【五】黒い太陽と月


 二人が付き合い始めて、最初のクリスマスが訪れた。
 今年は偽装の忘年会を、諜報部は行わない。まだ第四次世界大戦の残処理は多いから、各部署でなく、大きな忘年会が一度だけ行われる事で落ち着いている。それが二十三日に終わった為、クリスマス・イブの本日、山縣は何とはなしに、朝倉の執務室へと向かった。

 ついに、朝倉准将となり、山縣の表の階級を超えた朝倉。
 裏での階級が明らかになり、山縣は現在では少将を名乗っているが、表の階級の記憶はまだ色濃いようでもあり、時折山縣は今なお大佐と呼ばれる。

 指に光る指輪を一瞥しながら扉に触れて、山縣はそっと執務室の扉を開けた。すると朝倉が顔を上げる。有馬の姿は無い。

「おはよう、山縣」
「有馬は?」
「羽染と過ごすみたいで、有給」
「なるほどなァ」

 頷いた山縣は、昨夜の席に、珍しく有馬が不在だった事を思い出した。

「あの有馬に飲み会を休ませるなんてね。飲み会みたいな場所は絶対に出るのに。変な所で情にこだわるわる有馬だから」

 すると同じ事を考えていた朝倉が笑った。それを聞いて、山縣が頷く。

「これで、羽染が三十九度の高熱じゃなければ良かったんだけどなァ」
「もし僕が熱を出したら、山縣はどうする?」
「いい医者を紹介してやる」
「看病は?」
「移ったら困るからな。だいたい俺に看病されて嬉しいか?」
「微妙やな。冷静に処置されそうで」
「いや、有馬とか羽染よりは、世の人が思い浮かぶ形だと思うぞ。そりゃ額に貼るシート系より濡れタオルの方が効果あるくらいは知ってるけどな。あいつら普通に、氷、脇の下にぶち込んでくるだろ。さっき、全力で羽染が抵抗して、そのまま押し通される所まで盗聴して、やめた」

 そんなやり取りをしながら、勝手に山縣が珈琲を淹れた。

「山縣は、その――」
「ん?」
「これまでには、クリスマスを一緒に過ごす相手はいたのかい?」
「基本、お前と過ごしてるだろ?」
「だから、恋人とか好きな人とか、他にいたやろ? これまでの過去」
「過去ねぇ。いてもここに来る――のは変わらないか。ま、俺、モテるからなァ」
「……」
「いや、黙るなよ。切なくなるだろ! そういうお前こそどうなんだよ。行動では分からないけどな、内心」
「どうしようもなく気になって会いたくなってた奴はおる」

 朝倉の声は、本気と真剣さと切実さが滲んでいた。

「朝倉にそんなこと思わせるなんて、どうしようもなく良い女か、母親だな。どっちだ?」
「母だったら今頃は向こうにいるかな」
「どんな女だ? 俺よりも格上なんだろうなァ?」
「なんだいそれ」
「俺から朝倉と過ごすクリスマスや正月を奪った女なんだからな」
「べ、べつに僕らの間には、昔は約束なんて無かっただろ?」
「だからその女は約束を取り付けるほどの相手なんだろ?」

 ニヤリと笑った山縣を見て、朝倉は吹き出した。
 ただこうして――会いたいと思った相手がここにいて、そして馬鹿な話をするだけで十分だと思ったのだ。約束などなくても会いたいのだ。きっと山縣はそれを知らないけれどと、朝倉は考える。

「ま、どっちにしろ、俺は会いたかったら会いに行くけどな。今日ここに来たみたいに」
「え?」
「それに――俺の記憶が確かなら、毎年俺達は一緒だったと思うけどな」

 山縣の指摘に、小さく朝倉は再び吹き出した。確かにそれは、事実だった。来年もそうである事を、心の中で祈る。

「山縣は徹夜だったのかい?」
「まぁな。これから帰って寝る」
「どこに?」
「お前の一番近い家」
「――僕もなるべく早く仕事を終わらせるよ」

 そんなやりとりをして、二人は別れた。少し浮かれた気分で、朝倉はその日の執務を片付けた。一方の山縣は、帰り際に美味しいワインとキッシュ、ケーキを買ってみた。白ワインだ。朝倉が好きな品を選んだ。プレゼントは、気恥ずかしかったが、朝倉に教わった例のブランドのネクタイピンを購入済みだ。

 合鍵を貰っていたその家に、山縣は入る。そして荷物をキッチンに置いてから、真っ直ぐに寝室へと向かった。そのまま寝台に倒れ込む。服が皺になってしまうと思ったが、眠気には叶わない。今夜は朝倉と長い時間話をしていたいから、その分体を休めておきたかった。


「ん……」

 山縣が目を覚ましたのは、頬にそっと触れられた時の事だった。薄らと目を開けると、正面に朝倉の端正な顔があった。

「起きたかい? 随分と疲れていたみたいだね」
「おう……今、何時だ?」
「七時だよ」
「早く帰るんじゃなかったのか?」
「二時には帰ってきてたけど、山縣がよく眠っていたから見てたんだ」
「起こせよ」

 山縣が吐息に笑みをのせてから、体を起こす。すると朝倉が顔を近づけた。

「ケーキ、買っておいてくれたんだね。僕も買ってきたんだけどね」
「だろうと思って、俺は小さいものにした」
「つくづく気が合うね。僕もだよ」
「俺はチョコレート」
「僕は生クリーム」

 いつも赤ワインを好み後攻の黒いチェスの駒を操る山縣は、どこか黒のイメージだ。しかし夜とは違う。朝倉にとって山縣は、太陽のようだ。だから漠然と、黒い太陽を思い描く。一方の山縣は、朝倉の事を、朝になっても空に浮かんでいる月のようだと感じる事がある。朝倉のイメージは昼なのだが、その表情は穏やかで、照りつけるようでは無いからだ。チェスの駒も白、ワインも白を好むのが朝倉だ。尤も朝倉は、麦酒党ではあるが。

 そんな二人は、それぞれにそぐうケーキを選んだのかもしれない。あるいは山縣は、朝倉が生クリームのケーキを購入しそうだと考えたからであるし、朝倉もまた山縣ならば敢えて生クリームを選ばないだろうと推測したのかもしれなかったが。互いの気持ちが分かる二人である。

「食べようか」
「ああ」

 同意した山縣の唇を、朝倉が掠め取るように奪う。顔が離れた時、山縣が照れを隠すようにニッと笑った。

「俺を、か?」
「それも悪くないね」

 そのまま朝倉は山縣を抱きしめるようにして押し倒した。山縣は抵抗せずに、朝倉を見上げる。最近の山縣は、素直に朝倉を受け入れつつある。だからこの日も、今宵はクリスマス・イブなのだからと内心で考えて、大人しく朝倉の背中に腕を回した。

 そうして暫く抱き合っていると、ふっと笑って、朝倉が顔を起こした。

「あとで、存分に。まずは、食べよう。ケーキと、君が買ってきてくれたワインが楽しみなんだ」
「そうかよ。後でなら、俺の気が変わるかもしれない事は、付け加えておく」

 冗談めかして山縣は答えて、寝台から降りた。
 二人でそれからダイニングへと向かい、対面する席に座る。既に準備は、朝倉が整えていた。山縣はリビングから鞄を取ってくる事を忘れず、プレゼントの箱を取り出す。朝倉のがわからのプレゼントは、既にテーブルの上にあった。

「やるよ」
「僕からもこれを」

 なんだろうかと、山縣は受け取って、早速リボンを解いた。そして小さく息を呑んだ。そこには、銀色の懐中時計が入っていたからだ。

「これ……」
「最も大切な男は、これからは僕にして欲しくてね」
「……おう」
「ちなみにこっちのブランドは、僕に山縣の事だけを考えていろって言う意味であってる?」
「分かってるなら、言わせるな」

 そんなやりとりが、とても幸せな夜だった。