ている。エルトは会場中を見渡したから、僕と一度目があった。すると、ニコリと微笑まれて、僕の心臓が破裂しかかった……。嬉しい。今なら死んでも良い。
しかしすぐに視線は逸れて、それとなくエルトもライゼ兄上とルイス兄上の方角を見るようになった。さりげなくシャンパングラスを手に取った姿が格好良い。
それは……僕以外も思っているようだった。会場の内五割はライゼ兄上とルイス兄上を見ているが、残りの内二割は、最後に出現したとびっきりのイケメンであるエルトを見ている。やっぱりこうしてみんなの中で見ると、顔面造形がライゼ兄上のちょっと下くらいの良さだ……。僕が隣に並んだら、針のむしろだ、客観的に考えたら……。
釣り合わない。
この言葉が重くのしかかってくる……。
そう思って俯いた時だった。
「なんだ、ダンスは無いらしいな」
「……!」
顔を上げると、ぼっちで立っていた僕の前に、ルシアが歩み寄ってきた所だった。
「折角踊ってやろうと思っていたのに」
「あ、うん。お気遣い有難うございます! 不要です!」
「しかし本当に壁の花をしているんだな、夜会では。これまでにゼリル様を夜会で見た記憶が無いから知らなかったが、イメージ通り過ぎて笑いそうになった」
ルシアが馬鹿にするように笑った。そうなのだ。僕は、就職は早かったが、夜会デビューなるものは未経験だ……。仕事を理由に断り続けてきたので、こうしたごく内輪のものにしか出席した経験がない。踊った事もない。
「酒は飲まないのか?」
「まだ十七歳だし……」
「十五歳以降は、夜会では暗黙の了解で飲めるぞ?」
「僕の家は、二十歳からって決まってて」
「それでルイス皇帝陛下も飲まないのか?」
「多分」
「厳格な家庭だな。さすがは宰相閣下のお宅だ」
会話のキャッチボールが続いている。僕はちょっとホッとした。
「だが新興であるし、俺のエリクス侯爵家ほど、存続させる意義は無いな」
「歴史が違うから……」
「ああ。その通りだ」
「うん」
「そ、その――何が言いたいかというと、つまり」
「嫌味でしょう?」
「違う! だ、だから、ゼリル様が嫁いでも問題無いだろうと、俺は言いたくて……」
「問題は多分無いけどね。誰も反対しないと思うよ」
僕はエルトの事を考えた。いつか大陸を出てエルトに着いていくと伝えたら、みんなどんな反応をするんだろう。エルトの所に嫁ぐなら、僕は嫁いでも全然良い。エルトが再度罰を受けて処刑されると言うんなら、僕も伴侶として一緒に死ねると思う。って、僕は一体何を考えているんだろうか……。思わず頬が熱くなってきた。顔が蕩けそうで僕は気づくとデレッとしていた。
「……っ、笑うと、そ、その……――あ、ああ。ええと……」
「ごめん気持ち悪い顔をしてた自覚しか無い」
「いや? 綺麗で目の毒だ」
「夜会ってお世辞を言い合う場所なんだっけ?」
「それは八割は正解だな」
何故なのかルシアが肩を落とした。それから会場を見渡した。
「それでこれは、何の集まりなんだ? 初めてベルス侯爵家で青薔薇が咲いた記念日の夜会などという適当な謳い文句だったが……随分と気合いの入った連中が多いな」
「ここだけの話、僕とルイス兄上のお見合いパーティ」
「!」
「驚くよね……」
「いや、皇帝陛下の方は予測して聞いた。ゼリル様のも兼ねているのか?」
「うん」
「……立候補者は何人だ?」
「ゼロだから、ルシアがここに来る前まで、僕は一人だったんだけど……」
「侯爵家子息という立場から助言するなら、自分から話しかけて回れ。魔導騎士団の後輩として述べるならば、周囲を上手くあしらう自信が無いなら、俺と話していたら良い」
ルシアが真面目な声で言った。僕にはそれが、神様から差し伸べられた助けの手に思えた。感激してルシアを見上げる。
「自信無いです」
「だろうな」
こうして僕は、ルシアと話を始めた。