【六】リセット
ああ、そんな過去もあったなぁと、朝倉の執務室の応接席で足を組みながら山縣は嘆息した。
「どうかしたのかい?」
柔らかそうな髪を揺らした朝倉の言葉。
山縣は、静かに唇で弧を描き、視線を向ける。
「ちょっとな――昔の事を思い出していたんだ」
「昔?」
訳が分からないと言った調子で、朝倉が首を傾げた。
それを一瞥した山縣は、腕を組む。
あの時その後、色々な事があったり。
例えば榊中将が、思いの外身近にいた人物だった事だとか。無論その事実を朝倉は知らない。それで良い、それで良かった。山縣の中で朝倉は、何も知らずに日の光が当たる場所を歩いていて欲しかったからだ。
「――なぁ、山縣」
方言混じりの声音。朝倉が言いながら、山縣のそばに立った。
「ん?」
「何で僕達は――そう言う関係にならないんやろ」
朝倉の言葉の真意が分からず、カップを持ったまま、山縣が首を傾げる。
朝倉はその姿にやるせなくなって、俯いた。
――友人。親友。
それが互いに許された現実だ。それ以上も以下も無い。それは、山縣の所属が変わろうが、己の階級が上がろうが変わらない。何せ――山縣の心が変わらないのだから。
「関係? 今以上に良好な関係があるとでも?」
唇で弧を描く山縣を、朝倉は見る。
――ああ、いつからなんだろう。いつも、己以上に作り笑いを崩さない山縣を乱したいと思うようになったのは。
しかしそんな朝倉の心情になど気づく様子もなく、山縣はカップを置く。
「僕さ、多分山縣の事、好きだよ」
そう口にしながら、朝倉は返ってくるだろう言葉を知っていた。
「俺も好きだ」
やっぱり推測通りだったから、朝倉は無理に笑った。
「もし僕が――君の事を愛しているって言ったら、どうする?」
「んー、だから、殺すかな」
間髪入れずに山縣の声が返る。
淡々として乾いた声だった。それが、山縣だ。朝倉はそれを知っていた。
いつの間にか――絡めとられていた。
息苦しくなって、咳き込んで誤魔化す。
「山縣の愛は、どうすれば得られるんだい?」
朝倉が、努めて揶揄するように問う。
「そうだな……ああ」
――晴親さんみたいになって出直せよと、山縣は冗談として口にしようとした。だけど。
目を静かに伏せる。そのまま、沈黙の時間がたっぷりと流れた。
――きっと自分は、なんだかんだでそばにいてくれて、優しい朝倉を特別視している。
それを嫌というほど山縣は分かっていた。
けれど、それに甘える事は許されない。
「俺に、そうだな――餌をくれたらか」
「餌?」
「野良猫は、餌を欲しがるもんだろ」
そう言って、ニッと山縣が笑うと、朝倉が苦い顔で口角を持ち上げた。
「残念ながら、君が喜ぶ餌を僕は持ち合わせていないんだ」
ああ、コイツ馬鹿なんだなあと考えて、山縣は両頬を持ち上げる。
餌は――朝倉自身なのに。
「――お前次の休み何時?」
「え」
「今度は鶯谷に、巨大観覧車が出来たらしいぞ」
「っ」
「連れて行けよ。俺の事、愛しているんならな」
そんなやりとりを経て、二人は観覧車に出向いたけれど。
朝倉は己の思いを告げないし、山縣もまた、朝倉の事をきっと好きでもそれには気がつかない。ただ色とりどりの観覧車が回っている。
そう、回っていた。運命の輪のように。
それで良いのだろう、二人の関係は。
「ねぇ山縣」
「なんだ?」
「僕、これでも結構、山縣の事、好きだよ」
「知ってる」