【五】過去C




 色々と考えて振り切った山縣が、『総七』の詰め所を訪れたのは夏のある日だった。
 白い陽光が差し込む埃っぽい室内。
 古びた木の机の前の顕微鏡をのぞき込んでいたのは、木戸秋鷹だった。

 陽に透け緑に見える髪をした青年は、白衣を纏い、顕微鏡を注視している。

「……失礼します」

 恐る恐る声をかけた山縣は、総七勤務を命じられた辞令の紙を握りしめながら、無意識に小柳元帥の姿を探していた。本当は、晴親の姿を探していたのかも知れない。しかし埃がキラキラする長閑なその室内に、怜悧な気配はない。

「山縣、とりあえず座って、金平糖でも食べていてくれ」
「っ、木戸大佐殿……!」
「大佐、それでも良いけどな、俺が少将だってお前は知ってるんだろう?」
「あ……」
「新横浜のテーマパークは楽しかったか?」

 顕微鏡から顔を上げ、傍らの金魚の水槽へと歩み寄りながら、木戸がそんな事を言った。

「え」
「安心しろ。朝倉は、『一般人』だ。お前と違ってな」

 パラパラと茶色い熱帯魚の餌が落ちていく。
 回想の合間に溶けていく餌を見据えてから、息を呑んでいた山縣は、表情を引き締めた。

 ――監視されていたとしても、何も不思議な事など無い。

「気になってたんですけど、何で俺なんですか? 寧ろ、朝倉を勧誘した方が良かったんじゃないのか?」

 余裕であるフリをして、山縣が問う。
 しかし取り合わず、淡々と木戸は水槽の水面を見据えた。

「どうしてもお前が欲しかった」
「……」
「そう言われたら、羽染さんに抱かれるか?」
「無ぇよ!」
「だろうなぁ……じゃ、俺には?」
「無い」

 断言した山縣に、肩を竦めて笑いながら木戸が振り返った。

「お前どっちかというと、上に乗る方だろうしな。相手が羽染さんでも押し倒しそう」
「否定はしないが、あのカスを押し倒すほど趣味も悪くないつもりだ」
「カスって。ま、成彬様のライバルになるとか怖い者知らずだしな」
「それは会津藩主ですか? だから俺は――」

 厳つい男を押し倒す趣味がない、そう言おうとした時、扉が開いた。
 入ってきたのは、羽染だった。

「やぁ良く来てくれたね、山縣君」
「っ」

 直前まで卑猥な話をしていたものだから、思わず言葉に詰まって赤面した。

 羽染晴親は先日会った時と、何一つ変わっていなかった。
 強いて言うならば夏らしい、皺一つ無いシャツを着ている。
 柔らかそうな髪が、窓から入ってくる風で揺れている。

「山縣君が来てくれて本当に良かったよ、嬉しいなぁ」

 山縣は、何処まで晴親が本心で言っているのだろうかと警戒していた。


 ――ここまでが、山縣の回想した記憶だった。