【三】過去A



 それから山縣の運転する軍用車で、二人は晴親が予約したという店へと向かった。

 何度事故を起こして死のうか山縣が迷ったかは分からないし、その店自体にも不安を感じていた。

 晴親が予約した店は、越南料理の店だった。
 とても高給取りの外交官が食事をする店には見えない、庶民的な店だった。

「ここね、美味しいんだよ」
「……混んでますね」
「だけど個室ごとは静かでしょう? ゆっくり話が出来る」
「友達同士と楽しく話すには最適でしょうね」
「逆。こんな場所で、重要な話する人なんて居ないから、案外監視の目が緩むんだ。平時なら別だけどね、第三次世界大戦の真っ直中だからこその現在は滅多に監視者は盗聴器以外で聞き耳を立てたりはしない。それに、盗聴器なら、私が持ってる防御装置で無効化できる」

 適当に羽染が料理を選びながら笑った。

「山縣君も好きな物食べなよ。経費で領収書落ちるから」
「おまかせします」
「そ?」

 確かにこんな大衆店で、というのはあまり想像がつかなかったが、特定のものを頼んで毒でも盛られたら敵わないと思ったのだ。

「乾杯――だけど山縣君は、本当に良いね」

 注文を終えると、羽染が言った。先に来た酒をそれぞれが持ち、小さく乾杯をする。

「さっきあそこで、陛下を暗殺しなかった冷静さ、慎重さ。逆に私に撃ってきた時の迷いの無さ。撃ってくるかも知れないと思って待ちかまえていなかったら、私は今頃天国だ。しかも生きてるって分かったら、すぐに迎撃開始だしな」
「天国……天国に逝けそうな人生なんですか?」
「え? そこに食いつくの?」

 そんなやりとりをしていると、すぐに沢山の料理が運ばれてきた。

「……この後に、誰かいらっしゃるのですか?」
「ううん。来ないけど、誰か呼ぶ?」
「この量は……」
「ああ、私は人よりちょっと多く食べるタチみたいで」

 ちょっとという量ではない数々の皿を見て、山縣は胸焼けがした。
 店員が去ってから、さっそく羽染が大量に料理を皿に取る。

「山縣君も好きな物食べて」
「はい……」

 最後の晩餐になるかも知れないと覚悟すらしていた山縣だったが、何となく気が抜けて、目についたものを適当に食べる事に決める。

「うーん、でも、もったいないなぁ、山縣君は」
「もったいない?」
「今の出兵先って、国外もあるよな。海外にいても、私の所まで山縣大尉の功績は聞こえてくるし、薩長土肥だって、山縣君のそっちのセンスも買ってると思うんだけどな。全員が全員とは言わないけど。暗殺なんて、止めれば良いのに」
「……」
「君は戦地で功績を残して、史上最年少で大佐に昇格する。コレ、どう?」
「仰る意味が分かりません」
「大佐になって土佐に錦を飾り、戦地での頑張りで国にも錦を飾る。陛下も生きてる、君も生きてる、良い事だらけじゃないか」
「……」
「あ、さすがに薩長土肥軍閥が見逃してくれないと思ってる?」
「……その」

 山縣は言葉を選びながら、まず暗殺命令の事実を今更とはいえ否定したいだとか、何故その様な話をするのか、など言おうとしたのだが――言葉に詰まった。

 目の前で、どんどん大量の料理が片付けられていくからである。

「久しぶりにご帰国なさって、味が恋しいのですか?」
「いや? いつもと一緒だけど」
「いつもそんなに食ってるのか……」
「まぁね。あれ、山縣が君は全然食べてないね」
「俺は酒がある時は、基本的にあまり食べないので」
「不健康だよ」
「いや、どう考えても羽染外務大臣臨時代理の方が不健康ですよ。よく太りませんね」

 辟易しながら、山縣はロックの梅酒を傾けた。

 ワインは時折飲むのだが、それ以外の酒を飲むのが久しぶりだった。本当は辛口の冷酒が好きで、焼酎も嫌いではないのだが、軍人になってからは何か行事でもなければ、ワインか麦酒ばかりを飲んでいる。

「よく食べてよく寝て良く頭使って、良く体を動かせば太らないよ」
「……はぁ、そうですか」
「そうそう。それでね、さっき私は陛下に、第二天空鎮守府の統合軍部の新組織正式結成&人員増加のお願いに行ってきてね、OKしてもらえたんだよ」
「――え?」

 話が見えなくて、山縣は顔を上げた。
 まずあの短いやりとりの内、一体どの点でそれを話し合っていたのか思案する。
 それよりも。

「何故統合軍部の組織について、羽染外務大臣臨時代理がお話に?」

 旧奥羽越列藩同盟側の新組織の話という事なのだろうか。

「小柳元帥と懇意にしていてね。ついでだから頼んできてくれって言われちゃってな。後、私の事は、晴親で良い。羽染外務大臣臨時代理って長いよね? 元々普通に外交官してたら、大使をやらされて、いつの間にか、代理までって、外務省も横暴だよ」
「小柳丹後元帥殿ですか……」

 地位が高すぎて、どの軍閥に関わっているとも特に目立って見える事の無い、老名将について山縣は思い出した。羽染に関しては、名前なんて呼ぶ気はない。

「それでね、そこは、ちょっと前から、『榊中将』を頭に、軍の裏側でひっそりひっそりお仕事してるんだ。山縣君も、そこに行けば良いんだよ」
「どういう事ですか?」
「小柳元帥が、薩長土肥に釘を刺して、『今忙しいから山縣君は激戦地まわりで!』と、今週中には、辞令が下りると思う。私の読みだと、後三年前後で第三次世界大戦は終息する。その上、日本が激戦地まわりするのは、あと半年って所だから、そこでこの国が関わるのは、事実上は終わりだ。山縣君は、埃及とか緬甸とかに行く事になるかも知れないね。平和な所とは暫くお別れだ。致死率が高いけど、きっと山縣君なら大丈夫。やれると私の直感が言ってる」

 つらつらと晴親が語る言葉を、山縣は困惑しながら聞いていた。

「……軍人ですので、命を受ければ俺は行きます」
「行きたいんじゃないの、本当は。まぁいいや。その後、これは内々の話だけど、落ち着いたら日本は各地の占領体勢の手伝いしながら、新型兵器の売買をメインに活動する。この時に、山縣君には今の部署から、戦績も十分だし暫く落ち着いて良いよって事で、小柳元帥の『総務部第七科』に移動してもらう」
「総務部七科?」
「『総七』は、榊中将の部署の隠れ蓑だから、ここからがっつり、山縣君にはそっちの仕事をしてもらう事になるな。大佐になるまでは、不自然じゃないようしっかりと外まわりもしてもらうけど。大佐になってからは、表の階級は大佐より上には上がらなくなるけど、裏ではちゃんと上がるから。それも表の階級以上に上がりやすいし。何せTOPの榊中将なんて、たった十年で中将だから」
「よく分からないのですが、正規組織ではないと言うことですか?」
「正式な組織だよ。ただ、国内外に、存在を公式にアナウンスす事は無い。ただ、すぐに『いる』っていうのは、分かるようになるかもね、みんな。イメージとしては、米国のCIAとか英国のMI7とか露西亜のKGBみたいな。まぁ、基本的には対外的な事と、各藩の間諜の相手するんだけどね。例えば暗殺の阻止とか」
「――諜報機関という事ですか」
「うん、そ。君が初めての軍生え抜きのメンバーになるね」
「羽染外務大臣代理もそこに所属しているんですか?」
「んー、まぁ、どうなんだろうねぇ。ちょっと手伝ってるって感じだけど」
「軍人なんですね。そうでなければ先ほどの動き、やはり納得がいきません」
「いや私は外交官だよ。確実にそっちが本業。ただしこの手のって、特に対外的なものは、実際に外に出ている人の方がやりやすいから、うーん、雇われ軍人みたいな? これまでは民間企業のとある大手の貿易会社が非公式にやってたり、各藩ごとにやってたんだけどね、そろそろ統一した大日本帝国のものをきっちり整えないとまずい状況なんだ」
「……何人ぐらいの組織なんですか?」
「榊中将、副官の木戸少将、国内班が結城大佐、井上中佐、西園寺様、国外班が坂本少将、久阪大佐、森大佐、沢中佐で、九人」
「羽染さんは何してるんですか?」
「頼まれたらお手伝い、みたいな感じ。まぁ、基本的に実際には、榊中将滅多にいないし木戸少将がTOPって感じで、他の人は自由に生きてるから、副官をやるタイプじゃないんだよね。ま、木戸君も凄く緩いんだけどさ。山縣君には、榊中将の副官の副官、と言うことで、滅多にいない榊中将の補佐と、後は木戸君の補佐とか、その辺をやりつつ、バラバラな組織を何とかもうちょっと纏めて欲しいんだよね」
「お話は分かりました。その荒唐無稽な話が真実だとして、ですが、お断りさせて頂きます」
「え、なんで? 木戸君も薩長土肥の人だよ」

 きっぱりと断った山縣に対して、晴親が目を丸くした。

「先ほどは、あまりにも不敬な陛下に対する発言、及び俺の有りもしない行動を示唆され、怒りを抑えきれず、暴挙に及んでしまいました。しかしながら、俺は羽染外務大臣臨時代理が仰るような命など受けておりません。また現在の勤務地なども他意があるとは考えておりませんし、満足いたしております」
「そう。じゃあ、私の怪我は、一つ貸しだ。まぁ酔いの席の戯言だと思って忘れて。あ、激戦地に行くって話は、軍全体の動きだから私にはどうにも出来ないけど。総七は嫌だって言ってたのは伝えておくから」

 案外あっさりと引き下がった晴親は、全ての皿の料理を食べ終わると手を合わせた。

「ちゃんと食べた? 私はお腹いっぱいだよ」
「ええ」
「よし、帰ろうか。また、機会があったら会おう」

 このようにして、その日二人は別れた。


 ――山縣が羽染の言ったとおり、埃及や緬甸と行った激戦地をまわり始めたのは、その週の内からの出来事だった。いずれも三ヶ月はかかるだろうと言われていた場所だったが、一ヶ月半程度で攻略した山縣は、他にモルディブとジブラルタルにも行った。

「すごいな、山縣中佐か」

 久方ぶりに軍の食堂にいると、朝倉にそう声をかけられた。

「さすがに山縣は、攻略が早いな」
「場所が良かったんだ」
「謙遜しなくて良いよ。実力だって分かってる」

 嫌味ではなく本当にそう思っているのだと、朝倉の瞳が伝えていた。
 自然と二人で席へと座る。

「激戦地はこれで大体攻略が終わったな。大日本帝国は次、どう出ると思う?」
「……武器商人」

 ポツリと山縣が口にした。長らく忘れていた羽染の事を、不意に思い出したのだ。

「意外だな――今日の正午、新開発兵器のNs-T36航空爆雷を使用するって聞いてたのか?」
「いや――……そうなのか」
「予想なら尚更凄いな。長州でこの前集まりがあって、木戸さん――木戸大佐から聞いたんだ。あの人は、本当に情報が早い」

 朝倉の言葉に、山縣は息を呑んだ。

 あの時羽染は、榊中将の副官が、薩長土肥出身の木戸少将であると言っていた。裏と表では階級が異なるらしい。山縣も、木戸の顔は知っていたし、何度か話した事もある。そして今の軍部には、山縣が知る限り、大佐以上の階級で木戸という名の人物は一人しかいない。

「朝倉。木戸大佐殿は、普段はどんな業務をなさっているんだ?」