【二】夏の匂い
こうして――再び夏が巡ってきた。
……やる気が起きない。
世界がどうでも良い。山縣は、そんな感覚に苛まれていた。
朝倉宅で、寝起き。珈琲を淹れる。当然のごとくインスタント。煙草を銜えて火を点けて、煙と共に溜息を吐き出した。
「ねぇ山縣。僕らに丁度良い終わりって何処にあるんだろうね?」
朝からくだらない事を聞いてくる大親友――自称しかも元。
ベッドサイドで長い足を組んだ山縣は、切れ長の眼差しで朝倉を一瞥した。
口元にはニヤリとした笑みを浮かべている。
ただどうしようもなく左手が痛い。
昨日、つまらないミスをしたからだ。左肘から掌にかけて強い違和感と鈍い痛みがある。手首を捻ったのだ。
「夏の日の昼だろ。我に返った白昼夢じみた終わり」
「きっと蝉時雨の中でハッとするんだろうね」
夏が今年も近づいてくる。山縣は最低だと朝倉に対して思う。この胸の内から消えてくれないからだ、その存在感が。手がビリビリする。あぁ、怠ぃ。
山縣はもっと執着が欲しかった。激情で泣きわめく様な恋がしたかった。そして相手に殺される。そんな結末こそが、どうでも良い世界には相応しい。その相手は朝倉が良い。
けれども世界に対しては、今もなお絶望が何処かで存在するのだ。
本当に笑っちゃうくらいに救いがないなと、考えそうになって首を振る。実際にはそういうわけでもない。適度に周囲からさしのべられる手が鬱陶しい。それは、恋人からであっても同じだ。
「朝倉、お前、俺と――」
「別れる気は無いよ」
「じゃあ馬鹿な事を聞くなよ」
「振られる気配がしたから。先手だね」
「お前本当最低」
「なんとでも。それで山縣の中に存在し続けられるんなら満足だ」
愛と呪いは似ているなと思う。
呪縛? だけどそれとは何となく違う気がする。ならば束縛? それは無い。
「たまには出かける?」
「どこにだよ」
「散歩」
ああ、悪くない。
そんなこんなで二人は連れだって外へと出た。入道雲が印象的だった。
蝉の声に追い立てられる様にしながら、静かに二人で歩く。
「たまにはこんな風に長閑なのも悪くねぇな」
「心が休まる?」
「それはない」
「ただ俺は夏の匂いが嫌いじゃない」
「いつか僕らがこうして歩いた事も思い出になるのかな?」
「どうだろうな」
思い出。思い出か。
逃げるように母と、夏の道を歩いた事があったと山縣は思い出した。
日傘を差していた母の病弱な白さを思い出す。
「夕立の気配がするな。全部それに塗り替えられるんじゃねぇか?」
「僕は山縣を夏に盗られそうで怖い」
「意味、分からん」
「君が僕の家で二人きりで過ごすのは、今となっては危ない仕事の前だからさ」
「んな事無ぇよ」
「じゃあどうして最近来てくれないんだい?」
「お前を押し倒しそうになるから自制してる」
「そのまま上にのって喘いでくれるんなら大歓迎なんだけどな」
「冗談」
ああ、夏の匂いがした。なお、現在までに、山縣が朝倉を組み敷く事が出来た事は、一度も無い。いつも朝倉に、抱かれている。